二重執着
柊は、あの夜から数日間、ほとんど眠れなかった。
瑶季の唇の感触、体温、喘ぎ声——すべてが頭の中で繰り返され、
海月先輩の笑顔、腕時計の重み、シャンパンの小瓶が交互に浮かぶ。
2人への執着が、同時に胸を締めつける。
理央の言葉が、頭の中で何度も反響する。。
「瑶季さんも忘れられていなかったのかもしれない」
「上手くいくかもしれない」
「でも、ワンナイトの可能性もある」
希望とリスクが混ざった言葉が、柊の胸を揺さぶり続けた。
「もしそうなったとき、柊くんは耐えられる?」
……耐えられるはずがない。
それでも、柊は、結局、瑶季に連絡を取ってみることにした。
あの夜の瑶季の体温、「好きだったんだよ」という言葉、キスと重なり合った記憶が、毎晩のように蘇ってくる。
「もう一度、ちゃんと話したい」
「本気だったのか、確かめたい」
そんな言い訳を自分にしながら、スマホのLINEを開いた。
瑶季のトークルーム。
かつて削除したそのトークルームに過去の履歴はなく、空白の画面に、先日の着信履歴だけが残っている。
数年ぶりに開いたこの画面は、まるで空白のキャンバスのように、柊の心をざわつかせた。
震える指で、短いメッセージを打った。
柊
『俺、まだ瑶季のこと、好きだ。また会いたい。話したい。』
送信ボタンを押した瞬間、胸が締めつけられた。
既読がつくのを待つ。
1分、5分、10分。
画面を何度も更新する。
既読は、つかない。
数日経っても、既読はつかない。
1週間経っても、既読はつかない。
2週間経っても、既読はつかない。
柊は理解してしまった。
理央の言葉の意味を。希望など、なかった。
あの夜の瑶季は、酔った勢いに流されていただけだった。
「好きだったんだよ」という言葉は、酒の勢いで出た、ただの甘い嘘。
瑶季にとって、柊はもう過去の人間でしかなかった。
数年連絡を取らなかった相手に、急に連絡してきて、一夜の過ちを犯して、それで終わり。
既読すらつけないことで、瑶季は「もう関わりたくない」と、はっきり示した。
柊は、再び瑶季を失った。
喪失感が、胸の奥にぽっかりと穴を開けた。
同時に、海月への執着が、まだ消えていない。
左手首の腕時計を見るたび、海月の笑顔が浮かぶ。
シャンパンの空瓶を見るたび、「20歳の記念に♡」という声が響く。
瑶季の体温が蘇るたび、海月のハグの温もりが重なる。
2人の記憶が、交互に柊を襲う。
二重の苦しみ。
瑶季を失った痛みと、海月を失った痛み。
どちらも、「俺のものじゃなかった」という現実が胸を抉る。
柊は、
毎日のように、練習に打ち込む。
体を限界まで動かせば、少しだけ頭の中のノイズが静まる。
でも、終わると、また2人の幻影が現れる。
理央は、そんな柊を心配そうに見守っていた。
練習後、カフェで、
「柊くん……瑶季さんに連絡したって……返事、来たの?」
柊は、ココアをかき混ぜながら、
「……いや。既読すら、つかない。理央の言った通りだった。
俺、また……同じこと繰り返した。
瑶季を失って、海月先輩にも届かなくて……
俺、2人とも、手放せないのに、どっちも、俺には届かないんだ……」
理央は、柊の手を握って、
「柊くん……今は、全部抱え込んでる状態じゃ、壊れちゃうよ。
少しずつ、手放す練習をしよう。
瑶季さんのことは、もう過去として。
海月先輩のことも、思い出として。
柊くんは、未来に進まなきゃいけないよ。
私、そばにいるから。一緒に、歩こう」
柊は、理央の手を強く握り返した。




