7. 舞踏会編⑦ 北の庭へ
ガレナが口を開いた。
「今夜、まだダンスのお相手がお決まりでなければ……」
「ペルラ嬢」
穏やかな声が、その言葉を遮った。
ガレナは話すのをやめて、すぐに椅子から立ち上がり、姿勢を正した。
ペルラも声のした方を見る。
一人の若い男が、すでに二人の前まで来ていた。
整った顔に、赤銅色の長い髪。
王都守備隊の正装を身にまとい、左腕にはガレナより大きな星の蔦をつけていた。
若い男は、ガレナに軽く会釈すると、ペルラに微笑んだ。
「歓談中に失礼します。
お久しぶりです、ペルラ嬢。ミリス・ヘーゼルと申します」
「ご、ごきげんよう」
ペルラも慌てて立ち上がった。
正直、名前も顔も覚えていなかったが、王都守備隊の人なので、ベルデについて家に来たことがあるのかもしれない。
それに、ヘーゼル家はさすがのペルラも知っている。
ヘーゼル侯爵家は、名門の騎士の家で、軍の要職にも多くの人材を送り込んできた。
ベトーラ伯爵家もまた、古くから王家に仕える騎士の一族だった。
家格は違うが、家門の気風を考えれば、なかなか良い縁談である。
ミリスはガレナへ目を向けた。
「お話の途中でしたか?」
「いえ」
ガレナは即座に答えた。
王都守備隊では、ミリスはガレナの上官にあたる。
その上、中央の高位貴族であるヘーゼル侯爵家の跡継ぎのミリスと、アルマンディン貴族の三男であるガレナとの間には、大きな身分の差があった。
ミリスがペルラへ用があって来たのなら、ガレナが下がるのが当然の作法だった。
「ペルラ嬢、ご挨拶できて光栄でした。では、失礼いたします」
「私もです。あ、あの……」
ペルラは何かもう一言返そうとしたが、適当な言葉が思いつかない。
その間に、ガレナは丁寧に一礼し、去って行った。
ミリスは、ペルラに座るように促すと、その隣に腰を下ろした。
「ペルラ嬢は、北の庭へいらっしゃるご予定だと伺っております。私がご案内することになっていますが、もう少し休まれますか?」
「ええ、すみません。もう少し座っていてもいいですか?」
「もちろんです。ゆっくりしてからにしましょう」
ミリスは椅子に深く腰かけ直した。
そのミリスとペルラを、少し離れたところからディアバスは見ていた。
新しく現れた男の立ち居振る舞いは、明らかに上流貴族だった。
――兄貴が考えていたのは、きっとこの男だ。
ディアバスは納得した。
ならば、もう自分の役目は終わりだろう。
ディアバスは果実水のグラスを持って、ペルラの近くまで来ていたが、足を止めた。
今さら二人の間へ入っていく必要もない。
このまま人混みに紛れ、ベルデのところへ戻ろうと進路を変える。
「あっ、アーバス!」
そのとき、ペルラの声が飛んできた。
振り返ると、ペルラと目が合った。
「果実水を……あっ」
ペルラは、ディアバスが持っているグラスを指差した。
その瞬間、隣にいる男を思い出したらしい。あわてて手を引っ込め、恥ずかしそうに謝っている。
「すみません……」
「いえいえ。
こちらこそ、気づかず、失礼いたしました」
男は笑っていた。
ペルラに呼ばれてしまっては、もう立ち去るわけにもいかない。
ディアバスは仕方なく二人の前まで戻った。
まず男へ挨拶する。ミリス・ヘーゼルと言うらしい。覚えておこう。
それからディアバスはペルラへ果実水を差し出した。
ペルラはグラスを受け取り、すぐに半分ほど飲むと、ディアバスを見上げた。
「あの、アーバスは一緒に来ないの?」
ディアバスが答えるより先に、ミリスが口を開いた。
「もちろん、ご一緒いただいて構いませんよ」
ミリスは本当に気にしていないようだった。
ディアバスのことはベルデが遠縁だと説明したはずだが、他の貴族と同様に、ペルラの従者か護衛に近い存在だと考えているのだろう。
「私はベルデ様に呼ばれているので……」
ディアバスは自分の声が少しかすれているのがわかった。
それでも、ペルラにグッと笑顔を見せる。
「ですから、庭にはミリス様といらしてください」
「そう……」
ペルラはグラスへ目を落とした。
ミリスが言った。
「お疲れが取れてから参りましょう。花はまだしばらく待ってくれるはずです」
ペルラはミリスを見た。
「はい」
ペルラは頷くと、残りの果実水を少しだけ飲んだ。




