20 最初から
天気はあいにくの曇り空で、空の色はオレンジがすっかり隠れた藍色に染まりつつある。
そんな日は街の喧騒も落ち着いている気がして、子供の数が少ないからかな、私たちの足音が石の上で鳴っていくのを心臓の鼓動音と共に聞いている気分だった。
多分、私の視界に見えない範囲で護衛の方がいらっしゃるはず。なんとなく場違いな視線を感じながらいつもの帰路についていることが、余計に緊張感を持たせているようにも思えた。
「こっちが私の住む場所がある通りです」
短いアーチ屋根のトンネルの先を指差して、ナダルさんが道を視認したのを確認して、私は再び歩き始めた。
もうすぐ目的の場所だ。
フレデリクさんは古井戸を囲う建物のうち、2階に小さなバルコニーがある場所で身を隠している。
2階とはいえ、いざという時は飛び降りてくるかもしれない。怪我がないといいんだけど。
誰もいないのを確認して、私は古井戸の前で足を止めた。
そして振り返ると「本題だね」とナダルさんが私と向き合ってくれた。
「なにから、話したらいいものか……」
私は緊張と罪悪感とで言葉に詰まってしまう。
「とりあえず座って落ち着こうか」
ナダルさんは目の前の古井戸の縁に腰を預けた。その隣にくるよう私を促してくれたので、誘われるままに私も隣に腰掛ける。
距離が近い分、秘密の話をするのにちょうどいいなと思い、バレてはいけないという緊張は少しだけほぐれた。
「まず、ナダルさんに謝らなきゃいけないことがあります」
フレデリクさんのことを打ち明ける時がきた。
「私──……本当は、フランチェスコの居場所を知っていました」
厳密には、私が知ったのもつい最近のことだけれど、ナダルさんからしたら関わりのあることを隠していたようなものだ。
自分の罪悪感から少しでも解放されたいという欲望で、私は罪を自白するかのように語り続ける。
「本当は少しでも可能性があるならナダルさんに共有しておくべきだったのかもしれませんが、私の個人的な感情で隠していました。本当に、ごめんなさい」
「その人は、今どこにいるの?」
「今も近くで見守ってくれています。ナダルさんが不快でなければ、直接会って話をしたほうが早いかもしれないので」
もっと事情を詳しく説明して、保険に保険を重ねた状態で二人を引き合わせる予定だったのに、話の流れに乗っかってつい、二人の合流を提案してしまった。
私はハッとして、「まず、ですね」とナダルさんの返事がくる前に言葉を挟む。
「その人の出会いと、抱えている事情を私の方から話してもいいですか。本人から許可はもらっています!」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
ナダルさんの声のトーンは、想像していたよりも変わらなくて、その事実が少しだけ心を不安にさせた。
私は結構大きな告白をしたはずだったのに、ナダルさんは驚きの一つもない。
彼の顔を、うまく見れない。
ひとまず、なるべく簡潔に、そして嘘偽りがないように、フレデリクさんとの出会いから今までを話した。
その間もナダルさんはいつも通りの相槌を打ってくれて、その落ち着きに反して私の鼓動が早鐘を打っていた。
「───そして、ナダルさんとイシュールさんのお話から、フレデリクさんがフランチェスコなのだと確信を得た私は、昨日フレデリクさんに事実確認をしました。フレデリクさんは正体を認めて、フレデリクさんのお母様のためにも自分のルーツを知るためにこの国に来たのだと教えてくれました」
ナダルさんは静かに私の話に耳を傾けてくれている。
「彼に反旗の心はありません。そしてできれば、印章探しにも全面協力したいと申し出てました。なので、ナダルさんがよろしければ、フレデリクさんの協力を認めてくれないでしょうか。もちろん、表立ってだと問題が起きるかもしれないので、今まで通りひっそりと、ですが」
穏便に出会えるよう言葉をつくす、と言ったのに、全然できた気がしない。
自分のできなさに愕然としながらも、一生懸命さが伝わればという思いを込めて私はようやくナダルさんの方に視線を向けた。
「……」
ナダルさんは無表情だった。
けれど、私と目が合うと、口元に笑みを浮かべた。
「アリア」
「……はい」
「知っていたよ」
ナダルさんの言葉に、一瞬で肩から冷気が通り抜けたような感覚に陥る。
「最初から知っていたんだ」
「なに、を」
「私の執事がアリアに声をかけたあの日、最初から私たちの狙いはアリア・ネーロ、君だったんだ」
走馬灯のように、ガーデンでの出会いが思い出された。
あの日から、今まで……?
「もし隠し通していたら、君に処罰を与えなくてはいけなかった。だから、全部話してくれてありがとう」
「あ……」
「ああ、そんな怯えないで。あくまで隠したら、の話だから」
ドクンドクンと嫌な予感に鼓動が早くなっていく。
ナダルさんとの今までの思い出も、嘘だったのかもしれないと思い指先まで冷えていく気がする。
そして同時に最悪の未来を予想してしまう。
「それじゃあフレデリクさんは……!?」
私はフレデリクさんの正体を打ち明けてしまった。
彼の存在を隠すことが禁忌だったとしたら、正体を知られた今は……!?
傷ついた心とこれから訪れるかもしれない恐怖から、私は思わずナダルさんの両腕を強く掴んでしまう。
「……それも心配しないで。事実がわかった今、彼の警戒レベルは引き下げられるから」
「…………本当に?」
「……うん」
ナダルさんの言葉に安堵して、私はまるで長い間呼吸を止めていたかのように、大きく大きく息を吸って吐いた。
掴んでしまっていたナダルさんの両腕の感覚を思い出し、慌てて手を引っ込める。
「ごめんなさい、私……!」
思わず周りにいるであろう護衛の方々に無実だと知らせるように両手を大袈裟にぶんぶんと振った。
けれど、振り払った指にまだ熱は戻らない。
想像以上に、ナダルさんの出会いが仕組まれたことだったという事実が、ショックだったのかもしれない。
じわじわと悲しみが押し寄せてきて、私は俯いた。
「……アリアは、そんなにもフランチェスコが大事だったんだね」
ぽつりと、ナダルさんが呟いたのは文脈から逸れた内容だった。
私は突然どうして、と首を傾げる。
「私が友人になれば、アリアの中にあるフランチェスコの役割も薄まって関係が切れると思ってたのに」
「……ええ……?」
「私が友人になるよりも前に、君たちはもっと仲良くなっていたんだ。私……というか、皇族への忠義も塗り替えてしまうほどに。それは誤算だったなあ」
やれやれ、と言いたげなナダルさんの言葉に、私は失望を抱いた。
「やっぱり、全部嘘だったんですか」
思わず出た言葉は平坦な声色で紡がれた。
「たしかにフレデリクさんは大切な人です。でも」
あなたは私を「ただのアリア」として呼んでくれるもう一人の人だったのに。
「ナダルさんのことだって、大事な友人だと、思っていたのに」
居ても立っても居られなくて、私は古井戸から離れた。
私の言葉を受けたナダルさんが、少し驚いたように目を見張っていた気がするけれど、もうその表情を確認するのも辛くて、私はフレデリクさんがいるであろう建物の方に向かう。
「……あとは、フレデリクさんと直接お話になってください」
本当は、3人で作戦を練れたらと思っていた。
けれど、そのままナダルさんの隣にいたら惨めにも泣いてしまいそうで、私はそばで見守る形を取ることにした。
私と入れ替わるように広場に現れたフレデリクさんが、すれ違いざまに私の頭を撫でていく。
その温もりが、少しだけ私の心を癒してくれた。




