69. バサルク王宮編(13) ピレイ邸
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
ピレイの屋敷は、王宮からそれほど遠くない場所にあった。
ディアバスは庭へ出ると、しばらく黙って目の前の物を見上げた。
木と木の間に網が張られている。
太い枝から縄が垂れ、少し離れた木には細い吊り橋が渡されていた。
高さは王宮の訓練場ほどではない。
それでも、地面から見上げれば十分に高かった。
「これが子供用?」
「はい。樹上移動の練習場です」
ピレイは答えた。
「何歳?」
「七歳、五歳、四歳です」
「四歳……」
ディアバスはもう一度、頭上を見上げた。
少し離れたところでは、武術教師が縄や網の状態を確認している。
王宮でディアバスの樹上移動を見た教師は、ここを使えると聞いてすぐに賛成した。
王宮の訓練場より高さはない。それでも、揺れる足場を渡り、縄や網を使って木々の間を移動する練習には十分だった。
「子供用ではありますが、造りは頑丈です。
殿下がお使いになっても問題ありません」
ピレイが言った。
「ありがとう」
庭の向こうから、子供たちの声が聞こえた。
「父上!」
三人の子供が駆けてくる。
一番上の子供が、ピレイの隣にいるディアバスを見て足を止めた。
「このお兄さん、誰?」
「ディアバス第二王子殿下ですよ」
ディアバスは少しだけピレイを見た。
「王子様?」
「そうです」
三人の視線が一斉にディアバスに集まった。
――これから木から落ちるかもしれないのに。
できればただのお兄さんでいたかった。
「こんにちは」
ディアバスが言うと、三人も口々に挨拶を返した。
「お兄さん、何するの?」
「今日はここで練習するんだよ」
「あっち?」
子供が吊り橋を指さした。
「ああ」
「ぼくもやる!」
「今日は殿下にお貸しするのですよ」
ピレイが止めた。
「えー」
「後で遊びなさい」
「はーい」
三人は素直に引き下がったが、立ち去る気はないらしい。
少し離れたところに並んで座った。
「では、始めましょう」
武術教師に呼ばれ、ディアバスは上着を脱いだ。
最初は、網を使って一本隣の木へ移る。
「殿下。腕だけで体を支えようとなさらず、足にも体重を乗せてください」
「はい」
「右足をもう少し先へ」
「ここですか?」
「もう少しです」
ディアバスは慎重に右足を伸ばした。
網が沈む。
反射的に両腕へ力が入った。
「殿下、力みすぎです」
「はい」
「網の揺れに逆らわないでください」
「はい」
言われた通りにしようとする。
しかし、頭で分かることと、体が動くことは別だった。
右足へ体重を移した途端、網が大きく揺れた。
ディアバスは慌てて元の位置へ戻った。
「お兄さん、頑張れ〜!」
下から声が飛んできた。
「頑張れー!」
「ありがとう……」
三人に応援されながら、ディアバスはもう一度足を出した。
今度は網が揺れても戻らなかった。
一歩。もう一歩。
「そうです。そのまま」
次の縄へ手を伸ばす。
届いた。
少しだけ息をついた。
「殿下、次は右足をもう少し外へ出してください」
「はい」
同じ場所を何度も行き来するうちに、下から聞こえていた声はいつの間にかなくなっていた。
見ると、子供たちはもういない。
どうやら飽きたらしい。
ピレイもいなかった。
「右足へ体重を移して、そのまま次の縄を取ってください」
武術教師が手本を見せる。
「はい」
ディアバスは教師の背中を見ながら、自分も真似て右足を出した。
網が沈んだ。
揺れに合わせようとした瞬間、足が滑った。
「あっ」
体が落ちた。
教師は背中を向けていて、気付かなかった。
ディアバスは、とっさに縄へ手を伸ばしたが、届かない。
次の瞬間、何かに強く引き上げられた。
景色が揺れた。
気づけばディアバスは、さっきまでいた網の上に戻っていた。
「?」
ディアバスは周囲を見回した。
――今、俺は落ちた。間違いなく落ちたはずだが?
「そのまま右手を次の縄へ。足元ばかり見ないようにしてください」
少し離れたところから、教師の声が飛んできた。
「あっ、はい」
「殿下、右手です」
訓練を続けていると、庭の向こうから再び子供たちがやってきた。
「お兄さん、できた?」
「少しは」
七歳の子供が、ディアバスの渡ってきた網を見上げた。
「そこ、ぼくもできるよ」
「そうか」
「ぼくは四歳からできたよ」
「四歳から?」
「うん」
五歳の子供も手を挙げた。
「ぼくもできる!」
「そうか」
四歳の子供も負けじと手を挙げた。
「ぼくも!」
ディアバスは三人を見た。
「みんな、すごいな」
三人は嬉しそうに笑った。
訓練を終えて地面に降りると、全身が重かった。
「……明日、筋肉痛だな」
ディアバスは小さく呟いた。




