―第0️⃣8️⃣2️⃣話― 【美味しいパン屋】お気に入りのパン屋さんと、妻の恐るべき理屈。
私の仕事は、割と平日に休みを取ることができます。
というより、有給休暇の取得が義務づけられているため、必ず消化しなければならない。
休みたくないわけでは、ありません。ただ——休む時に、ちょっとだけ、怖い時があるのです。
■ 一人の休みが、労働に変わるとき
ひとつは、私が家で一人、休みの時。
せっかくの休日ですが、家族は学校だったり、パートだったり。家には、誰もいない。だから、一人でどこかに出かけるのも、なんだか違う気がする。というわけで、こうして家で、ポチポチと文章を打っていたりするのです。
しかし、そうすると、決まってパートから帰ってきた妻に言われる。
「掃除機かけて」「ご飯作って」「あれして、これして……」
そう。私は会社から「あなたはゆっくり休んで、英気を養ってくださいね」と、わざわざ強制的に休まされているというのに——仕事に行く以上の労働を、強いられるのです。
もっとも、これは、まだいい。
なにせ私は、新兵としてわが家にやってきたダイソンで、猫の毛をズズズッと吸い上げる、あの吸引力の虜ですし。料理も、手間暇を最小限に、美味しさを最大限に、を追求する「男飯」の担い手を自任しています。そこまで、苦ではありません。
むしろ、体を動かしているほうが、気が楽なのかもしれない、とも思うのです。
問題は——別のパターンです。
■ 妻と、二人きりの休日
妻がパートを休み、子どもたちは学校。つまり、私と妻の、二人きりになる日。
その時、妻はニヤッと笑って、私を誘ってくるのです。
「あなた。今度の休み、パン屋に行くわよ」
実は、わが家から車で二十分ほど離れた郊外に、それはそれは美味しいパン屋さんがあるのです。
こだわりの小麦粉とバターを使い、ベテランの職人が焼き上げるパン。小麦の旨味、バターの風味、手間暇をかけた生地の、その美味しさといったら。しかも、それだけこだわっていながら、値段はそこまで高くない(普通のお店よりは張りますが)。この「値段と味のバランス」において、あの店を超えるパン屋に、私はまだ出会ったことがありません。
そして、そこはランチもやっているのです。
お店が六種類ほどパンを見繕い、半分に切って、再度焼いて出してくれる。これが、まるで焼きたてのよう。しかも、何種類も味わえるうえ、自分では普段選ばないパンにも出会える。実に満足度の高い、ランチセットなのです。
……ただ、です。
この美味しいパンを、妻は、私に奢らせようとするのです。
■ 子どもたちへの、罪悪感
いえ、分かります。
「奥さんとの、楽しいパン屋さんデートでしょう。それはプライスレスではないか」——そう言いたい気持ちは、よく分かります。
でも、です。
毎回毎回、自分の欲望のために。かつ、私の財布の中身をきっちり見越したうえで。そして何より、子どもたちがいない時を、正確に見計らって、誘ってくるのです。
その時の、私の罪悪感といったら。
子どもたちよ、申し訳ない。今日もお父さんは、君たちがまだ食べたことのない、美味しいパンを食べることになるんだよ——と。
その気持ちを、正直に妻に伝えてみたことがあります。
すると妻は、こともなげに、こう言い放ちました。
■ 妻の、恐るべき理屈
「あのね。私はこの先、二十年か、三十年しか生きられないの」
「……はあ」
「でも、あの子たちは、あと六十年も七十年もあるのよ」
妻は、実に涼しい顔で、こう続けました。
「残りが短いんだから。あの子たちと一緒のタイミングだなんて、待ってられないわよ」
……。
なんという、理屈。
人生の残り時間を持ち出して、我が子より自分の食欲を優先することを、堂々と正当化する。しかも、その論理には、一片の隙もない。反論しようにも、「いや、お前はもっと長生きするから待て」と言うわけにもいかない。
見事な、詰みです。
そういえば、と思い当たりました。
あのパン屋は人気店で、多い時には長蛇の列ができます。妻は、その列を待つことは、まったく厭わない。三十分でも、平気で並ぶ。
つまり、こういうことなのです。
わが家の妻は——パンを待つことはできても、パンを食べたいという自分の欲望だけは、決して、待つことができない。
さて。次の平日休みは、いつだったか。
罪悪感を抱えながら、今日もまた、私は財布の中身を確認しています。子どもたちよ、本当に、すまない。
——お父さんは、あの美味しいパンの前では、あまりにも無力なのです。




