該当なし
縮地を撃った。
群れを止めるためではない。
◇
一歩で、五十メートルが消えた。
着地したのは、群れの中心だった。
右膝が、着地の衝撃で完全に外れた。もともと折れていたほうだ。
もう立てない。
◇
掌を開いた。
「鑑定」
名前:柏木湊
スキル:
空だった。
二か月と二十日で集めたものが、全部無くなった。
◇
なぜ中心まで来たのか。
出口を塞ぐには、出口の内側にいなければならない。
十一年前、あの人がそうしたように。
◇
俺は地面に手をついていた。
周りが、全部黒い。
黒いものが、まだ丘から出続けている。
この道の先に市街地がある。四十七人は出した。市内には二十八万人いる。
◇
右手を、地面から離した。
胸に当てた。
九条の手帳が入っているほうではなく、その反対側に。
◇
十一年、そこにあった。
上限の下に。数に入らない場所に。
名前も出ない。掴めない。数えられない。
俺はそれを、拾おうとしたことが一度もなかった。
あるとすら思っていなかった。
◇
掌の底から、引き上げた。
名前が、出た。
名前:柏木湊
スキル:
・封
◇
封。
朝倉智という人が、十一年前に持っていたもの。
協会の記録には残っていない。当時、鑑定制度がなかったからだ。
何を持っていたのかは、誰も知らない。
俺だけが、十一年、預かっていた。
◇
撃った。
◇
丘の上で、空気が閉じた。
音がしたわけではない。
ダンジョンの入口があった場所に、何も無くなった。
穴が塞がったのでも、蓋がされたのでもない。
出口が、無くなった。
◇
出続けていた黒いものが、途切れた。
道に出ていたぶんだけが、残った。
残ったぶんは、俺を囲んでいる。
◇
俺は地面に転がっていた。
閉じた入口の、内側にいる。
十一年前と、同じ絵だ。
◇
襟を掴まれた。
引きずられた。
膝が地面を擦って、折れているほうが引っかかって、痛みで視界が飛んだ。
◇
九条巽だった。
倒れていた男が、起き上がっていた。
スキルはない。装備もない。血が顔の半分を覆っている。
それでも、四十一歳の身体が一つあった。
「動くな」
九条が言った。
言いながら、俺を道の端まで引きずった。
◇
残った群れは、二十分後に現地の探索者が片づけた。
補充が着いていた。矢代さんが手配した、A級四人だ。到着が三十分遅れた。
三十分遅れなければ、俺は撃たなくてよかったのかもしれない。
その計算は、たぶん誰にもできない。
あとで矢代さんが、都合の悪い数字から出しますと言って、A級四人の到着予定時刻を教えてくれた。
予定どおりなら、四十七人のうち十一人が間に合わなかった。
俺が三枚使ったので、その十一人は間に合った。
四枚目を使わなくても、市街地は守れたかどうか。
それは、出せる数字がないと言われた。
◇
俺が撃った【封】は、どこにも戻らなかった。
朝倉智という人にも、俺にも、この世界のどこにも。
もう誰も、ダンジョンを閉じられない。
次に、どこかが溢れたとき、この国にはそれを閉じる手段がない。
十一年前に一度だけ使われて、記録にも残らなかったものを、俺が使い切った。
誰も持っていなかったことにされていたものを、誰も持っていないことにした。
目の前を救って、いつかを削った。
◇
矢代さんは、そのことを知っている。
病院で一度、会いに来た。
何を撃ったのかを聞かれて、俺は答えた。答えないという選択肢もあったが、この人は嘘をつかない人なので、こちらも嘘をつかないことにした。
矢代さんは、しばらく黙っていた。
それから、これを記録に残す方法がありません、と言った。
様式がないからだ。存在しなかったことになっている力が、存在しなくなったことを、書く欄がない。
「戸嶋主任に相談します」
最後にそう言って、帰っていった。
◇
九月二十日。
協会の地下二階に、車椅子で来た。
押しているのは峰岸さんだった。
右膝と左腕にギプス。肋にコルセット。額の上に六針。
「重えな、あんた」
「すみません」
「体重、増えたか」
「減りました」
◇
鑑定室に通された。
狭い部屋。机が一つ、装置が一つ、椅子が二つ。窓はない。
戸嶋詩織さんが、機器の前に座っていた。
「本日は、国からの照会に基づく確認です」
定型文だった。
「柏木湊さんの保有スキルの有無について、内閣府から正式な照会が来ています」
「はい」
制度が、初めて俺を数えようとしていた。
◇
装置に手を置いた。
板の表面がぬるい。人肌より少し低い。十一年、この温度だけは変わらない。
三十秒。
◇
「戸嶋さん」
待っているあいだに、俺は聞いた。
「はい」
「弟さん、元気ですか」
戸嶋さんは画面を見たままだった。
「倉庫で働いています」
「はい」
「先月、班長になったそうです」
◇
「暗い倉庫の、棚の位置を全部覚えているそうです」
空調の音がしていた。
「照明が落ちたときに、あの子だけが動けたと」
俺は装置に手を置いたままでいた。
「連絡が来ました。二か月ぶりに」
戸嶋さんは、それ以上言わなかった。
俺も、何も言えなかった。
◇
画面が切り替わった。
戸嶋詩織さんが、紙を出した。
目は合わない。この人は判定を読み上げるとき、六年間、一度も俺の顔を見たことがない。
◇
「判定は、該当なしです」
◇
十三回目だった。
十一年、俺を否定してきた四文字。
缶の中に十二枚ある。仮設テントで受け取った一枚目から、六月二十七日の十二枚目まで。
十三枚目を、俺は左手で受け取った。
◇
「わかりました」
俺は言った。
それから、少し笑った。
「来年も、お願いします」
◇
戸嶋詩織さんの手が、書類の角で止まった。
二秒くらいだった。
「——来年もお待ちしています」
◇
第三資材置き場に着いたのは、午後五時だった。
シャッターが半分上がっている。
秋の日が、鉄の板に当たっていた。六月に俺が額をつけた場所は、もう熱を持っていない。
◇
「四十だってな」
峰岸さんが言った。
「なんで知ってるんですか」
「病院で書いてたろ。生年月日」
七月に、問診票に書いた。一九九七年九月二十日。
この人は、あのとき丸椅子に座っていなかった。鷹取源三が帰ったあとに来た。
書いた紙を見る機会が、どこかにあったんだろう。
◇
峰岸さんが、アルミホイルの包みを二つ出した。
袋の底に、小さい最中が一つ入っていた。
「祝いだ」
「……ありがとうございます」
「一個しか買えなかった。二個目は自分で買え」
◇
保管室の鍵は、借りなかった。
車椅子では、脚立に上がれない。
中には、まだ四十一箱ある。
一番上の段の、いちばん左。角の潰れた箱。
中身は、もう無い。俺が全部使った。
箱と、貼り紙だけが残っている。
朝倉智/二〇二六年六月/引取人なし。
◇
それでも俺は、来月あれを拭きに来ると思う。
中身が無いことは、拭かない理由にならない。
十一年、俺は中身を見ずに拭いてきた。見なくても拭けた。
◇
峰岸さんが「飯、食え」と言った。
俺は片手で塩むすびを持って、口に入れた。
塩が濃かった。
九年、この味だ。九年前から、一度も変わっていない。
変わらないものが、この二か月と二十日で、これしか残らなかった。
◇
俺は四十になった。
手札はゼロ。金は六万円。仕事もない。左腕は上がらない。右膝は、たぶん元には戻らない。
二か月と二十日で、俺は六人から力を取って、四人から永久に消した。
消したぶんは、世界に戻らない。
九条巽は、いまも該当なしだ。戸嶋律も、そうだ。
九条は盛岡の搬送班にいる。律は倉庫で班長になった。
どちらも、俺が返せるものではない。
◇
秋の日が、シャッターの下から差し込んでいた。
包み紙を畳んで、ポケットに入れた。峰岸さんがそうするのを、九年見てきた。
◇
今年も、俺は該当なしだった。
来年も、受けに行こうと思う。
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