―第0️⃣8️⃣9️⃣話― 【カナダ短期留学②】不運は続くよ、どこまでも——ひっくり返る、盤面。
本日、息子が、カナダ・バンクーバーへ旅立ちました。
紆余曲折、いろいろなことがありましたが——昨日ばかりは。思春期真っ只中の、あの無愛想な男の子ではなく。久しぶりに、私の可愛い息子として、素直な顔で、話しかけてきました。
■ 出発前夜の、オセロ勝負
娘のほうも、兄が二週間ほど家を空けることが、寂しかったのでしょう。
夕食のあと、押し入れの奥から、久しぶりにオセロを引っ張り出してきました。
「お父さん、対決しよう」
そう言って、兄と二人、揃って私の前に座る。普段は、それぞれの部屋で、それぞれスマホの画面を見ている二人です。その二人が肩を並べて、緑の盤を挟んで、こちらを見ている。なんとも、悪くない光景でした。
さて、久々のオセロ勝負です。
出発前ですから、ここは一つ、花を持たせてやろうか——という考えも、頭をよぎりました。
いえ。勝負は、勝負です。
父としても、まだまだ負けるわけにはまいりません。きっちりと、勝たせていただきました。
■ 父の、即席レクチャー
打ち方を見ていて、思ったことがあります。
二人とも、どうしても「どれだけ取れるか」に、目が行ってしまう。相手に打ってほしいところを、あえて作っておく——そういう、作戦めいた考えが、どうにも薄いのです。
序盤で欲張って取りすぎると、後半、自分の打つ場所がなくなる。オセロというのは、そういうゲームです。
せっかくの機会ですから、詳しく教えてやりました。
というのも——オセロは、日本から世界へ広まったゲームです。向こうでも、それなりに知られている。日本から来た高校生と見れば、勝負を挑まれることだって、あるかもしれない。その時に、我が息子が不甲斐ない結果に終わるのは、父として本望ではありません。
どこに目を置くのか。何に気をつけるのか。即席ではありますが、あれこれと解説をして、彼らのオセロIQを、少しでも底上げしてやったつもりです。
何度か勝負を重ね、実に楽しい時間を過ごしました。
ただ、つくづく思ったのは——やはり、詰めが甘い。
もっとも、教えてすぐ身につくものでもありません。こればかりは、何度も盤に向かって、自分の頭で掴んでもらうしか、ないのでしょう。
……そう。この時の私は、まだ、実に余裕でした。
■ 完璧な、布陣
さて、今朝です。
息子の送迎のため、有給を取り、朝から準備万端。七時に出発し、家族総出で、空港まで見送りに行きました。
今回の参加者は、総勢三十名。空港に集まった顔ぶれを見ると、どの子も、期待と憧れに満ちた、キラキラとしたエネルギーを放っています。
引率は、学校の先生と、旅行会社の添乗員。現地には、常駐の日本人スタッフも待機しているとのこと。実に、完璧な布陣です。
見送りの家族に向かって、スタッフの方が、笑顔でこう言ってくださいました。
「責任を持ってお連れしますので、安心してください」
……好感が持てました。
家族用の「旅のしおり」も、手渡されます。今日のフライト予定を見るだけでも、余裕たっぷりの日程です。成田までの国内移動には、不測の事態を見込んで、三時間近くの余白。海を渡るのも直行便で、時差ボケにまで、きちんと配慮が行き届いている。
そういえば、昨日あれほど「めめの写真を頼んだわよ」と念を押していた妻も、今朝ばかりは、静かなものでした。
出発の一時間前、息子は保安検査場へ入っていきました。無事にチェックインを終えたのを見届けて、私たちは、自宅へと戻ってきたのです。
■ そして、盤面はひっくり返る
しばらく経った頃でした。
学校の連絡アプリに、メッセージが入ります。時刻からすると、そろそろ羽田に着いて、チャーターバスで成田へ向かっている頃合い。
「旅は順調です」——そんな内容だろうと、軽い気持ちで、アプリを開きました。
『まだ、地元の空港に足止めを食らっています』
……は?
なんでも、保安検査場に不具合があったとかで、息子たちの乗る便の乗客全員が、もう一度、検査を受け直すことになったというのです。
天候不良でもない。機体の異常でもない。一度、問題なしとして通った検査を、もう一度。そんなトラブル、私は聞いたこともありませんでした。
結局、飛行機が地元の空港を飛び立ったのは、予定時刻の、二時間四十分後。
そして、追いかけるように、二通目のメッセージが届きました。
『カナダ便に間に合うかどうかが、不明です』
■ オセロは、最後の一手まで
旅行会社が悪いとは、思いません。
先生方が悪いとも、思いません。
三時間の余白を取り、直行便を選び、現地にまでスタッフを置く。あれだけ手を尽くしていたのです。防ぎようが、ありません。
……ただ、ここに来て、私は気づいてしまいました。
昨夜、私は、子どもたちに向かって、偉そうに講釈を垂れていたのです。目先の数を取りにいくな、と。先を読め、と。詰めが甘い、と。
その、わずか数時間後。
たった一つ、思いもよらないところに石を置かれただけで——万全に固めたはずの盤面が、端から端まで、見事にひっくり返ってしまった。
詰めが甘かったのは、いったい、誰だったのか。
……いえ。
オセロというゲームの本当に恐ろしいところは、そこではありません。
角を取られても。盤の半分を返されても。最後の一手を置き終えるまで、どちらが勝つかは、決して分からない。それが、あのゲームなのです。
盤面は、まだ終わっていません。
息子よ。父はここで、生まれて初めて、心の底からお前の「ケセラセラ」に期待しています。
——どうか、無事に、飛んでくれ。




