―第0️⃣9️⃣0️⃣話― 【カナダ短期留学③】カナダからの手紙——ただし、目は閉じたまま。
「カナダからの手紙」という歌が、あります。
平尾昌晃さんと畑中葉子さんによる、昭和五十三年の大ヒット曲。調べてみて驚いたのですが、この曲が流行った年、カナダを訪れた日本人観光客は、三割も増えたのだそうです。一曲の歌が、それだけの人を、本当に海の向こうへ運んでしまった。
その、遠いカナダ・バンクーバーに。
我が家の息子が、無事に降り立ったと——学校のアプリを通じて、連絡がありました。
■ 帳尻は、合う
「オセロは、最後の一手まで、どちらが勝つか分からない」と前回、書きました。
果たして、盤面は、なんとかひっくり返ってくれたようです。
我が家は、皆が皆、一筋縄ではいかない人生を送っておりますが。不思議なもので、最終的には、どうにか帳尻が合う人生でもあります。
まずは一安心と、胸を撫で下ろした次第です。
■ 七時間の、羽田空港
とはいえ、道中は、なかなかのものでした。
もともと用意されていたのは、成田発バンクーバー行きの便。結局、そちらには間に合いませんでした。そこで、今回の便を運航していた航空会社が、急遽、席を手配してくださったそうで——羽田発の直行便に、振り替えとなったのです。
しかし、です。
当初の予定では、日本時間の十六時五十分発。それが、二十一時五十五分発の便に変更。そもそも羽田に着いたのが十五時だったというのですから、実に七時間近くを、あの空港で過ごしたことになります。
初めての海外へ向かう、高揚しきった高校生たちが。飛び立つ前に、七時間。
なかなかに、ハードな一日です。息子も含め、生徒の皆さんは、さぞ疲れたことだろうと想像します。
そして何より——「責任を持ってお連れします。安心してください」と、あの朝、笑顔で仰っていた旅行会社の方々。あの七時間、気が気ではない調整に、奔走されていたことでしょう。頭が下がります。
なお、今回の遅延については、補償の話もあるそうです。直行便を手配していただいたことと併せて、ここは仕方がないと、諦めるほかありません。
ただ、現地での初日、およそ半日分のイベントが、すべて中止になってしまいました。それだけは、少し、残念に思うところです。
■ そして、うどん
さて。その七時間のあいだに、生徒たちは、羽田のターミナル内で夕食を摂ったそうです。
ところが、聞くところによると。両替の都合か、日本円の持ち合わせが少ない子も、いたのだとか。
私は出発前、息子に、こう言い含めておりました。
「何かあった時のために、五千円から一万円くらいは、自分の小遣いを持って行っとけ」
そうです。
我が息子は、無事に、夕食にありつくことができたのです。
財布を狙われ、断罪され、蚊帳の外に置かれ続けてきた、この父の助言が。生まれて初めて、役に立った瞬間でした。
……その、輝かしい戦果が。
うどん一杯であったことは、まあ、この際、よしとしましょう。
ただ、息子からも「ありがとう」とお礼のLINEが来たので、百点としましょう。
■ 送られてくる、写真
さて、その暗くなりがちな空気を払拭しようと、先生方も奮闘してくださいました。
事あるごとに生徒たちの写真を撮り、元気な姿を、こちらへ知らせてくださるのです。
待合室に整然と並ぶ姿。楽しそうに談笑する姿。銘々のやり方で、羽田での長い数時間をやり過ごす姿。そのひとつひとつが、海の向こうへ届く前に、まず親元へ届けられていく。
息子も、写っていました。同じホームステイ先でお世話になる、パートナーの友人と並んで。
さらに、カナダに着いてからの写真も、送られてきました。ホストファミリーと収まった一枚。温和そうで、話しやすそうなご家族です。これで、ようやく本当に、安心ができました。
……安心が、できたのですが。
同時に、まったく安心のできない写真でも、あったのです。
■ 眠れる森の、王子
息子が写っているどの写真を見ても……ことごとく——目が、閉じているのです。
まるで見計らったかのように。眠ったように。すうっと、まぶたが下りている。ピースサインだけが、虚しく宙に浮いている。
……そういえば。
私は前回、この息子を「未完の大物」と呼びました。初めての海外を前にしても、まるで動じない。どこ吹く風。その肝の据わりようを、半ば呆れながら、半ば感心して見ておりました。
なるほど。
七時間の足止めにも。初めての異国にも。彼はやはり、まったく動じていなかったようです。むしろ、堂々と、目を閉じていた。
大物——確定です。
ちなみに、我が家の妻はといえば。「めめの写真を頼んだわよ」と、あれほど念を押していたにもかかわらず。届くのは、目を閉じた我が子の写真ばかりです。
さて。
昭和の名曲は、遠いカナダから、切ない手紙を届けてくれました。
令和の我が家に届いたのは——ことごとく、まぶたを下ろした息子です。
先生。
せめて、一枚くらいは、撮り直していただきたかった。
そして、息子よ。
頼むから、もう少しだけ、瞬きを抑えてくれ。




