執着
瑶季への思いは薄れること無く月日は流れ、高校3年の5月、部活引退の日。
柊は体育館のコートに立って、最後のスパイクを打った。
ボールが床に叩きつけられる音が、静まり返った体育館に響く。
後輩たちが「お疲れ様でした!」と声をかけ、拍手が起こる。
柊は小さく頭を下げて、
「みんな、ありがとう」
とだけ言って、ロッカールームへ向かった。
引退した瞬間、胸にぽっかり穴が開いたような感覚があった。
バレーは、もう俺の日常の大部分を埋めてくれない。
これからは、大学受験勉強がメインになる。
でも、心の奥底で一番怖かったのは、
「勉強で忙しくなったら、瑶季のことを考える時間がもっと増える」
ということだった。
実際、その通りになった。
大学受験期の柊は、高校受験期ほど「壊れそう」にはならなかった。
中学3年の冬は、ゲーム封印+運動不足+受験プレッシャーで自傷までいった。
でも今は違う。
高校に入ってからバレーにどっぷり浸かったおかげで、体を動かすことが自然なストレス発散になっていた。
部活が終わっても、空き時間にジムでキツめの筋トレをしたり、近所のバッティングセンターでバットを振ったり。
汗を流せば、頭の中のノイズが少しだけ静まる。
ゲームはもうほとんどやらなくなっていた。
中学の頃の「逃げ場」は、もう必要なくなっていた。
勉強も、やり方はわかっていた。
計画を立てて、毎日コツコツ積み重ねる。
模試の結果は悪くなかった。
周りからは「柊くん、安定してるよね」って言われる。
でも、心の底では違う。
一番苦しいのは、受験のプレッシャーじゃなかった。
日常に瑶季がいない虚無感。瑶季への執着。
過去に縋る日々。
毎晩、ベッドに横たわって、スマホのアルバムを開く。
卒業式のツーショット。
夏祭りの浴衣姿。
春休みの公園でパスした汗だくの瑶季。
通話履歴の最後の日付。
全部をスワイプしながら、
「あの頃は確かに俺の側にいてくれた」
「俺が一番親しかったはずだ」
と呟く。
瑶季の定期演奏会には、毎年欠かさず足を運んだ。
チラシやSNSで日程を調べ、他のどんな予定よりも優先した。
会場に行って、後ろの席から瑶季を探す。
フルートを吹く横顔を見つけて、
音はほとんど耳に入らない。
ただ、瑶季の姿を遠くから眺めるだけ。
声をかけられない。
かけても、何を話せばいいかわからない。
「久しぶり」って言ったら、瑶季は笑顔で「うん、久しぶり!」って返すだろう。
でも、その笑顔が俺に向けられたものじゃないことが、もうわかっている。
だから、いつも遠くから見つめるだけ。
演奏が終わったら、人ごみに紛れてそっと会場を後にする。
帰りの電車で、胸の奥がずきずき痛む。
「今日も、瑶季に会えた」
「でも、俺はもう瑶季の日常にいない」
大学受験の追い込みが本格化しても、
このルーチンは変わらなかった。
夜、勉強机に向かいながら、ふと手を止めて、
「あの頃は瑶季に支えられてたな」
と呟く。
自傷がバレた日の教室。
瑶季が泣きながら怒ってくれたこと。
「どうして話してくれなかったの!?」
あの言葉が、今でも耳に残っている。
確証はないけど、あの時の瑶季は、俺のことを好きだったのかもしれない。
友達以上の気持ちで、俺を心配してくれていたのかもしれない。
でも、今はもう違う。
瑶季のSNSは、見ないようにしているのに、毎日のように見てしまう。
新しい投稿が増えるたび、
胸が抉られる。
幸せそうな笑顔。
新しい友達。
男の影。
全部が、俺のいない世界で輝いている。
「もしあの時、告白していれば」
「もしあの時、もっと早く自覚していれば」
「たられば」が、毎晩のように頭を駆け巡る。
受験勉強の合間に、
バッティングセンターでバットを振り回す。
汗を流せば、少しだけ頭がクリアになる。
でも、帰宅してシャワーを浴びてベッドに横になると、また瑶季の幻影が現れる。
「瑶季がいれば、俺はもっと頑張れたのに」
「瑶季がいれば、この虚無感はなかったのに」
大学受験期に一番苦しめられたのは、プレッシャーじゃなかった。
「自分の日常に瑶季がいない」という虚無感。
瑶季が俺のことを、もう過去の1ページとしてしか見ていないこと。
それが、一番の地獄だった。
勉強机の横に、卒業式のツーショットを飾っていた。
時々視線を移すと、瑶季の笑顔がそこにいる。
でも、それは幻影だ。
現実の瑶季は、もういない。
連絡は途絶え、SNSの更新は他人事のように遠い。
嫉妬はまだくすぶっている。
瑶季のSNSに上がる男友達との写真を見るたび、胸がえぐられる。
でも、今はもう「殺してやりたい」という殺意すら、疲れ果てて薄れている。
代わりに、ただの虚無。
受験は、どうにか乗り切れるかもしれない。
でも、この執着は、どうやって手放せばいいのか。
柊は、まだ答えを見つけられなかった。




