―第1️⃣0️⃣0️⃣話― 【一〇〇号記念】私の、物書きのスタイル——象の花から、始まった。
私は、昔から、想像力が豊かだと言われてきました。
良く言えば、頭のいい子。少し角度を変えれば、突飛な子。物覚えも、計算も、字を書くのも早く、父に言わせれば、幼稚園の頃には、新聞を読んでいる子どもだったそうです。(いえ、漢字が読めていなかったので、書いてある中の、読めるところだけを拾っていた、というのが実情ですが)
そのため、一時期、私にかける親の期待値が、マックスまで振り切れたのは、言うまでもありません。(笑)
ただ、私は元来、向上心や、努力や、積み重ねが、あまり得意ではない。どちらかと言えば、ぱっと思いついて、ぱっと動く。発想力と行動力だけで、生きてきた人間です。親の望むような積み重ねをしないまま、気づけば、人生の折り返し地点まで、来てしまいました。
■ 象の、花
さて。そんな私が、初めて文章を書いて褒められたのが、小学校一年生の時でした。
参観日に向けて、作文の宿題が出たのです。お題は、教科書に載っていた——題名は忘れましたが、風船の話の、続きを書くというもの。
あらすじは、こうです。
ある日、小学校で、花の種をつけた風船を飛ばす。それが、日本中の、いや、世界中のどこかへ飛んでいって、誰かに拾われる。拾った人が、風船についていた手紙を読み、一緒に入っていた花の種を撒く。さあ、あなたの飛ばした風船は、どこの、誰の手元に届いたでしょう——という話でした。
みんなは、いろいろな場所に飛ばしていました。同じような小学生に拾われたり、大人に拾われたり。そして、色とりどりの花を、咲かせていました。
私ですか。私は、本当に、突飛だったのでしょう。それはもう、長々と、書いていきました。今でも、書いた内容を、覚えています。
私の飛ばした風船は、動物園の、象の飼育場に届きました。
それも——象さんが出した、大きなモノの、上に。
飼育員さんが、それを見つけます。間違って象が風船を食べてはいけないと、一生懸命、スコップで取り出そうとする。すると、萎んだ風船に、手紙がついている。読んでみると、「花の種を送りました。世界中が、花でいっぱいになりますように」と書いてある。
けれど。肝心の花の種は、象さんの、大きなモノの下敷きになっていて、取り出せない。残念だけれど、仕方がない。飼育員さんは、諦めます。
それから、春が来ました。
象さんの、大きなモノの下から、芽が出て——きれいな花が、たくさん、咲いたのです。
■ 一番、誇らしかった日
こんな作文を、書いたのです。
我ながら、見事だと、今でも思います。汚いものの下から、きれいなものが生まれる。よくもまあ、小学校一年生の私が、考えたものだと。
これが、本当に、絶賛されました。うん十年経った今でも、母は言います。
「あの時が、一番、あなたを誇らしく思った」と。
……それ以降は、ないんですか。というツッコミは、ひとまず脇に置くとして。とにかく、ものすごく褒められて。文章を書くって、楽しいな、面白いな、と思ったことを、今でも、覚えています。
■ 消えた火と、メールの焚き木
しかし。その純粋な気持ちのまま、育てばよかったのですが。私はそれ以降、なんだか、文章を書くのが、好きではなくなっていくのです。
理由は、定かではありません。ただ、その後に出会った先生方とは、どうも反りが合わなかった。あの一年生の時の担任、小川先生のように——私の突飛な想像や、文法や表現の巧拙よりも、「書きたい」という、まっすぐな気持ちのほうを、認めてくれる。そういう出会いが、その後には、なかった。象の花の話を褒められたような手応えが、二度と得られないまま、なんとなく、つまらなくなっていった。そんな気がしています。
次に、文章と再会したのは——メールでした。
当時、付き合っていた女性との、やり取り。
忙しい合間に、通勤の途中に、たくさんのメールを送りました。その日思ったこと、楽しかったこと、見つけたことを、面白おかしく、表現を変えて、送る。遠距離恋愛だったこともあり、これが、大いに受けました。私自身も、いろいろな想いを、言葉にして送る楽しさに、すっかりハマったのを、覚えています。
とはいえ。恋の炎というのは、メールという焚き木だけでは、いずれ消える運命にあるもので。それも長くは続かず、その後はもう、ビジネス文書を打つことでしか、私の文章の行き場は、なくなっていました。
■ 母の、後悔
では、今。なぜ私は、こうして文章を、ペチペチと打っているのか。
本当に、ふと思い出したことが、あるのです。
私の母方の、祖母。
その祖母の父の実家は、犬神家も裸足で逃げ出すような、地方の有力者でした。
ですが祖母は、お妾さんの娘として、不遇なような、そうでもないような、複雑な環境で育った人でした。
その祖母の生涯を、いつか書いてみたい。母は、そんなことを、時々、口にしていたのです。
それを、最近、ふと思い出しました。あの時、母は、こうも言っていました。
もっと若い時に、書いてみればよかった。
私に、文才があればよかった。
時間が経つだけで、記憶が、どんどん薄れていく——。
その言葉が、頭をよぎった時。思ったのです。
ああ、後悔は、先に立たないな、と。
ならば、思い立ったが吉日。四月の終わり頃から、とりあえず、自分が書いてみたい、面白そうだ、と思うことを、書き始めました。
文才など、ありません。ただただ、勢いと、独りよがりな中身で、書いているだけです。ですが、不思議と、こうしてペチペチ打っていると、その時間が、とても、有意義に感じられるのです。
■ 一〇〇の、花
おかげさまで、今回で、一〇〇号目となりました。
日記をつければ三日坊主だった私が、よくぞまあ、ここまで続けられたものだと思います。
この先、どこまで続けられるのか。それは、分かりません。ですが、不安よりも、期待のような、この先の楽しみのほうが、先に立っています。ですから、もう少しは、続けられそうです。
思えば、あの象の花から、始まりました。
汚いものの下からでも、きれいな花は咲く。うだつの上がらない中年が、勢いだけで打つ文章にも、一つくらいは、咲くものがあるかもしれない。
一〇〇話は、いわば、一〇〇の花です。
この小さな花が、いつか——母が書けなかった、祖母の物語という、一輪の大輪に。繋がっていけたら、と。柄にもなく、そんなことを、思ったりもするのです。
これからも、二〇〇〇文字ほどの中に、クスリと笑えるエッセンスを、少しだけ忍ばせながら。私なりの文章を、面白おかしく、綴っていければと思います。
引き続き、ごひいきに。




