定期演奏会
柊は、学校帰りに駅の掲示板でチラシを見つけた。
「吹奏楽部 第XX回定期演奏会」
日時:10月XX日(土) 開演 14:00
場所:〇〇市民ホール
瑶季の高校の名前が大きく印刷されていて、フルートパートの担当者として瑶季の名前が載っていた。
柊はチラシをスマホで撮影して、そのままポケットにしまった。その日は土曜日で、部活も予定もなく、勉強も一段落ついていた。
「…行ってみようかな」
家に帰ってからも、何度もその写真を開いては閉じてを繰り返した。
迷いはあった。
最近の連絡の少なさ、瑶季の新しい日常に自分が少しずつ入らなくなっている実感。
「迷惑じゃないか」「急に来たら驚くかも」「今さら会っても、気まずいだけかも」
という思いがぐるぐる回る。
でも、結局、行くことにした。
瑶季のフルートを、生で聞きたい。
瑶季の姿が見られる。
瑶季に会いたい。
それが、今の柊の最大の欲求だった。
その一心で、当日の朝、柊は電車に乗った。
会場に着くと、ホールはすでに満員に近い。
客席の後ろの方に座り、プログラムを開く。
瑶季の名前がフルートパートに小さく印刷されているのを見て、胸がざわついた。
開演。
最初の曲が始まると、ステージに瑶季の姿が現れた。
白いブラウスに黒のスカート、フルートを構える姿は、中学の頃と変わらないのに、どこか大人びて見える。
柊の視界から、他の奏者も、指揮者も、客席のざわめきも、すべてが消えた。
ただ瑶季だけが、そこにいた。
フルートの音が響くたび、柊の頭の中に思い出が洪水のように流れ出す。
中学の体育祭、センターに押し出されて笑った集合写真。
ファミレスでノートを広げて勉強した日。
教室で自傷跡を見られて、本気で怒って泣いてくれたこと。
大晦日に一緒にカウントダウンし、初詣で同じ願い事をしたこと。
インフルエンザのときの「お大事に」のLINE。
卒業式でのツーショット。
春休みに毎日のように一緒に出かけた日々。
夏祭りの夜、手を繋いだ感触。
全部、全部、瑶季とだった。
瑶季がいなければ、俺は今ここにいないかもしれない。
瑶季がいなければ、俺はまだ壊れていたかもしれない。
演奏が続いているのに、柊の目は瑶季から離れられない。
瑶季の唇がフルートに触れ、息を吹き込むたび、あの頃の瑶季の声が、笑顔が、涙が、重なる。
柊は、息を潜めて、ただ見つめ続けた。
涙がにじんで、視界がぼやける。
でも拭かない。
拭いたら、瑶季の姿が消えてしまいそうで。
演奏の音など、もう耳に入っていない。
ただ瑶季の姿だけが、世界のすべてだった。
全ての曲目が終わり、アンコールが終わり、拍手が鳴り響く。
ステージの照明が落ち、メンバーが退場していく。
柊は立ち上がり、出口近くで待った。
心臓がうるさい。
何を話せばいいのかわからない。
「お疲れさま」?
「よかったよ」?
それとも、もっと本音を……?メンバーたちがぞろぞろと出てくる。
瑶季は友達に囲まれながら、最後の方で出てきた。
髪を少し乱れさせて、頰を赤らめて、笑顔で誰かと話している。
柊は、深呼吸して近づいた。
「…瑶季」
瑶季が振り返る。一瞬、目を見開いて、固まった。
「柊くん……!?」
周りの吹奏楽部の子たちが「え、誰?」「彼氏?」とざわつく中、瑶季は慌てて友達に「ちょっと待ってて!」と言って、柊の前に立った。
「来てくれたんだ……びっくりした。どうしてここに?」
柊は、言葉を探した。
喉が乾いている。
「…チラシ、見つけて。瑶季のフルート、聞きたくて」
瑶季は少し照れたように笑って、
「ありがとう……。でも、急に来るなんて言ってくれればよかったのに。今、みんなで打ち上げに行くところなんだけど……」
ぎこちない沈黙が流れた。
柊は瑶季の新しい制服姿、新しい髪型、新しい友達の輪の中の瑶季を見て、胸が苦しくなる。
瑶季も、柊の突然の来訪に戸惑っているのがわかる。
夏祭りのときは、こんな空気はなかったのに。
「…演奏、綺麗だったよ。瑶季のフルート、ちゃんと聞こえた」
柊がやっと絞り出した言葉に、瑶季は少しホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう。柊くんにそう言ってもらえると、嬉しい……」
でも、そこから言葉が続かない。
周りの友達が「瑶季ー、行こー!」と呼ぶ声が聞こえてくる。
瑶季は振り返って「すぐ行く!」と手を振ってから、柊に視線を戻した。
「ごめんね、今日はみんなと予定があって…でも、来てくれて本当にありがとう。また、連絡するね?」柊は、頷くことしかできなかった。
「…うん。お疲れさま……また」
瑶季は小さく手を振って、友達の輪に戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、柊は胸の奥で何かが砕ける音を聞いた気がした。
瑶季の日常に、自分が入る隙間は、もうほとんどない。
フルートの音が綺麗だったこと。
瑶季が笑っていたこと。
それだけが、今日の収穫だった。
帰りの電車で、柊は窓に額を押しつけて、目を閉じた。
瑶季の姿が、頭の中に焼き付いて離れない。
でも、その姿はもう、遠くに行き始めている。
この定期演奏会は、柊にとって、瑶季への想いがさらに深く、痛く刻まれる一日になった。




