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嫁ですがなにか?!  作者: 暁
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花束を君に




「ね~柿崎サ~ン!俺もう疲れたぁ!休憩しよー!コーヒーブレイクしよーよー!!」


床に座り込み駄々をこねる本橋に、柿崎は面倒そうに顔を上げた。


「ったく!さっきの休憩からまだ十五分しか経ってないだろう!!口より手を動かしやがれっ!!」


そう言うと、調理用のエプロンとは違う紺色のエプロンをした柿崎は、ぞうきん片手に再びキッチンの床を拭き始めた。

本橋はムスッと口を尖らせ、柿崎の尻に向かって文句を続けた。


「だぁってさぁ!ここ昨日も掃除したんだぜ?っつか、部屋中くまなく掃除したじゃん!もう舐めれるくらいピッカピカだよ!?窓ガラスだってこんなに磨けば穴空くんじゃね?」


もううんざりだと言わんばかりに、磨き込まれたフローリングに大の字になった。そのあまりの大人気なさに、深い溜め息をつくと、渋々体を起こした。


「・・・・ったく。煩い居候だぜ。」


大の字でストライキを起こす弁護士を見下ろし、半目の柿崎はようやくぞうきんを置いた。

掃除用のエプロンを外すと、「・・・・なにが食いたい?」と、いつもの作戦に打って出た。


「もう食い物には釣られないよ!」


本橋にも学習能力は存在する。そう何度も同じ手には引っかからない!と寝転んだままそう言った。

柿崎は呆れたように嘆息すると、調理用のエプロンを腰に巻いた。


「ハイハイ。とりあえずホットケーキでも食べながら一休みするか。」


そう言ってフライパンとミックスの袋を取り出すと、すかさず「フライパンサイズじゃなきゃ納得しないから。」と注文が入った。



学習能力は妄想だったらしい。



仕方がないなと嘆息し、直径二十六センチの巨大ホットケーキを焼いた。

意外に甘いものが好きな本橋は、メープルシロップをこれでもかと掛け、満足そうに頬を膨らませた。


柿崎はとりあえず四分の一を自分の皿に取り分けると、糖分の補給を済ませた。

当然のごとく、残りのホットケーキは本橋の胃袋へと片付けられる。





柿崎がこんなにも浮かれているのは、梢の退院が五日後に決まったからだ。



歓喜に舞い上がった柿崎は、居ても立ってもいられず、準備だ掃除だとはしゃいでいるのだ。

本橋も、梢の退院を喜んでいた一人なのだが、浮かれまくっている柿崎に夜遅くまでこき使われ、喜びを素直に表現できずにいた。




そして、喜びと共に沸き上がるいい知れぬ感情を、一人持て余していた。





既に日課となった梢への見舞いも、あと三日で終わる・・・エレベーターで運ばれながらふとそんなことを考えた。


ズキッと胸の奥が痛み、本橋は無意識にその部分に手を当てた。滑らかな手触りのネクタイの奥、その深いところで何かが渦巻いている。しかし、直ぐにその手をポケットの中にしまうと、本橋はその痛みの理由について、考えるのを止めた。



それは、無駄な事だと、有能な弁護士は知っているのだ。





軽い電子音と共に扉が開き、通い慣れた廊下を歩く。ナースステーションの角を曲がると、多くの患者が夕食のトレイを戻しに廊下に溢れていた。にこやかに患者同士で会話する者。点滴スタンドをお供にふらふらと歩く者。それらを気遣いながら職務に励むナース達で、廊下はごった返していた。


人ごみを掻き分けるように進み、目的の病室にたどり着く。開け放たれたドアの向こうに、俯き加減で溜め息をつく梢が見えた。考え事でもしているのか、戸口に立つ本橋に気付く様子のない梢を、彼はじっと目に焼き付けるように眺めた。





病院の食事は、正直美味しいとは言えない。

それは、病室という特殊な空間がそうさせるのだろう。決して、メニューが嫌いなものだからというだけではないはずだ。

そんなことを考えながら、梢はベッドに渡されたテーブルの上のトレイをじっと見ていた。


淡いベージュ色のトレイの上には、陶器の茶碗によそわれた緩い粥と、小さな皿に大粒の梅干しが一個乗っていた。梢は、それらをジッと眺め、何度目かの溜め息をついた。


「食べないの?」


不意に掛けられた声に、ハッと振り返ると、本橋がコートとカバンを片手に戸口に立っていた。

梢は自然に笑みを浮かべる。


「おかえりなさい。啓哉ひろや。」

「ただいま。冷めちゃうよ?」

「・・・・・お腹、すいてないの。」


梢はさりげなくトレイを押しやった。その様子に、本橋はクスッと笑った。


「・・・嘘つけ。」

「・・・・・・・・・」


梢はお粥が嫌いだった。ついでに言うと、“おじや”や“ドリア”など、要するに、水分を含んでふやけたご飯が嫌いだった。

昔、梢が熱を出した時に本橋が作ってあげた事があるが、梢は食欲がないと言って、殆ど手をつけなかった。本橋はそれを思い出し、苦笑いを浮かべながら椅子に腰掛けた。


「おまえ、昔っからお粥が嫌いだったよな。」

「・・・そんなこと・・・・ないよ」バツが悪そうに視線をそらした。

「俺がせっかく作ったお粥も、食べなかったよね?」眼鏡の奥で意地悪く目を眇める。

「・・・た、食べたじゃない。」

「ほんの、一口ね。」

「・・・・」


梢は二の句が繋げず、さらに気まずそうに顔を背けた。その横顔を見て、ニヤリと笑むと、おもむろに茶碗を取り上げた。


銀色のスプーンを取りあげ、すっかり冷めてしまった粥に梅の果肉を丁寧に混ぜ合わせはじめた。

梢の脳裏に嫌な予感が過る・・・それは、すぐに現実となった。



本橋は、丁寧にスプーンで掬い取ると、梢の前に差し出した。梢は『やっぱり・・・』と眉根を寄せ、口を真一文字に引き結んだ。その反応を楽しむように、本橋は梢の顔を覗き込む。


「ほら梢、あーん♪」

「・・・・・・・・」


絶対に嫌だとばかりに、ムスッとしたまま、スプーンから顔を背けた。

本橋は、ふぅ、とわざとらしい溜め息をつくと「甘えただなぁ」とスプーンを持ったまま、人差し指で梢の頬を突いた。梢は尚も顔を背けたままだ。


「なに?柿崎サンに食べさせてほしかったの?それも、口移しとか?梢やらし~な~」

「なに言っーーーーうぐっ!」


なに言ってんのよ!と言いかけた梢の口に、すかさずスプーンが差し込まれ、ねっとりとした粥が舌の上に乗せられた。唇から溢れた粥も、スプーンで器用に掬いとると、次のお粥と一緒に掬い上げた。


大嫌いな舌触りに身震いするが、吐き出すわけにもいかず、渋々ごくりと飲み込むと渋い顔をした。


「うえ~~~!」

「よしよし♪い~こだね?」


本橋はからかうように笑った。梢は急いで麦茶を口に運び、眉根を寄せて本橋に向き直った。


「~~~~~ひ、啓哉、ひどーーーーうぐぅ!!」

「はいはい、あ~ん♪」


文句を言おうと口を開くと、すかさずスプーンが差し込まれ、否応なくねっとりしたものが舌の上に乗せられた。涙目でお粥を飲み込む梢に、本橋は満足そうに笑いながら、次の分を掬い取った。


梢は、同じ手に引っかかってたまるかと、そっぽを向いた。スプーンが追いかけて来ると、更に顔を背けて抵抗する。


「ほら、もう一口食べなよ」

「・・・・・」無言で首を振る。


梢は、こうなれば持久戦よ!との決意を新たに唇を引き締めた。

本橋は、余裕の表情で、茶碗の中の粥をスプーンで梅肉と混ぜ合わせている。


『あの時、ちゃんと話しを聞いてやってれば・・・』元に戻せない時間が脳裏をよぎり、それを振り払うように男は小さく首を振った。




梢は相変わらず唇を引き結んでいる。こうなると、ちょっとやそっとじゃ口を開けないだろう。

本橋はいい手はないかと考え、そして、思い出したようにぽつりと口を開いた。



「・・・柿崎サン、女に会いに行ってるんだ。」

「え?ーーーんん!!」


振り返った梢の口に、銀色のスプーンが容赦なく押し込まれた。

あまりいい手ではないが、この際しかたがない。と、食事の主導権を握る男は、勝手に自分を納得させた。


本橋は、粥をスプーンで掻き集め、梅の果肉と丁寧に混ぜ合わせながら、今の言葉を反芻はんすうしている梢の様子を目の端で伺った。


梢は複雑そうな顔で唇を震わせている。本当は、そんな顔をさせたい訳ではないが、食事を取れるようにならなければ、体力も戻らないのだ。心を鬼にする必要がある。本橋は上手にスプーンに粥を掬い取ると、チャンスを待った。


「・・・そ、そんなの、嘘なんでーーーうぐっ!」


僅かに口を開くと、スプーンが容赦なく押し込まれ、言葉がさえぎられた。梢は不本意を顔に浮かべて本橋を睨むが、本橋は意に介さず、別の一口をスプーンで掻き集めた。


「はい、あーん♪」

「・・・・・・・」


梢は冷めてねっとりしてるお粥を、ごくりと飲み込むと本橋を睨んだ。梅の果肉が混ざっていても、不味まずいものは不味い。顔全体で不味さを訴えてみるが、眼鏡の奥の瞳が楽しそうに細められるだけだった。



「ほらほら梢、ちゃんと食べないと退院できないよ?」


スプーンには、ちょっと大目のお粥がスタンバイしている。


「も、もう!自分で食べるからスプーン返してよっ!!」

「だーめ♪」

「ねえってばーーーーーうぐっ!!」


スプーンを取り上げようと腕を伸ばすが、軽く交わされた挙げ句、見事なフットワークでディフェンスを交わしたスプーンが口に差し込まれた。


見事なゴールを決めたスプーンは、すでに次のゴールを目指してたっぷりとお粥を乗せている。


「・・・・」涙目で租借そしゃくする梢は、もう既に諦めモードだ。

「はい、あーん♪」


わざとらしくそう言うと、スプーンをへの字の口元に運んだ。梢はより頑に口を閉じている。

本橋は至極楽しそうだ。と梢は思った。


「なに?怒ってんの?」

「・・・んんん?!(別に)」


梢は口を閉じたまま首を振った。口を開くとまたスプーンを押し込まれるからだ。

本橋は笑いを堪えて座り直した。本当はさっきの自分の台詞が気になって仕方がないのだろう。



『裕一郎さんが女と会ってる?どういう事なんだろう・・・?気になるけど、また罠かもしれないし・・・』


口に出さなくとも、苦虫を噛んだような顔に書いてある。本橋はぷぷっと吹き出した。


「これ全部食べたら教えてあげる♪」


梅の果肉でピンク色になったお粥をスプーンに盛り、ニコニコと差し出す本橋に、梢は眉を寄せて唇を噛んだ。


「・・・・・」


本当は、何を知っているのかを問いただしたい。しかし、冷たくなって不味さが倍増しているお粥を、強引に口に入れられるのも嫌なので、悔しいが黙っているのだ。それが手に取るように伝わって来る。本橋はそれが面白くて仕方がない。



彼女の膨れっ面を覗き込むと、「・・・どんな女か、知りたい?」と、更に梢を煽ってみせた。

梢は両手で口を押さえながら「知りたくない!」と、くぐもった声で強がってみせた。


本当は知りたくて仕方がない。彼が自分を裏切るとは思えないからだ。だが、理由もなしにそんなことをするとも思えない。本人から話しを聞くのが一番だ。梢は決意を固めるようにぐっと唇を噛んだ。




『梢はこんなに強い女だったろうか?』


本橋は、複雑な想いでそんな横顔を見つめた。二人の間には、それだけの時間が流れているのだ。



「・・・俺とやり直さないか?」

「え?」

「・・・ぁ・・・」


考えて発した言葉ではなかった。ただ、ずっと胸の奥底でくすぶっていた感情がそうさせたとしか、言いようがない。


梢は驚きに目を見開いて自分を見ている。本橋は、急激に顔が熱くなるのを感じた。


「ーーーーす、隙あり!」

「んぐっ!!」


なんとか取り繕おうとしていた本橋は、ぽかんとしている梢の口に、すかさずスプーンを押し込んだ。

軽くむせながらお粥を飲み込むと、梢は涙目で本橋を睨んだ。


「ず、ずるい~~~!!」

「でも、ほら!完食~♪」

「・・・・もう」


すっかり冷めた麦茶を口に運びながら『今の言葉は・・・?』梢は戸惑いを隠すように麦茶を飲み切った。本橋も、思わず口走ってしまった事が気恥ずかしく言葉が出てこない。室内に気まずい空気が満ちた。





な、何か言わなきゃ・・・




二人が言葉に迷っていると、耳馴染みみなじんだ声が沈黙ちんもくやぶった。




「どうした?」


「「ーーーー!!!」」


急に声をかけられ驚きに跳ね上がると、二人が同時に振り返った。そこには不思議そうな顔をした柿崎が立っていた。

やっとギプスが外れ、サポーターが巻かれた足を杖一本で支えている。リハビリは週明けから始まるらしい。



「あ・・・おかえりなさい。裕一郎さん」

「ただいま。」


柿崎は目元を緩め、中へ入ると扉を閉めた。本橋も梢も、なにかぎくしゃくとしている。



笑顔が引きつっているような?柿崎の眉間に皺が寄った。


「何かあったのか?」


「べ、別になにも・・・」

「・・・ふ~ん・・・」


引きつった笑顔で首を振る二人に首を傾げつつ、ベッドに杖を立て掛け、コートを脱ぐと、軽く整えてベッドの足下に掛けた。



恒例の【ただいまのキス】をしようと顔を寄せると、「その前に」と、梢に止められた。



白い指先に押し止められた男は、きりりと眉を上げる梢を、不思議そうに見下ろした。


「・・・梢?」

「裕一郎さん、お伺いしたいことがあるのですが。」

「ん?」


なにやら不穏ふおんな空気が漂っているような・・・?柿崎は、少々不本意そうに首を傾げて体を起こすと、梢を見返した。



重々しい空気を纏い、真っ直ぐに見上げるその目は、複雑な想いを称えて揺れている。

何があったんだろう?そう尋ねようとした柿崎に、爆弾はいきなり投下された。



「・・・今日、女性と会っていたと伺いましたが、それは本当ですか?」




『うっわ!梢、直球ーー!!』本橋は吹き出しそうになるのを辛うじて堪えた。



「お、おんなーー?!」


柿崎は目を見開いて素っ頓狂な声を上げた。梢は尚もきりりと見上げる。



「だ、誰がそんなこと!」


そう言いつつも、思い当たる男が一人いる。それも、この部屋の中でアルマーニを着ているはずだ。

柿崎は向かい側に素知らぬ顔で座る男を素早く睨んだ。


「・・・お前だな?妙な事吹き込んだのは?!」

「え?ホントの事じゃん。髪の長い女と親し気に話してたろ。ネタは上がってんだぜ?」

「あれはそんなんじゃーーーー」


「・・・そうなの?」


本橋に反論しようとした柿崎だったが、悲し気な声にその勢いがしぼんだ。振り返ると、涙をポロポロと零す梢がいた。


「・・・・ホント・・・なんだ・・・」

「こ、梢!違う違う!!誤解だって!!」


二人のやり取りを見ながら、頭の後ろで手を組み壁によりかかった本橋が、呆れたように溜め息をついた。


「あ~あ、泣かしちゃったぁ」

「うるさい!お前が余計な事言うからだろう!」


「余計なことってなんですか?!」

「ーーーーうっ!だ、だから・・・」


本橋の軽口に反論を見せた柿崎だったが、返って梢から追求されることになった。

涙を零しながら見上げて来る梢に、柿崎は顔をしかめて頭を掻きむしった。


「あーもー!だから誤解だって!!」

「ちゃんと説明して下さい!」


本橋は、二人のそんなやり取りに意地の悪い満足感を得ると、瞼を閉じてふーっと深い息をいた。



「さぁて、俺はちょっと煙草でも吸って来るかなぁ♪」

「おい、本橋!何のつもりだ!?訂正して行けよ!」

「あ?別に嘘はついてないけど?“女”に会ってたろ?それも、美女二人。モッテモテだね~♪」

「おまえな!」


柿崎は、立ち上がった本橋の肩を掴み、噛み付かんばかりに詰め寄った。


「裕一郎さん、詳しく伺いたいので、とりあえず座って頂けますか?」


梢の堅い声に、デカイ図体の男が硬直する。ゆっくり振り返ると、すっかり涙を拭った梢が、取調官よろしく冷笑を浮かべていた。


『こ、怖ぇ・・・』思わず顔から血の気が引く。


本橋は涼しい顔で「じゃ、後はお二人で♪」と言い残しトレイを持って病室を出て行った。




パタンとスライドドアが閉まると、室内には気まずい空気が満ちた。

柿崎は背を向けたまま、困ったように頭を掻いた。別にやましい事があるわけではないのに、あんな言い回しをされては切り出しにくい。


「裕一郎さん」


もう一度名を呼ばれて振り返る「・・・座って下さい」と念を押された。

柿崎は、覚悟を決めて椅子に腰掛けた。



沈黙が痛い・・・



柿崎は梢の顔を崩れた前髪の下から覗いたが、彼女は布団を握りしめる手に視線を落とし震えていた。




ーーー裕一郎さんの事は信じてる。でも、啓哉が言っていた【女の人】について、このままうやむやにしちゃいけないって思う。結婚を考えた人だから、尚更ちゃんと話し合わなくちゃ。


それがどんな結果になっても・・・大人として受け入れ・・・・・られるかな・・・


自分の中で柿崎の存在は、もう簡単に手放せるものではなかった。

丸椅子に腰掛け、そわそわと落ち着かない柿崎に、梢は、やっぱり本当なんだろうか?と不安がこみ上げて来た。



ーーーもし、他に好きな人ができたのなら、すぐは無理でも受け入れて行こう。だから嘘や誤摩化しの言葉は欲しくない。



梢は左手に嵌った指輪を、無意識に右手でなぞり・・・溜め息をついた・・・



柿崎はといえば、未だどう切り出したものかと考えあぐねている。



「あ、あの・・・裕一郎さん?」

「ん?」



気まずい静寂を破ったのは梢だった。柿崎は、上着のポケットに片手を入れたまま顔を上げた。

そこには、痛々しいほど切ない笑みを浮かべた梢がいた。


「あ、あの・・・私、覚悟・・・出来てます。だから・・・隠さずに、ハッキリと言って下さい」

「・・・覚悟って・・・おまえ・・・」



梢が何の覚悟を決めたのかは、大方おおかた想像がつく。やせ我慢丸出しの顔が、返って愛しかった。


『こんな顔はさせないと・・・誓ったはずなんだけどなぁ』柿崎は本橋へのお仕置きを頭に刻み付け、梢の手を握った。



「・・・・俺が、お前以外の女を選ぶと思ってるのか?」


心外だな。と梢の頬を優しく撫で、溢れそうな涙を親指で拭い取った。


「・・・でも・・・だって・・・・啓哉が・・・・」

「・・・ったく。信じる相手が違うだろう」


苦笑いを浮かべて軽く叱ると、小さな手を握る手に力を込めた。


「・・・・裕一郎さん?」


柿崎は、握り込んだ梢の手に唇を押し付け、じっと目を閉じていた。

暫くそうしていたかと思うと、上着のポケットから何かを取り出し、梢の両手に握らせた。



「・・・なんですか?」


真っ赤な顔で顔を背ける柿崎を見て、梢は首を傾げて手を開くと、リボンが掛けられた小さな箱が現れた。

明らかにそれらしい大きさの箱をみて、柿崎を振り返った。


「あ、あの・・・これって・・・アレ・・・ですか?ほ、ホントに?」


頬を赤らめそう尋ねると、柿崎は顔を背けてこくんと頷いた。



梢は、夢でも見ているかのように目をまたたかせ、その淡いクリーム色の箱を見つめた。


「・・・あ、あの・・・開けて・・・いい?」

「・・・・あ・・・ああ。もちろん!」


耳まで真っ赤に染めながら、梢がリボンを解いて箱を開ける様を見守った。

梢は『夢なら覚めないで!』そう願いながら、滑らかな手触りの小箱を開いた。




「ーーーーーーあ・・・」


そこには、プラチナの爪に支えられたハート形のダイヤモンドが、室内の照明を反射して美しく輝いていた。


「あ・・・裕一郎さ・・・これ」

「・・・や、やっぱりこれだけは贈りたくて・・・順番が逆だけどな」



真っ赤な顔でもじもじと顔を背けた。



「・・・じゃあ、女の人に会ってたって・・・」

「宝石屋の店員だよ。ったくあの野郎!紛らわしい言い方しやがってっ!」


柿崎は眉間に皺を寄せて渋い顔をした。


「なぁんだ・・・」梢はホッと息を吐くと、同時にポロポロと涙を零し「よかった・・・」と小さな声で呟いた。

柿崎は腕を伸ばし、俯く梢の髪を優しく撫でた。


「・・・きれい・・・」


小さな箱に顔を寄せて、輝く宝石をうっとりと眺めた。

柿崎の大きな手が、梢の片手を取り上げると、宝物のように包み込んだ。


そして、熱の籠った眼差しを梢に据えた。



胸が自然に高鳴る・・・



「・・・改めてプロポーズするよ。梢、俺の嫁に・・・い、いや・・・違うな・・・えっと・・・」



梢の手を握ったまま、真っ赤な顔でもじもじしている柿崎は、普段の自信に満ちた彼とはまったく違って可愛いと梢は思う。そんな柿崎の様子を黙って見詰め、次の言葉を待った。




「・・・・俺と・・・結婚してくれ」



梢の顔を見ていられず、彼女の小さな手を包み込んで、祈るように額を押し付けた。

答えは知っているはずだが、これまで経験した、どんな商談よりも緊張した。掌は既に汗ばんでいる。




一瞬が永遠に感じられる




「・・・はい」


静かな・・・しかし嬉しい響きの答えが返って来て、柿崎はガバッと顔を上げる。その顔は、面白いほど真っ赤だった。



「ほ・・・ホントに・・・いいんだな?やっぱり嫌だって言っても、もう聞けないぞ?」


今更なにを言っているんだか・・・梢はクスッと笑うと小箱をテーブルに置き、空いた片手を伸ばして柿崎の頬を撫でた。

赤面した頬は、いつも以上に熱く感じる・・・・



「それこそ、今更です。嫌ならとっくに、逃げ出してます」そう言って、にっこりと笑んだ。


「・・・梢・・・幸せにすると誓うよ!」


キスをしようと顔を近づけた柿崎を、梢の手がそっと押し止めた。



ここは、普通にいってもキスする場面だろう?と、柿崎はキョトンと梢を見下ろす。

その視線の先には、やはり冷笑を浮かべる梢がいた。



「裕一郎さん、まだ質問は終わっていません」

「・・・・え?」



にっこりと微笑む梢の口から、二個目の爆弾が投下された。



「啓哉は、“美女二人”って言ってました。あと一人はどなたなんですか?」

「ああ。」


いい雰囲気のままキスに持ち込みたかった柿崎だが、諦めたように椅子に座り直した。


「美枝子だよ。覚えてるだろ?」

「美枝子さん?どうして東京に?」


柿崎のイトコで、宮城で仲良くなった姉妹の姉である。彼女は神奈川に住んでいるはずだった。

宮城でのひと時を思い出し、懐かしさがこみ上げる。


「うん。なんか、東京の本社で会議があったらしくてな、梢のことを聞いてすごく心配してた。」

「そうなんだ・・・」


梢はようやくホッと肩の力を抜いた。その表情に、誤解が解けた事を確信した。



いわれのない誤解を受けるというものが、こんなにももどかしく、切ないものだと初めて知った。

柿崎は、己の器の小ささを改めて反省した。



「ホントは見舞いたかったらしいんだが、どうしても今日中に戻らなきゃならないとかで、来れなかったんだ。今頃はもう新幹線の中だろう。」

「・・・そう・・・会いたかったな・・・」



さばさばとした性格で、面倒見のいい美枝子を思い出し、残念そうに溜め息をついた。



そろそろいいかな?と、柿崎は伸び上がってキスをーーーーー止められた。



「なんで?!」


半分涙目になって文句を言うと、梢は頬をぷくっと膨らませ、小さな箱を柿崎の鼻先に突き出した。



「これ、ちゃんと嵌めて下さい!」

「あ・・・そっか」


嬉しくてつい。っと苦笑いを浮かべると、片手に小箱を受け取り、小さな手を掬い上げた。

先に嵌めていた指輪を外そうとする柿崎に、梢は慌てた。


「あ、ダメ!」

「え?」


指輪を外されないようにグッと拳をつくる。


せっかくだから、新しい指輪を嵌めてやろうと思ったんだけど・・・柿崎は不思議そうに首を傾げた。

『もう!なんでわかんないかな!?』梢はもどかしそうに頬を膨らませる。


「どっちも大切なんです!・・・・だから、このまま嵌めて下さい」


頬を染めて微笑みながら、指を真っ直ぐに伸ばした。


「・・・そ、そっか」


飛びかかってキスしたい衝動をどうにか堪え、梢が見守る中、無骨な指が小さな指輪を摘み上げた。

大きな手が小さな手を持ち上げると、ヒヤリとした感触と共に、それはスルリと細い指に収まった。



それは彼女にとても良く似合った。


「・・・・きれい・・・」

「よく似合うよ、梢」

「ありがとう、裕一郎さん・・・うれしい・・・」


梢は指輪を、柿崎はそんな梢をうっとりと眺めた。

そして互いの目が合うと、ゆっくりと顔が近付いて行く



今度こそ・・・



あと少しで梢の唇が・・・・




ガラッ!




音を立てて病室のドアが開いた。二人はあわてて体を離すと同時に振り返った。

開かれた入り口には、したり顔の本橋と、真っ赤な顔をした医師が看護師と共に並んで立っていた。


「終わった?」

「・・・お前、あとで覚えてろよ。」

「はぁ?何の事?」

「ったく、しらばっくれやがって!」


眉間に皺を寄せる柿崎とは対照的に、本橋は皮肉っぽい笑みを浮かべている。


「あの~、とりあえず、いいですか?」

未だ顔が赤い医師は、気まずそうに声をかけると、大人気ない言い合いをしていた二人は場所を譲った。




ほんの数分の診察を終えると、医師は些か【血色が良すぎる】患者を見下ろし苦笑いを浮かべた。


「経過も良好なようなので、もういつ退院しても大丈夫ですよ」

「ホントですか!!」


真っ先に声を上げたのは柿崎だ。本橋と梢は思わず苦笑を漏らす。



「ただし!好き嫌いをせずに食べてくれないと、退院させられませんよ!」


すかさず釘をさされた梢は、きまり悪そうに首を竦めた。




二週間もの昏睡状態で、胃が弱っているためずっとお粥が出ていたのだが、殆ど手をつけないのだ。

梢の体を維持しているものは、実は点滴なのである。これから退院し、社会生活に戻るのであれば、食事に勝るものはない。


白い白衣の首に聴診器をぶら下げると、体力維持には食事が何より大切であるということを、懇々(こんこん)と説教された。その場の誰もが少々うんざりし始めた頃、本橋が得意そうに口を挟んだ。


「大丈夫!俺が食べさせるから」


その一言に、柿崎の眉間に皺が寄った。


「はぁ?なんでお前がしゃしゃり出てくるんだよ!」

「今日の分、完食させたのは俺なんですけど?」


得意げな本橋に、梢が慌てて口を挟んだ。


「あ、あれは反則ですーー!!」

「反則?」

「あ〜んって食べさせたんだよね?」

「・・・なに?」


そんな可愛いもんじゃない!梢は声高に訴えるが、柿崎の脳裏には違う画像が浮かんでいるようで、噛み付きそうな顔で本橋を睨んでいる。


柿崎にまで同じ事をされてはたまらないと、梢は焦ったが、柿崎は対抗意識を丸出しにして胸を張った。


「あとは俺に任せろ!」

「ゆ、ゆう・・・いちろうさ・・・」

「安心しろ梢。俺の方が上手いから」


柿崎は顔を覗き込みニヤリと笑んだ。一番見たくない笑みを・・・思わず視線がさまよった。



「・・・・じ、自分で食べるから・・・いい。」

「やっぱり俺の方がいい?」

「俺の方がいいにきまってんだろう!!お前はすっこんでろ!」


二人の意味不明な会話に、梢はこの先の食事が不安になった。


「そうだ!まだ【ただいまのキス】してないぞ!!」

「えっ!ーーーんん!!」


散々お預けをくらっていた男は、一目もはばからず梢の唇を塞いだ。

仲睦まじい二人に、四十半ばで独身の医師は、深い溜め息と羨望の眼差しを向ける。


「お前は外国人かっ!!TPOって言葉を知らないのか!?おい!!」


覆い被さってキスをしている柿崎に、本橋はTPOについてくどくど説いている。


「なんでもいいですが、院内の風紀は乱さないで下さいね。」

医師は遠慮がちにぼそっと呟いたが、三人には聞こえていなかった。






その二日後、予定より一日早く梢は退院を赦された。



退院の際、柿崎は有休を取って付き添ったが、本橋は仕事があるからと早朝から家を出ていった。

これまでは、仕事の前には必ず立ち寄って行ったのに・・・梢はすこし複雑な気持ちで柿崎の車に乗り込んだ。





大きな袋に入れられた荷物と共にマンションに帰ると、柿崎は部屋の違和感に気が付いた。



これまで幅を利かせていた大きな革靴(本橋は服に合わせて何足か用意してあった)が、一足もなくなっていた。

梢には何も言わず、その違和感の理由を汲み取った。



『・・・行ったのか』彼の心情を理解し、彼女に気付かれないように嘆息たんそくした。




「ーーーーわぁ・・・裕一郎さん!見て・・・」

「ーーーーーー!!」



梢に呼ばれてリビング行くと、ダイニングテーブルに、大きなバラの花束が残されていた。

柿崎は「キザな事を」と、小さく悪態あくたいをついた。



大きな花束を抱え上げると、深紅のバラの間にカードを見付けた。

花束を腕に抱えたままカードを開くと、見覚えのある懐かしい文字が並んでいる。




【退院おめでとう。どこにいても、梢の幸せを祈ってるよ】




すこし癖のある書体・・・




柿崎は、本橋に提供していた四畳半の扉を開けたが、そこもきれいに掃除がされ、本橋がいた痕跡すら無くなっていた。


「・・・・あいつめ・・・」


柿崎は暫くの間、空になった部屋を眺めた。

もともと、梢が退院したら追い出そうとは思っていた柿崎である。手間が省けたとひとりうそぶいた。



「・・・どこに行っちゃったんだろう?」


ダイニングで、心配そうに花束を抱える梢を片腕で抱き寄せる。



バラの香りはとても甘い



「・・・そんなに気になる?」


いつまでも花束を抱き締める梢の頬に口付けると「ねるぞ?」と耳に囁いた。


「もう!そんなんじゃありません!」


梢は拗ねたように頬を膨らませると、見覚えのあるカードの文字をもう一度読み返し、自分だけでなく柿崎の事も守ってくれた本橋に、深い感謝の気持ちで胸が熱くなる。


「・・・啓哉に・・・ちゃんとお礼してないのに・・・」

「・・・そうだな」


柿崎は軽く頷き、急に姿を消した“友人”の事を思って花束を見つめた。



「ま、あいつの事だ、またひょっこり飯食いに来るかもしれないぞ?」


そう軽口をきくと、梢は柿崎を見上げて微笑んだ。


「そうですね、裕一郎さんに胃袋掴まれちゃってるみたいだし」悪戯っぽく片眉を上げる。

「・・・・それは・・・すごく嫌なんだけど・・・」


うんざりと天井を仰ぐ柿崎に、梢は声を上げて笑った。






柿崎の足も完治し、梢が職場復帰したのは、すっかり年を越した二月だった。



事情を聞かされていた同僚達は、みんな口々に「無事で良かった」と言ってくれた。真弓と千佳子は涙を流して梢を抱き締め、無事を喜んでくれた。


復帰の挨拶のあと、篠山課長がほくほく顔で一歩前に歩み出る。


「えー、この度、柿崎くんと深山くんが、結婚する事になりました!」



課長の爆弾発言に、祝賀ムードは一転し、混乱の坩堝るつぼと化した。



「ええ!!なんで?なんで深山さんなの?!」と、以前、柿崎の腕にしがみついていた女子社員が、声高に納得できないと叫ぶ。


始め、会社には内緒にしようと言った梢だったが、仕事を続けるには、やはりちゃんと公表した方がいいと、柿崎に説得された。


たとえ隠しとおしたところで、柿崎の名字に変わるのだから、首から下げている社員証や、その他諸々の事務手続きで直ぐにバレるのだ。それもそうだと梢も納得した。



まあ、暫くの間、柿崎狙いだった女子社員に“可愛がられ”た梢だが、柿崎や友人に助けられ、それもすぐに収まった。





梢の体調がすっかり元通りになった頃、結婚式が五月に決まった。

柿崎は六月がいいと粘ったのだが、やはり式場は取れなかったのだ。



「そりゃ、六月って言えばジューンブライドで大人気ですもんね」


社員食堂で、結婚式について話していると、ダイエットをすっかり諦めた真弓が、でっかいハンバーグが乗ったカレーを持って、二人の前に座るとそう言った。


「梢を【六月の花嫁】にしてあげたかったんだがな~」


柿崎は自分で作った弁当を突きながら、残念そうに溜め息をついた。


「デカイ図体に似合わず、ロマンチストなんですね~」と、真弓が笑う。

「・・・おかしいか?」


真面目な顔で首を傾げる柿崎に、真弓はニヤニヤと笑いながらカレーを頬張った。

そんな二人のやり取りに、「何月でも変わりませんよ」と、梢は淡白に応じた。





そんなある日、梢の元に大きな荷物が届いた。



「梢に荷物だよ」

「・・・誰かしら?」


通販に注文した覚えはないんだけど・・・梢はすこし不安そうに箱を眺める。


しかし、宛先は間違いなく自分なのだ。

梢は意を決すると、綺麗な包装紙を丁寧に開き、そっとふたを開けた。


「ーーーーっ!!」


箱の仲には、純白のウェディングドレスが納められていた。


「ど、ドレスーー?!」

「ああ、父さんと母さんからだ」

「ええ!!ど、どういうこと??」


差出人欄を見てそう言うと、タイミングよく電話が鳴った。相手はやはり登紀子だ。


「梢、母さんから」


子機を渡されると、梢は飛びついた。


『もしもし梢さん?もう荷物は届いた?』

「あ、あの、登紀子さん、素敵なドレスをありがとうございます!!」


電話を両手で支えながら、壁に何度も頭を下げる梢を見て、柿崎は一人笑いを堪えた。


『間に合って良かったわ!あの法事のときには、もう縫い始めてたから』

「・・・・え?」


登紀子のその言葉に、【子供が出来たんじゃないでしょうね!?】と言われた事を思い出した。

柿崎がドレスを持ち上げると、それはスカート部分がふんわりと膨らんだ【プリンセススタイル】のドレスだ。



小さい頃から憧れていたふんわりドレスに、梢の目は釘付けだ。



ウエスト部分がきゅっと絞られていて、妊婦では着こなすのは無理だったろう。あの時、衝撃を受けた発言の裏には、こんなサプライズがあったなんて・・・と、梢は声を詰まらせた。


「登紀子さん・・・ありがとうございます・・・」

『・・・それ作ったの。真さんよ』

「えっ!!」


一瞬で涙が吹っ飛んだ。こんなに見事なドレスが、手作り?!梢は頭が真っ白になって、ぽかんとドレスを振り返った。


『もしもし、梢ちゃん?』

「あ、お義父さん!あの、ホントにお義父さんが作られたんですか?」


未だ信じられないといった感じの梢は、電話を代わった真に尋ねた。電話口で久しぶりに聴く真の声は、やはり優し気に笑ってる。


『うん、まあね。僕も仕事しながらだったから、ちょっと時間がかかっちゃったけど』

「お義父さん・・・ありがとうございます!」

『うんうん。それを着て、うちにお嫁においで』

「はい・・・はい・・・」


梢は止めどなく溢れる涙で、もはや言葉が出てこない。肩を震わせる梢を、柿崎が優しく抱き締めた。





斯くして、待ちに待った五月のその日、空は見た事もないほど美しい青空が広がった。



本格的な石造りのチャペルに、パイプオルガンが賛美の曲を奏でる中、幸福な花嫁がゆっくりとを進める。



舅手作りの純白のウェディングドレスに身を包んだ梢は、父の腕を取ってバージンロードをゆっくりと歩き、新郎が待つ祭壇へと向かう。



黒いフロックコートを着た裕一郎は、純白の衣装を纏う梢をじっくりと眺め、愛おし気に目を細めた。


梢も、ベールの向こうから裕一郎を見詰めた。裾が膝まであるフロックコートは、長身の彼によく似合い、ビジネススーツに見慣れていた梢に、新鮮な感動を与えた。近くで見ると、なんだか別人のように素敵だと、花嫁は頬を赤らめる。


差し出された腕を取ると、神父の前に立ち、こうべを垂れた。



おごそかな雰囲気の中、高い天井に神父の声が浪々と響く。



「柿崎 裕一郎。汝は深山 梢を妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、幸福の時も災いにあうときも、これを愛し敬い慰め遣えて共に助け合い、生涯愛する事を誓うか」


フロックコートの胸元に、梢のブーケと同じ花を挿した裕一郎が、頭を垂れたまま「誓います」と答えた。


神父はその隣に目を移し、再び尋ねた。


「深山 梢。汝は柿崎 裕一郎を夫とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、幸福の時も災いにあうときも、これを愛し敬い慰め遣えて共に助け合い、生涯愛する事を誓うか」


薄いベールで顔を隠す梢は、頭を垂れたまま静かに「誓います」と答えた。

それぞれの言葉を聞いて、神父は「夫婦の証を」と声をかけると、ローブを着た女性が、クッションに乗せられた指輪を持って来た。


「指輪を交わし、誓いの口付けをもって、晴れて二人は夫婦となる」


神父の言葉を聞きながら、裕一郎から梢へ。また、梢から裕一郎へと指輪が交換された。

胸元まであるベールを捲り、目を潤ませる梢に誓いの口付けをした。



「神の導きより出会い、いま夫婦となった。この二人に、神の祝福があらん事を」


神父の祝福の後、賛美歌を聞きながら、梢は傍らを見上げると、たった今夫になった男が柔らかな笑顔で見下ろしていた。


『・・・ああ、この笑顔が好き・・・』梢は涙を堪えながら、笑顔を返した。




給湯室でのプロポーズは正直、迷惑以外の何ものでもなかった。

でも、意外な一面をたくさん知るごとに、それが好感に変わっていった。




料理が上手で、仕事ができて、子供っぽいのに、頼れるあなた・・・




悲しい誤解から喧嘩もしたけど、彼はその手を離さなかった・・・




眠り続ける私に、ずっと寄り添ってくれた。




そして、気が付いたら、こんなにもあなたの事が大好きになってた・・・




出会って良かった。今は心からそう言える。

大好きなあなたと、ずっとずっと、一緒にいられますように。




大好きなあなたが、いつまでも笑顔でありますように。




そして、私たちを励まし、見守り、支えてくれた沢山の人たちに、幸福な姿で応えて行こう。




愛と感謝をこめて・・・




教会の扉が大きく開かれ、明るい日差しの下に歩み出ると、集まった沢山の人たちの笑顔が待っていた。




降り注ぐ花とライスシャワーの中、二人は口付けを交わす




「ーーー梢!ブーケブーケ!!」聞き慣れた真弓の声に、二人は吹き出した。





梢は後ろを向くと、持っていたブーケを青空に向けて思い切り投げた。





二人の人生は、いま始まったばかりだ。




長らく読んで頂き、ありがとうございました!


みなさまに支えられて、最終話まで書き上げる事が出来ました。

感謝の想いをこめて。


ありがとうございました!



至らない点は、後々修正致します。

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