治癒
インフルエンザが完治して再び学校に行けるようになったのは、翌週の月曜日だった。
柊は鏡の前で顔色を確認し、額に手を当てて「もう大丈夫だな」と呟いた。
制服に袖を通しながら、胸の奥で小さな緊張が膨らむ。
クラスメイトに会う。瑶季に会える。
この数日、瑶季の声だけが支えだった。ようやく直接顔を見て話せる。
学校に着くと、朝のホームルーム前で教室のドアを開けた瞬間、ざわめきが少し変わった。
「お、柊!」
「インフル治ったか!」
「顔色まだ悪いぞ、大丈夫か?」
クラスメイトの声が、次々と飛んでくる。
いつもは「俺なんか…」で流していた柊だが、今日は少し違う。
みんなの視線が、意外と温かい。
体育祭のとき以来、クラスの中での自分の立ち位置が、少し変わった気がする。
席に鞄を置いた瞬間、後ろから軽い足音が近づいてきた。
「柊くん!」
瑶季だった。
いつもの制服姿で、髪を少し耳にかけて、息を弾ませながら立っている。
目が合うと、瑶季の表情がぱっと明るくなった。
でも、すぐに心配そうに眉を寄せる。
「…大丈夫? まだ熱っぽくない? 無理して来てないよね?」
柊は、思わず小さく笑った。
「もう熱はないよ。薬も飲み切ったし。…心配かけて、ごめん」
瑶季はホッとしたように息を吐いて、隣の席に腰を下ろした。
本来は自分の席じゃないのに、誰も文句を言わない。クラスメイトがチラチラ見ながらニヤニヤしながら見てくる。しかし、そんな視線など2人にはもはやどうでもよかった。
「よかった…。実際に見て、元気そうで安心した」
瑶季の声は少し震えていて、目尻が赤くなっている。
柊は胸が熱くなった。
この数日、瑶季の声が聞こえるだけで救われていた。
今、目の前にいる瑶季が、こんなに心配してくれている。
「…ありがとう。瑶季がいてくれたから、寂しくなかった。本当に、助かった」
瑶季は照れくさそうに笑って、
「私だって…柊くんがいない教室、なんか変だった。
みんなも『柊いないと静かだな』って言ってたよ。
級長なんて、『エースがいねぇとクラス弱ぇ』って本気でぼやいてたし」
周りから「聞こえてるぞー!」というツッコミが飛ぶ。
教室が一気に和やかになる。
柊は、瑶季の顔をまっすぐ見て、「…学校に来てよかった。瑶季に会えて、みんなに会えて」と、素直に言った。
瑶季の頰が、ぽっと赤くなった。
「…私も。柊くんが戻ってきて、ほんとに嬉しい」
短い沈黙の後、瑶季が急に立ち上がって、
「じゃあ、休み時間に数学のノート見せてあげる! 柊くんいない間にやったとこ、まとめといたから!」と、いつもの明るい調子に戻った。
でも、去り際に小さく手を振ってくれた。
その仕草が、なんだか特別に感じる。
休み時間になると、クラスメイトが何人か寄ってきた。
「インフルキツかっただろ?」
「お大事にな」
「次は風邪引くなよ」
そんな言葉が、次々と。
「ありがとう」と返すたび、胸の奥がじんわり温かくなる。
これまで「俺なんか…」で距離を取っていたのに、今は少しだけ、受け入れられている気がした。
そして、瑶季は休み時間中も柊の隣に座って、ノートを広げながら話しかけてくる。
「ここ、関数がまた出てきてさ…」
「昨日バレー見た? 」
そんな他愛もない会話が、柊にとって何よりの薬だった。
チャイムが鳴って授業が始まる直前、瑶季が耳元で小さく囁いた。
「…これからも、寂しくなったらすぐ言ってね。私、いつでも聞くから」
柊は、頷くことしかできなかった。
放課後。クラスメイトが帰り始めても、柊と瑶季は教室に残って2人で話していた。
瑶季がぽつりと言った。
「柊くんがいない1週間、なんか…長かった」
「俺も…瑶季に会えないの、キツかった」
瑶季は少し照れたように笑って、
「じゃあ、これからはもっと毎日話そうね。約束」
って小指を差し出した。柊は少し迷ってから、自分の小指を絡めた。
指切りの瞬間、柊の胸に温かいものが広がった。




