―第0️⃣9️⃣7️⃣話― 【歯の話】子の心、親知らず——カナダの息子は、今日も目を閉じて。
わたしは、実は、歯が二本、ありません。
■ 一本目は、不摂生で
一本目は、虫歯の放置でした。
歯磨きは、毎日きちんとしているつもりなのですが——夜、お酒を飲む機会が多いと、つい、帰宅後の歯磨きを、忘れてしまうことがある。その不摂生が祟ったのでしょう。なんだかグラグラするな、と舌で押していたら、ある日、ぽろりと折れてしまいました。
驚いて、すぐに行きつけの歯医者へ直行。歯茎の上で、きれいにもげてしまった歯を、先生が、根元まで慎重に抜いてくれました。
■ 二本目は、ペットボトルで
そして、二本目を失ったのが、実は、つい先日のことです。
本当に、何の気なしの行為でした。ペットボトルの蓋が固く閉まっていて、開けたくて、つい、歯を使って開けようとしたのです。
ところが——歯を当てて、少し力を入れた、その瞬間。
ガリ。
アーモンドを齧ったような音がして、わたしの犬歯が、きれいに、折れました。
その歯は、一度治療をしたことのある、脆い歯だったのかもしれません。ですが、一本目のような、不摂生の歯ではない。言うなれば、「治療して、一度は復活した」歯です。その貴重な一本を、こんな形で失うとは。
■ 親知らずは、達者
そんなわたしには、今も、親知らずが残っています。
普段の生活で、使うこともない。時にいたずらをして、抜かざるを得なくなることもある、という親知らず。ところが、わたしのそれは、不思議と、何の悪さもしてこない。
肝心な歯から先に抜けていって、使い道のない親知らずだけが、達者に残る。これは、良いことなのか、悪いことなのか……。
■ この脆さは、息子にも
なぜ、こんな話を思い出すのか。
実は、わたしのこの、あまり丈夫でない歯の性質が——どうやら、息子に、受け継がれているようなのです。
息子には、小さい頃から、しっかり歯磨きをさせてきました。行きつけの歯医者さんで、定期的に指導も受けている。おかげで、今なお、治療した歯は、一本もありません。歯並びも、幼い頃に矯正をして、ほぼ完璧な状態です。
にもかかわらず。学校の歯科検診では、決まって「要受診」の紙を持って帰ってくる。理由は、歯そのものが脆く、歯を守るエナメル質が弱いから。少しでも隙を見せれば、すぐに虫歯になってしまう。そういう歯なのです。
息子には、不憫だとは思います。ですが、ここで心を鬼にしなければ、うん十年後、あの子は、わたしと同じ苦労をすることになる。
歯ブラシをくわえたまま、ぼんやり磨いていたら、やり直し。朝、バタバタしているからと、歯磨きがおざなりになっていたら、注意。
まさしく——親の心、子知らず、なのでした。
■ 息子の、こだわり
ところが。今回、カナダへ行くにあたって、その息子が、一つ、思わぬこだわりを見せました。
ホームステイ先での、歯磨きについてです。
歯ブラシと歯磨き粉は、もちろん持たせます。ですが、息子が言うには——コップが、要るのではないか、と。
歯を磨いたあとの、うがい。わたしなど、コップも使わず、手で水をすくって済ませてしまいますが。それは、ホームステイ先に、失礼にあたるのではないか、というのです。
——買いました。
息子が、旅先でも、きちんと歯を磨く。しかも、お世話になるご家庭に、気を遣ってのこと。それに応えるのが、親というものでしょう。少なからぬ出費ではありましたが、携帯用のコップに納得する息子を見て、これは、買ってよかったと、思ったのです。
■ 子の心、親知らず
しかし、です。
旅立って、約十日が過ぎました。
この間、連絡があったのは、たった二日。わたしから「困ってないか」「ちゃんと勉強しているか」「楽しいか」とLINEを送っても、既読の一つも、つきません。地震の時に「無事だから心配するな」と入れたメッセージに、「なら良かった」と、短い返事があったきりです。
向こうで、どう過ごしているのか。それは、さっぱり分かりません。ただ、引率の先生が定期的に上げてくださる写真の中に、満面の笑みの息子を見つけては、ひとまず、安心するのです。
うちの子は、今、何を思って、過ごしているのか。
子の心、親知らず。
……そういえば。その、先生が上げてくださる写真の息子は。
いまだに、目を、瞑ったままです。




