―第0️⃣0️⃣2️⃣話― 視力を捧げて得たもの。読書狂の父と、似てしまった子供たち
私は、メガネをかけています。
もうかれこれ、長い付き合いになります。
きっかけは、高校3年の卒業前。
車の免許を取ろうと意気揚々と自動車学校へ通っていた時のことでした。
そこで突きつけられた、衝撃の事実。
「……視力が足りませんね」
えっ、嘘だろ?
それまで不自由を感じていなかったはずなのに、
私の目は運転免許の基準に達していなかったのです。
ショックを隠せないまま急いでメガネを作り、
私の「矯正生活」が幕を開けました。
――――――
しばらくはメガネで過ごしていましたが、
ある時、自分の「クセ」が気になり始めました。
ズレ落ちるメガネを、無意識に指でクイッと直す。
一日に何度も、何度も……。
「……ああっ、もう! 気になる!」
一度気になり始めると、もう止まりません。
そんなわけで、私はコンタクトレンズ派へと転向することになったのです。
――――――
それにしても、そもそもなぜ、私の視力はここまで落ちたのか。
理由は、ただ一つです。
「暗い部屋で、ひたすら小説を読んでいたから」
子供の頃から、活字の魔力に抗えませんでした。
小学生の時は、コナン・ドイルや江戸川乱歩の世界に夢中になり、
椋鳩十さんの作品はほぼ全制覇したと思います。
大人に近づくにつれ、その熱量はさらに加速。
菊地秀行先生や夢枕獏先生の作品にハマり、
寝食を忘れてページをめくっていました。
暗がりの中で、物語の続きを追い求めた代償。
それがこの「矯正生活」だったわけです。
――――――
時は流れ、今はスマホで手軽に本が読める時代。
ブルーライトによる新しい視力障害なんて話も聞きますが……。
ふと横を見ると、そこには見覚えのある光景がありました。
私と同じように活字の沼にハマり、
本に顔をくっつけるようにして読み耽っている、息子と娘。
二人は、小学生の頃からすでにメガネをかけています。
「血は争えない」とは、まさにこのこと。
親として、我が子の視力が落ちたことを
「残念だ」と思う気持ちはもちろんあります。
でも、その一方で……
「この子たちは、いつか私の作品の良き読者になってくれるのではないか」
そんな淡い期待を抱いてしまう、勝手な父親がここにいます。
失った視力の代わりに得た、豊かな物語の世界。
そのバトンは、しっかりと次の世代に引き継がれているようです。




