―第0️⃣6️⃣7️⃣話― 【訃報】最近、亡くなられていく人たち——昭和のスターを、子に語り継ぐ。
最近、昭和から平成のテレビを席巻した有名人が亡くなられる報道が続いていて、少し、感慨深いものを感じています。
■ ガッツ石松さん
ガッツ石松さん。
バラエティ番組で和やかに応対しながらも、調子に乗った若手タレントが過剰にいじると、途端に、目だけが笑っていない。あの、ふとした瞬間の真剣さが、私は好きでした。
そりゃそうだ、と思うのです。世界チャンピオンへのリスペクトもなく、「なんとなくいじってもいい天然キャラ」のような扱いをされたら、そういう表情にもなる。ハラハラしながら見ていたことを、思い出します。
あの不器用さ、真面目さが、好きな方でした。
そんな感慨に浸りながらニュースを見ていると、息子が「どんな人なの?」と聞いてきました。
私は、質問で返してみました。
「部活の試合に勝った時、お前、どうしてる?」
「え? こんな感じで、やったーってする」
そう言って、息子は握りこぶしを目の高さまで上げ、誇らしげに、ぐっと引き下ろします。
「そのポーズ、なんて言うんだっけ?」
「え、ガッツポーズ」
「その、創始者だよ。この人がボクシングの試合に勝って、このポーズを取った。そこから『ガッツポーズ』って言葉が生まれたんだ」
知らず知らずのうちに、昭和のスターと同じポーズをしていた。そのことに、息子は素直に驚いていました。
——が、そこへ、妻のダメ出しが一言。
「何、小難しいこと言ってんのよ。OK、OK、OK牧場よ。私がいつも言ってるでしょ」
……やはり、妻には敵いません。
■ 美輪明宏さん
美輪明宏さん。
私が幼い頃から、今とまったく変わらない、あの「美輪明宏」さんが、テレビで活躍されていました。
独特の風貌、喋り方、そして、その思想と発言力。なんというのでしょう、その生き方が、とてもまぶしく見えたことを、覚えています。
一つ、忘れられない思い出があります。
私が仕事を始めたばかりの頃。自分の置かれた状況、将来への不安、働くという実感。いろいろな悩みを抱えて、母に相談したことがありました。その時に母がかけてくれた言葉で、私はもう少し頑張ってみようと思い、どうにか今に至っています。
その言葉が——美輪さんが亡くなられたあと、過去の名言として紹介されていたものと、まったく同じだったのです。
「給料ってのはね、労働の対価じゃないのよ。我慢の対価なの」
母に言われた時期と、美輪さんがその言葉を残された時期は、違います。ですから、美輪さんの発言を受けて母が言った、とは考えにくい。だとすれば、これは母自身の実感から出た言葉であり、同時に、母もまた、どこかで美輪さんのような感覚に触れて生きてきたのかもしれない。そんなふうに、勝手に、感慨深く受け止めました。
そんな美輪さんのニュースを見ていると、今度は娘が言いました。
「この人、女の人? ……じゃ、ないよね」
「男の人だけどね。この人の若い頃は、それはそれは綺麗だったんだよ。文豪が、その美しさに惚れたっていうくらいなんだから」
「へぇ〜」
「長崎の出身でね。声楽も学んでたけど、あの歌声にたどり着いたのは、ほとんど独学に近かったって話じゃなかったかな。歌手としても、本当にすごい人だったんだよ」
「ふ〜ん」
……だんだん、興味が薄れていくのが分かります。
すると、また妻です。
「あなた、何言ってんのよ。そんな説明で、この子に分かるわけないでしょ。モロよ、モロ。もののけ姫の、山犬のモロ」
「あぁ〜! そうなんだ〜」
「あとね、ハウルの動く城の、荒れ地の魔女。あれよ、あれ」
妻が次々と、美輪さんが声を当てた作品を挙げていく。すると娘は、すっかり納得した様子で、「そんな人が、亡くなったんだ〜」としみじみ言うのでした。
私の、二連敗です。
■ そして、思うこと
ほかにも、中村玉緒さんが最近亡くなられて、寂しい限りです。
ただ——そう感じるということは、私も、それなりの年になってきた、ということなのでしょう。
昭和、平成、そして令和。気づけば私も、三つの時代を生きてきました。
子どもたちが将来、あと四十年ほど経った頃に、亡くなったことを心から惜しむようなスターが、いったいどれくらいいるのだろう。ふと、そんなことを考えます。
そう思うと、私が育った「昭和」という時代を、なんだか、とても大きなものに感じてしまうのです。
願わくば。私が今日、子どもたちに語り継いだこのスターたちのことを、あの子たちもいつか、自分の子どもに話して聞かせる日が来ますように。
「昔ね、すごい人がいたんだよ」と。
たとえその横で、また誰かの奥さんが「何、小難しいこと言ってんのよ」と、一番分かりやすい一言で、全部さらっていくのだとしても。




