それぞれの世界
夏祭りの夜から、柊の世界はますます瑶季一色になっていった。
手をつないだ感触、浴衣の袖が触れたときの柔らかさ、花火の光に照らされた瑶季の横顔——
あの夜の記憶が、柊の頭の中で何度もリプレイされる。
瑶季の浴衣姿、頰の赤み、繋いだ指の細さ、「逸れたら…困るもんね」という少し震えた声。
あの瞬間、瑶季も緊張していた。
あの瞬間、瑶季も俺と同じように感じていたはずだ。
毎晩、布団に入って目を閉じると、瑶季の手の温もりが蘇る。
でも、すぐにまた現実が襲ってきた。
現実は残酷だった。
高校生活の忙しさが、2人の連絡をさらに削っていった。
LINEの頻度は、夏祭り以降、更に落ちた。
1週間に1回、2週間に1回。
瑶季からのメッセージは、コンクールの報告やテストの愚痴が中心で、以前のような「今日も話したい」というニュアンスは薄れていく。
柊はそれが怖くて、たまに自分から送るけど、返事が遅くなると胸が潰れそうになる。
「忙しいんだ」
「俺が邪魔なのかも」
「瑶季はもう、俺を必要としてないのかも」
そんな思考が、夜中にぐるぐる回る。
瑶季の声が聞きたい。
瑶季の手を握りたい。
瑶季の存在を、肌で感じたい。
でも、会う約束は「また今度ね」で先送りになり、連絡はさらに間が空く。
柊の目には、瑶季以外の女子が一切映らなくなっていた。
バレー部のマネージャーやクラスメイトの女子が話しかけてきても、
「へえ、そうなんだ」
と機械的に返すだけ。
視線が向くのは、スマホのトーク画面だけ。
瑶季のアイコンが更新されると、心臓が跳ねる。
それ以外の人は、どうでもよかった。
一方の瑶季は、違う世界にいた。
吹奏楽部ではすぐに先輩から可愛がられ、クラスでも自然と輪の中心にいた。
新しい友達が増え、放課後にカフェに行ったり、休日にカラオケに行ったり、男友達とも一緒にゲームの話で盛り上がったり。
中学の頃からそうだったように、瑶季は誰とでもすぐに打ち解ける。
明るく、優しく、みんなを巻き込む。だから、瑶季の周りはいつも賑やかだった。
LINEの返信が遅れるのは、忙しいからだけじゃない。
返信するたびに「柊くん、元気かな」って思うけど、
すぐに他の予定が入って、忘れてしまう。
「また後で」って思ううちに、あっという間に1週間、2週間が過ぎる。
瑶季はまだ、柊を「特別な友達」として思っている。
でも、その「特別」は、中学の頃の濃度を失いつつあった。
柊への連絡が減ったのは、意図的ではなかった。
ただ、生活が忙しくて、優先順位が変わっていっただけ。
中学の頃は「柊くんがいないと寂しい」と思っていたけど、今は新しい日常が充実しすぎて、
柊の存在が少しずつ「過去の大切な思い出」になりかけていた。
新しい日常が、過去を少しずつ薄めていく。
柊はそれを感じていた。
瑶季の返信が遅い日が増えるたび、
「俺は瑶季にとって、もう過去なんだ」
という恐怖が胸を抉る。
夏祭りの夜、手を繋いだ温もりは、今では幻のように遠い。
もし、あの夏祭りの夜に、
「好きだ」って言えていたら。
もし、中学の頃に、もっと早く自覚して、もっと早く告白できていたら。瑶季は今も、俺の隣にいてくれたかもしれない。俺の執着は、こんなに苦しくならなかったかもしれない。
でも、もう遅い。
連絡が途切れていくたび、柊の心は静かに、でも確実に、瑶季への渇望で埋め尽くされていく。
瑶季は新しい世界で輝き始めている。
柊は、古い世界で一人、瑶季の影を追い続けている。
布団に顔を埋めて、声にならない嗚咽を漏らす。
「瑶季…俺の側にいてくれ……他の誰かじゃなくて、俺を見ててくれ…」
でも、瑶季の日常は、もう柊なしでも回り始めていた。
柊の想いは、届かないまま、ただ強くなるだけ。
執着は深くなり、依存は重くなり、恋心は、苦しみの形を変えて、柊を蝕み続ける。
このままでは、いつか壊れてしまうかもしれない。
でも、柊はまだ、告白する勇気を持てなかった。
瑶季を失うのが、怖すぎて。




