―第0️⃣6️⃣0️⃣話― 【糖度摂取】家族の笑顔は甘く、父の財布は、ただ苦い。
今日も、わが家の地域は大雨です。
それも、学校が途中で休校になるほどの、勢い。
ちょうど私は仕事が休みだったため、急遽、息子と娘を迎えに行くことになりました。
私が準備をしていると、同じくパートが休みだった妻が、おもむろに身支度を始めます。
「いや、子どもたちを迎えに行くだけだから」
そう伝えると、妻は短く、こう言いました。
「私も、行く」
……この時点で、私は気づくべきだったのです。妻の本当の狙いが、子どもたちの「その先」にあることに。
■ 戦場は、ショッピングモール
時刻は、1時過ぎ。
まずは、娘と合流。「休校になったら、この駐車場に来て」と事前に伝えていたので、ピックアップはスムーズでした。
問題は、次の息子です。
息子の高校の近くには、手頃な駐車場がない。そのため、近くのショッピングモールで待機するしかないのです。
そして、このショッピングモールこそが——妻にとっての、約束の地でした。
なにせ、誘惑の宝庫なのです。
みんな大好きミスタードーナツ。娘の愛するサーティワン。妻の大好きな不二家。ほかにも、パンケーキ屋、かき氷屋、スターバックス……と、甘い罠が、そこかしこに仕掛けられている。
妻の目的は、言うまでもなく、これらでした。
■ 民主主義は、父に勝つ
息子と合流するなり、妻が、先制攻撃を仕掛けてきます。
「みんな、お昼ご飯、食べてないわよね?」
私も、応戦します。
「家に帰って、何か軽く作るよ」
しかし、妻も黙って引き下がりはしません。
「もう1時過ぎよ。早く食べたいわよねぇ、みんな?」
そう言って、子どもたちを、味方に引き込みにかかる。実に、巧みな兵法です。
「いや、だけど、ほら……」と、私はなけなしの「節約」を口にしますが、多勢に無勢。民主主義の原則の前に、一票しか持たぬ父の主張は、あえなく否決されます。
「僕、テストで頭使ったから、糖分摂りたい」
「私、新作のアイス食べたい」
「私は、ケーキ買ってくるから、200円ちょうだい」
——よく分かりませんが、気づけば私は、全員にスネをかじられていました。
妻と息子と娘のドーナツ。追加で娘は甘くて冷たいアイスクリーム。
中でも、見事だったのは、妻なのです。
息子や娘はきちんと自分の食べるお昼ご飯として買っているにも関わらず、妻だけはなぜか3時のおやつのケーキをちゃっかり一人分確保するため、私から「現金200円」を直接調達し、自分で好きなケーキを選びに行くのです。
いや、自分が食べたいのならば、自分の財布から出せばいいのに……ダイレクトに抜いていくその手口。私はまさしくATM!
■ わが家で一番、糖度の低い男
そんなわけで。
すっからかんになった財布を眺めながら、私は家に戻りました。
リビングでは、糖分をたっぷり補給した家族が、満面の笑みを浮かべています。ドーナツを頬張る3人。新作アイスに歓声を上げる娘。ケーキを烏龍茶で味わう妻。
その、幸せそうな笑顔。糖度でいえば、文句なしの、最高級です。
一方の私は、というと。
一人、静かに、緑茶をすすっています。
考えてみれば、おかしな話です。この家で、唯一の稼ぎ頭であるはずの私。その私の一日が、わが家で一番、糖度が低い。
家族の笑顔は、こんなにも甘いのに。それを支える父の手元にあるのは、ただ苦い、緑茶だけ。
……まあ、それでも。
この甘い笑顔が見られるなら、苦いお茶も、悪くないか。
そう自分に言い聞かせながら、私はもう一口、緑茶をすすったのでした。
ちなみに。糖分は摂っていないのに、なぜか胸のあたりだけ、少し甘酸っぱい。
これはきっと、財布の軽さが見せる、幻でしょう。




