2 傷だらけの人
「あっ、あの、あの、大丈夫ですか…!? 生きてる…? ど、どうすれば……」
痛々しい傷に触れるわけにもいかず、私の手は空を切るのみ。ああこんなとき、治療魔法の心得があったのなら……何も言わず魔法を使って話を聞けただろうに。治癒魔法は高位魔法なので、学びたての私にはとても理解できない学問である。
そんなことを考えつつも目の前の彼をどうにかしなければ、と男性の肩に触れた瞬間
「ん、う……」
低く男性が呻き、ゆっくりと目が開いた。意識があることにまず私はほっとした。
「大丈夫ですか? 動けますか…?」
「ああ、うん、大丈夫……じゃないね、いったた……」
起きあがろうと地面に腕をついた男性は、もう一度力無く上半身を地面に投げた。
「ごめん君、背中側から俺を起こしてくれない? 腕とお腹に力が入らなくて…」
「もちろんです!」
荷物を置いて男性の頭部の方に座り、なるべく男性の腕を触らないように背中と地面の下に手を入れて、あとは手のひらで押すようにして持ち上げた。ひとまず、男性は座る形になった。
「ありがとう。一回休もう」
「はい…」
体を起こした男性も、持ち上げた私も、慣れない疲労にふうと一息つく。私は改めて男性をまじまじと観察した。
この国には珍しい銀髪と灰色の瞳、体格も良いので私よりも年上だろうか。土で髪も顔も汚れてしまっているが、鼻筋も綺麗で人当たりの良さそうな顔つきをしている。
ありがとう、と言ってくれたときの眉尻を下げた笑顔が、人懐こさを思わせるのか、とにかく、警戒心をすぐに解かせてくれそうな綺麗な人だな、と思った。
けれど先ほどの、「魔力なしの愚図」という言葉が引っかかる。あの言葉の通りなのだろうか。
そうなのであれば、彼がここまで虐げられてしまう理由も納得してしまう。
魔法の力でこの国が栄えている一方、魔力がなければ生み出された道具を使いこなすことはできない。そうなると職に就くのも難しい。
彼の見た目ほどの年齢なら学園に通うか仕事に出るか、といったところだろうけど、魔力がないのだとしたら、生活が厳しそうだ。
今更ながら、私は怪しい人を助けてしまったのでは……?
もしも魔力無しであることから、魔力感知の目を潜って活動する裏社会の人間だったとしたら、私はこのまま、どこか非合法な場所に連れて行かれるんじゃないか。彼が満身創痍で動けない今のうちに逃げるべきか……。
そんなことを考えたけれど、彼のまとう雰囲気や先ほどの人の良さそうな笑顔に絆され、私は何を馬鹿なことを考えているんだ、と打ち消した。
彼が傷ついていることに加え、家が近い、というのも理由の一つだった。
そして何より、こんな怪我を負った人を見捨てる勇気が出なかった。
「俺の名前はフレデリク。昨日までジャロワ伯爵家の次男の家庭教師をしていた」
男性、改め、フレデリクさんが自己紹介を始めた。
「君がどこから見ていたかわからないけど、俺をこの状態にした人たちは多分長男の側の人間だね。今日になって、俺は伯爵夫人の宝石を盗難した疑いで家庭教師をクビになり、ボコボコにされてここに捨てられた。以上さ」
「そ、そんなあっさりと言いますけど……」
「このままじゃ俺がどんな人間かわからなくて、君も扱いに困ってそうだったから……とりあえず身の上と経緯を伝えたつもりなんだけど」
「ジャロワ伯爵様は聞いたことあります。多分親戚筋の方が学園に通っているので」
「確認を取れば、雇われていた事実は明らかになるだろうね」
「でも、その……あなたが宝石を盗んだ、というのは」
「俺の証言だけで信憑性はないけど、事実と異なるね」
「そ、それじゃあ冤罪じゃないですか……! 伯爵様に雇われるほどの人が、どうして」
「単に目障りだったんだろうね。色んな意味で。ともかくこれで俺の怪しさは払拭できたかな? そろそろ行かないと空腹で倒れそう…」
フレデリクさんは足の力だけで立ちあがろうとするが、うまく力が入らないのかひどく不安定なので私は慌てて彼の背中を支えた。
それに、どこに行こうというのか。
「ご自宅は近いんですか?」
「いや? 今日は野宿かな。住み込み契約だったんだよね」
満身創痍の中野宿だなんて傷を悪化させるだけだ。聞いてしまった以上放って置けるわけない。
「じゃあうちに来てください。今夜だけでも」
「ええ…?」
正気?と言わんばかりに怪訝そうな表情でフレデリクさんが私を見た。それと同時にまた傷が痛んだのかお腹を抑えて苦痛に表情を歪めた。
「ほら……そんな状態で野晒しにはできません」
「大丈夫だよ、俺は頑丈だから。っていうか、会ったばかりの男を家にあげるだなんて不用心すぎない?」
「ここで会ったのも何かの縁です。もしあなたが本当に盗人だったとしても、うちに何か盗めるようなものはありませんから」
「そういう問題じゃ……ったた」
「喋ると傷に響くんですね、じゃあこのままうちに向かいましょう。すぐそこなので頑張って歩いてください」
「君って、結構強情……いつまでも君っていうのもアレだし、名前を聞いてもいい?」
「……」
フレデリクさんの腕を肩に回しつつ背中を押さえた私は、少しの沈黙の後答えた。
「アリアです」
フルネームでは答えなかった。たまには誰か他人に、私のことをただの「アリア」だと認識して欲しかったからだ。
「そう、アリア、改めてありがとう。あ、ったた…」
「家に着くまでは喋らないで!」
フレデリクさんの声で呼ばれる自分の名前は、なんだかくすぐったかった。
***
「だからねお父さん、しばらく彼をここに匿ってあげたいの」
「お前はまた面倒なもん拾ってきたなあ」
お父さんにぎろりと睨まれたフレデリクさんは苦笑しながら顔を引き攣らせていた。それもそうだろう。
お父さんは屈強で筋肉量が多い、いわゆるマッチョ。土魔法と強化魔法に長けているので土木の仕事をしている。おかげで年々筋肉の質が上がっている……気がする。
「ああ、だからアリアは俺を拾って家まで……」
納得したようにフレデリクさんが呟いた。
当然、私一人暮らしだったら彼を家にあげることはきっとなかっただろう。多分、玄関前の廊下が限度だった。しかし我が家には素晴らしい門番がいる。
私のお父さんだ。
「あ? おい、こんな得体の知れないやつに名前教えたんか? まさかフルネームを言ったのか?」
「名前だけ」
「そこは偽名を言うんだよ。こいつが裏社会の人間で呪いとか使ったらどーすんだってんだ。噂だと呪いには名前とか髪の毛とか使うんだろう?」
再びお父さんが眼光鋭くフレデリクさんを観察する。すっかり萎縮したフレデリクさんは傷の痛みも合間ってかか細い声で
「でも俺は魔力なしなんで……」
と抵抗していた。
お父さんもその返事には片眉を上げて「ほお? そうなのか」と態度を軟化させた。この国の魔力なし差別を思って、フレデリクさんの境遇を想像したのかも知れない。
私は改めてフレデリクさんの身の上を説明した。
彼が私に伝えてくれた内容程度だが、ひとまずお父さんは納得したようだった。
「とはいえ、良い人間かどうかはわかんねぇからな。俺のことは親父とでも呼べ。アリアもフルネームは教えるなよ。名前書いてあるもんもしまっとけ」
「うん、わかった」
「んで、あいにくだが、この通りうちは狭い。お前はそこで休め。くれぐれも、アリアの部屋には入るなよ」
ビシッと指をさしてお父さんが釘を指す。
「ひとまず今晩は動けないので安心してください……」
小さいソファの上に寝かせられたフレデリクさんが、よろよろと右手を挙げながら返事をした。
「アリアと二人きりにすんのもこの家に一人にさすのも悩みもんだな……今のうちに隣のジジイに頼んでくる」
「迷惑かけちゃうね……明日私の方でお礼品買ってくるよ」
「おう。それも伝える」
バタン、と扉が閉まると、早速お父さんはお隣さんであるマドロおじさんに話をしているようだった。壁が薄いので、玄関フロアの声は筒抜けだ。この階にはマドロおじさんのお部屋も合わせてあと3部屋あるので、その人たちにもきっと状況は筒抜けだろう。
「アリア、本当に、ありがとうね」
「え?」
「こんなに親切にしてもらえるのは、二度目だ」
痛みと格闘しながらも、フレデリクさんが言葉を紡ぐ。私はキッチンで桶に水を入れ、棚にしまっているタオルを一枚取り出して水に浸しながら彼の言葉に相槌を打った。
「家庭教師をしたって言っただろう。ジャロワ伯爵夫人は、行き倒れている俺を助けて、それで俺が孤児たちにものを教えてることを知って自分の息子の家庭教師にって雇ってくれたんだ」
「大胆なお方なんですね」
「ほんとだよね。異国の血が混じった魔力なしの俺を雇うなんて」
自嘲気味にフレデリクさんが言い捨てた。私は濡れたタオルで彼の汚れている部分を拭き取る。
まずは顔から、丁寧に。
「だから灰色の瞳なんですか?」
私が彼の瞳を観察すると、その瞳は私の姿を写した。
「うん。父親はわかんないんだけどね。手がかりをもらってこの国にきたんだけど、魔力がないからお金に困って困って……」
フレデリクさんがそう言いかけた時、私たちの顔の距離が近いことに気づき、私もフレデリクさんも赤面した。
「ご、ごめんなさい……!」
と言って離れようとした時
「何やってんだァおめえら!!」
というお父さんのがなり声と共に、私の襟が掴まれてぐいっと引っ張られ、思わず「ぐえ」と汚い声が漏れた。
「やっぱ二人にはさせらんねーな! おらタオル渡せ、そんでお前はこっち向け、俺が拭く」
「あ、すみませ、あ、あ゛痛い痛い!」
「男ならもうちょい我慢できねーのか。せっかくデケェんだからもっと筋肉つけろ俺みたいに」
「いたたた、あっいっ……———ッ」
もはや痛いと声を出すことも辛いのか、呼吸だけになるフレデリクさん。
私はムキムキのフレデリクさんを想像して、ちょっと嫌だな……と眉を顰めて二人を観察するのであった。
***
次の日のフレデリクさんは高熱にうなされていた。
前日の怪我の具合から熱を持ってしまったのだろうというお父さんの見解に納得しつつも、心配がまさって学園に行くことを躊躇してしまう。
けれどもお父さんが私の学業に対して並々ならぬ責任を持っていることもあって、よっぽどのことがなければ休むのは良くないという教えだったから、私は渋々学園に行く準備を済ませた。
「フレデリクさん、聞こえますか? 私、そろそろ出ます。夕方には戻るので安静にしていてください。お水はキッチンから自由に汲んで飲んでくださいね。コップは机に置いておきます」
お父さんも身支度をしている。私たちが不在の間は昨晩お願いしたように隣人のマドロおじさんと、その奥様であるティアさんが診てくれるようだ。私がカバンを持ってそろそろ家を出ようという時に、ノックの音が聞こえた。
「忙しい時間にごめんねえ。先に面倒見る人について聞きたくて」
現れたのはティアさんだ。
「はい、えっと今ソファで熱にうなされているんですが……」
と私がフレデリクさんについて説明しようとしたら、お父さんが「おいアリア」と私を止める。
「時間がないからお前は行け。ここは俺に任せろ」
少し厳しいお父さんの眼差しに有無も言わせない空気を感じた私は、
「うん。わかった……」
と力無く返事をして、ティアさんにぺこりとお辞儀をすると階段を駆け降りた。
道に出て自分の住む部屋を見上げ、後ろ髪を引かれる思いのまま学園へと歩みを進める。
その日はフレデリクさんの様子が気になって、いつもよりもミスが多くなってしまった。幸い、怪我人を出すなど人への迷惑は起こさずに済んだけれど、自分の不出来に落胆してしまい、より一層気分が沈んでしまうのであった。




