3 宿題
帰り道はそれはそれは早く駆け抜けた。運動はそんなに得意ではないのだが、足の速さだけは自信がある。賑やかな市場で隣人夫婦へのお土産を見繕ったあと、それを両手に抱えながら人の間を掻い潜って自分の家へ向かう。
階段をダダダっと登り、自分の部屋の扉を大袈裟に音を立てて開けてしまった。
「アリアちゃんったら早いわねえ」
と、フレデリクさんの世話をしてくれている隣人のティアさんが、目を丸くして私を捉えた。
「あ、あの、騒がしくしてごめんなさい、フレデリクさんは……」
「ああ、昼間に一度目が覚めたけど、すぐに寝ちゃってこの通りよ。でも朝よりは呼吸が落ち着いているからきっと快方に向かってると思うわ。安心して」
「はい……」
ティアさんに私の心配はきっとお見通しなのだろう。慈愛の微笑みに、私の焦る心臓の鼓動は落ち着いていくのを感じた。
「じゃあ、うちの人にもご飯つくんないといけないからね」
「ティアさん、本当にありがとうございました! これ、帰りに買ったものです。マドロおじさんと食べてください」
「あらいいのに〜、と言いつつ、もらうわね。今後も遠慮なく頼ってくれていいのよ。私たち平民は助け合いが大事なんだから」
「はい。助かりました」
満身創痍の人が相手とはいえ、ティアさんを男性一人の側につかせてしまったことが気がかりではあった。マドロおじさんが壁向こうにいるとはいえ、万が一があったらどうしよう、という不安は拭えなかった。
ティアさんに頼り切っている自分と、フレデリクさんへの不信感が残る自分の両方に、私は気落ちしてしまう。
そんな私を見てか、ティアさんはポンポンと私の頭を軽く叩いて、大きな口の両端をぐっと上に上げて笑う。
私が何かリアクションを取る前に、「それじゃあね〜〜」と軽く手を振ってティアさんは部屋を出ていき、そしてすぐに隣の部屋の扉が開く音と「ただいまぁ」という気の抜けた声が聞こえた。
彼女の帰宅を確信して、とにかく無事に済んだのだ、という合図にも思えて、体にあった緊張がふっと抜けた気がした。
私はすぐにフレデリクさんが寝ている方を振り返り、カバンを床に置いて駆け寄った。
寝息が落ち着いている。極端に青白いこともなく、顔色は正常に見える。たった1日だけど、表面的にはだいぶ回復できたようなのは間違いなさそうだ。脅威的な回復力だ。
私は安心からか、長いため息をもらした。
手の甲で、フレデリクさんの左頬の体温を確かめようと、ぴたりと触れてみる。うん、熱は少しあるかな? でも昨日ほどじゃないみたい。
「………」
「あ……」
フレデリクさんがうっすらと目を開けた。灰色の瞳。ともすれば、ダイヤモンドのようにも見える美しい瞳だ。
「おはよう」
フレデリクさんは、ふにゃっと笑って吐息を含んだ声で言った。
思わず、ドキリと私の心臓が跳ねる。
「おっ、お体は、辛くないですか……」
「あはは、うん、だいじょうぶだいじょうぶ。んあ〜〜〜ってて…」
伸びをしようとして、もう一度体を縮こませる。まだ傷や打撲は痛むらしい。
「あれ、親父さんは、まだ?」
フレデリクさんは頭だけを動かして部屋を見回した。
「もう少ししたら戻ると思います。……そうだ、動けるのであれば体を洗ってお着替えするのはどうですか? 狭いシャワー室しかうちにはありませんが」
キッチンの隣にある扉を指さしてフレデリクさんに場所を示したが、彼の返事を窺おうと振り返ると、何やら難しい表情になっていた。
「あの……」
「アリア、やっぱり君は隙がありすぎる」
まるで叱られているような気分に胸が冷える心地がした。フレデリクさんの視線は厳しいものになっている。
「想像して。君の今の提案にのって、その間に親父さんが帰ってきたらどう思われる? 着替える寸前の俺が君と同じ部屋に二人きりという状況にどんな思いを抱くかな」
言われた通りの状況を想像すると、今度は別の意味の緊張感を抱く。
しかし、フレデリクさんの視線はそういった軽いものを意味しているわけではない、というのも察した。
そうなると、私が思うのはこれだ。
「……ま、丸腰のフレデリクさんであれば、危険そのものはないと思いますし……私も十分に距離を取るので誤解はさせません」
警戒をとかない。それを表明した。
フレデリクさんの目がぱちくりと瞬きをし、そして次の瞬間にはふっと力が抜けたように息を漏らして、そして「あっははは」と声をあげて笑った。
ちょっと笑ってすぐに痛みで丸まった。
「そ、そっか、わかってんならいいや……ってて」
そう言ってゆっくり体を起こし、フレデリクさんが久方ぶりに自らの力で立つ。
「シャワー中はのぞかないでね」
「のぞきません!」
冗談を言う余裕があるのなら大丈夫だろうか。タオルを渡して、シャワー室の扉が閉まったら、私も小部屋に入ってさっさと着替えを済ませた。
それこそ、お父さんが誤解をすることがないように迅速に。
シャワーの音が響き渡る中、私はまず夕飯の準備を始めた。
ティアさんたちへのお土産を買うついでに買ってきたハムを包みから取り出して、一旦冷蔵保存魔法箱にしまう。
扉を開けてしまったついでに、中身を確認する。
一昨日買った卵が残り半分くらい。作り置きしておいた根菜の炒め物が今日で終わってしまう。野菜もこれ以上残したら傷んでしまいそうなので今日使った方がいい。
主菜用の乾燥パスタと、瓶に詰められたソースはまだたっぷりあるので、野菜を細かく刻んでソースと合わせよう。
「よし」
献立を組み終えて、時間を確認する。
作るものから逆算してもまだ時間はあるので、先に学園から出た宿題に取り組んでおこう、と、床に放っておいたカバンの存在を思い出して手に取り、窓際の机に向かった。
今日の課題は総合魔法応用学の、魔法陣基礎練習と発展問題。
1年生の頃よりは複雑化した単一魔法の陣を丁寧になぞる。雑に描くと陣は発動しないのでなるべく丁寧に、だけど素早く完成するように、頭に叩き込みつつ。
文字の練習と似ている。一つ違うのは、この図柄には魔法の即効性があることだ。
私はまだ未成年なので、家で魔法陣を発動させることはできない。ゆえに宿題なのだ。ちゃんと書き取りができたのかを確認するのは明日の学園時間までお預けだ。
なぞるだけの課題は、ポンコツな私でも問題なく終わらせることができた。
難しいのは、次の発展問題だ。
『直径約10cmの石を浮かせ、その上でヒビを入れるための魔法陣を、一辺10cmの正方形の中に自由に描きなさい。浮かせる高さについては、目視が可能であれば上限は問わない。』
「石を浮かせるんだから、やっぱり風属性かな。でも石の重さを考えると同じくらいの魔法陣じゃ威力が足りない……。浮かせた上でヒビってことは、最初にヒビを入れる魔法陣を敷かないといけないから……え、ヒビってどうやって入れれば良いんだろう。物理……外的ダメージ……? 陣でそんなの作るなんて習ってないから無理じゃない……?」
家だからとおかまいなしに独り言を呟いてメモを走らせるけれど、考えはまとまらなくてただの文字列が、正方形の空白を形取るようにしてノートに埋まっていく。
「水で湿らせて石を弱体化させる、とか……」
「発想は悪くないが、遠回りすぎるかもね」
「!!!」
突如背後からかけられた声で集中をかき消される。
驚いて振り返ってみれば、髪の毛がまだほんのり濡れているフレデリクさんが興味津々な顔でノートを覗き込むように立っていた。
髪の毛から雫が垂れないように、タオルで頭を包み込むように両手で押さえながら、フレデリクさんは話を続けた。
「この問題に則った魔法陣の順序は理解してるよね?」
「え、は、はい。ヒビを入れる魔法陣の上に、浮遊させる魔法陣を重ねて描きます」
「そうそう。後に描いた陣の効果から発揮されるからね。それで、躓いているのは最初から?」
「……はい………」
「あはは、そう肩を落とさないで」
自分の能の無さに恥ずかしいやら情けないやらでショゲてしまうと、フレデリクさんが軽やかな笑顔でいなしてくれた。
難しいことなどないとでも言うみたいだ。
「あの……」
もしかして、フレデリクさんはこの問題の答えがわかるのだろうか。
魔力を、もっていないのに………?
机を覗き込むようにしてフレデリクさんが右手を机に置く。距離が近くなって、清潔感のある香りがふわっと漂ってなんだかドキドキしてしまい、先程までの疑問がどっかに飛んでいった。
「石を浮かせるという状況を逆算させよう」
「ぎゃ、ぎゃくさん」
「ん? どうした?」
「いえ! えっと、つまり……?」
私はペンを持ち直す。ノートの上にフレデリクさんの指が滑る。
「石がすでに浮いてる状態を想像してみて。思い浮かんだシーンを具体的に言葉にしてみるんだ。どんな場所で、どんな力で、どんな石が浮かんでいる?」
私は目を瞑り、イメージしてみる。できるだけ詳細に、フレデリクさんの言うとおり口に出して説明する。
「広い大地で、黒くて硬い両手サイズの石が、大きな竜巻に巻き込まれる形で浮かんでます。飛ばされている、みたいな……」
「なるほどね。確かに、この石をそのまま浮かすには小規模でも竜巻くらいのパワーがないと難しいね。だけど、この限られた大きさの魔法陣から、イメージしている竜巻を生み出すパワーは作れない」
「う……」
私がつまずいているところをフレデリクさんは当たり前のように指摘した。
けれどもその口調は優しく、責めるようなものではない。むしろ、一緒に確認し合うかのような寄り添いを感じる。私に入った肩の力がだんだんと抜けていくのを感じる。
「それと、条件にはこの石を砕かなくてはいけないんだよね? それはどうやって実行する予定だった?」
「それは……外側からの衝撃、とかで……」
改めて口にすると、自分の想像力すら未熟であったことがよくわかった。その事実に、萎縮して背中が丸まってしまう。
「解決すべき問題点が見えてきたね」
自信をなくしていく私に、ふわりと優しいフレデリクさんの声が重なっていく。
私からペンを取って、空いたページに文字を書き進めていく。
・石を割るために衝撃を与える具体的な方法を見つける
・この大きさの石を浮かせる方法をもう一度別角度から考えてみる
そう箇条書きにサラサラと書き進めた。
───……あれ? フレデリクさんって、外国の方ではなかったっけ?
見た目とのギャップに、私は違和感を持つ。
あ、でも……そういえば彼は伯爵家で家庭教師をいていたのだっけ……。
なら不思議なことはないのか。浮かんだ疑念を自己解決して、もう一度フレデリクさんの言葉に耳を傾けるのだった。




