―第0️⃣8️⃣0️⃣話― 【親子の関係】妻と娘の、一喜一憂。
最近、わが家の女性陣が、夕食中と、お風呂あがりに、わきゃわきゃと騒いでいます。
理由は、体重。
「今日の晩ごはんは、ちょっと多かった」「アイスを、あれくらい食べちゃった」「これだけ完食したから、増えるかしら」——他愛もない、けれど、やけに真剣な調子で、二人して体重の話をしているのです。
その姿を見ながら、私は密かに、思っています。
妻は今、とても楽しいのだろうな、と。
■ 妻の、長い「お預け」
というのも、妻には、少し事情があるのです。
妻の兄弟は、弟が一人だけ。仲の良かったお母さんは、私と結婚してすぐ、病気で亡くなってしまいました。地元を離れて暮らしているため、親戚とも、ほぼ無縁の状態です。
つまり、身近に、女性の血縁者が、いない。
子どもが生まれる前は、私が、妻の唯一の話し相手のような状況でした。子どもが小さいうちは、そばにいたいからと定職には就かず、パートを始めたのも、つい最近のこと。
もともと、女子校の出身で、女性同士でわきゃわきゃと過ごすのが、大好きなタイプ。だからこそ、女性と他愛ない話をする時間を、ずっと、心待ちにしていたのだと思います。
その妻に、ようやく、うってつけの相手が現れた。
娘です。
娘が中学生になり、母と同じように「女子トーク」ができる年頃になった。二人は今、まるで友達のように、楽しそうに話しているのです。長年の「お預け」が、ようやく解けたかのように。
■ 一方、父と息子は
私も、息子と、そんなふうに話せたら——とは思うのです。
しかし、現実は、そうもいきません。
最近の息子ときたら、勉強もせずに、スマホでゲームをしたり、動画を見たり。いくら注意しても、一向にやめない、自堕落ぶり。おかげで、雷を一つ、二つと落とす日々で、とても「わきゃわきゃ」どころではないのです。
妻と娘の、あの楽しげな姿は、私にとって、羨ましい限り。
——ところが、です。
よくよく二人の会話に耳を澄ませていると、どうやら、距離が近いからこその「女子あるある」も、あるようなのです。
■ 静かなる、鞘当て
こんな具合です。
「お母さん。あんまり怒ると、顔にシワが寄るよ」
「あなた、それ、今日二本目のアイスじゃない。太るわよ」
——にこやかな笑顔の下で、互いに、静かな牽制を繰り出している。
「あら。じゃあ、シワ防止の美容液でも、買ってもらおうかしら」
「私はね、お母さんが太らないように、代わりに食べてあげてるのよ」
そして、じわじわとボルテージが上がり、最後には、派手な喧嘩にまで発展することも、しばしば。
やれやれ、と思いながら見ているのですが——不思議なもので。あれだけ言い合っても、二人はいつの間にか、けろりと元通り。また、他愛もない話で、キャッキャと和気あいあいに戻っているのです。
女子同士。仲の良いところもあれば、派手にぶつかることもある。けれど、しこりを残さず、すぐにまた笑い合う。この、切り替えの早さは、男親の私には、なかなか真似のできない芸当です。
■ 父の「お預け」は、いつ解ける
そんな二人を眺めながら、私も、思うのです。
そろそろ、息子への雷を、少し弱めて。私も息子と、他愛もない話で、わいわいやりたいものだ、と。
けれど——。
思春期真っただ中の、無口な男子高校生。父が話しかけても、返ってくるのは「別に」「普通」の二語ばかり。妻と娘のような、あの弾ける「わきゃわきゃ」を、息子と繰り広げられる日は、果たして来るのでしょうか。
いや。きっと、来るはずです。
息子が、もう少し大人になって。いつか一緒に、酒でも酌み交わせるようになったなら。その時こそ、あの日落とした雷のことも笑い話にして、男二人、しみじみと語り合える日が——。
そう考えると、妻の「お預け」が娘の成長で解けたように、私の「お預け」もまた、息子がお酒を飲める歳になるまでの、あと数年の辛抱、ということなのかもしれません。
それまでは。
妻と娘の、賑やかな鞘当てを肴に。私は一人、静かにグラスを傾けながら、その日を、気長に待つとしましょう。




