5. 舞踏会編⑤ 舞踏会のはじまり
最初にベルデが馬車から降り、続いてペルラへ手を差し出す。
王都守備隊副隊長として正装したベルデは、どこにいても目を引いた。
セージグリーンの長い髪はひとつに結び、背中に流してあった。濃い紫色の瞳は妹のものとよく似ている。
白と紺を基調に、銀の装飾を施した王都守備隊の制服は、背の高いベルデによく似合っていた。
そして、左耳の下側を囲むように始まり、首筋から左肩を通って左手まで、『星の蔦』が伸びている。
幾筋もの銀線が細い蔦のように絡み合い、制服と身体に沿って複雑な模様を描いていた。そのところどころに、剣の飾りと同じ濃い紫色の小さな宝石がはめ込まれている。
『星の蔦』はムーンストーン王立軍の装備であり、装飾品ではない。
しかし、王宮のシャンデリアの光を受けた銀線と宝石は、精巧なアクセサリーのように美しく煌めいていた。
ディアバスは、ベルデの隣ではずいぶん地味に見えた。
ムーンストーンの王都ではめったに見ない褐色の肌。黒い瞳と黒い髪。髪は後ろでひとつに小さくまとめている。
背はベルデより、わずかに高い。
服は黒に近い濃紺で、飾りは襟元と袖口に、申し訳程度の細い銀細工がついているだけだった。
王宮へ入る以上、貴族として最低限の身なりは整えなければならない。そのために仕方なく加えた装飾であることが、よくわかる。
三人が大広間へ入ると、ベルデはすぐに何人もの知人に声をかけられた。
「ベトーラ副隊長!」
「久しぶりだな。北門の件以来か?」
「先日はうちの若い者が世話になったそうで」
軍関係者もいれば、王都の役人もいれば、長年の友人もいる。
ベルデは足を止めるたび、快活に笑い、相手の肩を叩き、冗談を交えながら次々と話を返した。
ペルラはその隣で、何度目かわからない紹介を受ける。
「妹のペルラだ」
「はじめまして。ペルラ・ベトーラと申します」
曖昧に笑い、軽く頭を下げる。
相手の名前を聞き、家名を聞き、初めてではない相手にも初めてのような気持ちで挨拶をする。
五人目を過ぎたころから、頬が少し疲れてきた。
十人目を過ぎるころには、笑顔を作るたびに顔の筋肉が引きつるようになった。
「お噂は以前から」
「まあ、ベルデ殿にこのように可愛らしい妹君がいらしたとは」
「今夜はぜひ踊っていただきたいものですな」
「ありがとうございます」
ペルラは同じ笑顔で答え続けた。
そのすぐ後ろにいるディアバスは、いつものように紹介されなかった。
誰も彼の名を尋ねない。
たまに視線を向ける者がいても、ベルデの従者と判断するのか、すぐに興味を失った。
ディアバスにとっては、その方がありがたい。
アーバス・セルドがどこの領地の出身なのか。両親は誰なのか。ベトーラ家とはどのようにつながっているのか。
根掘り葉掘り聞かれたところで、答えに困るだけだった。
ベルデは楽しそうに何人もの客と話しながら、大広間の中央へ進んでいった。
ところが、ある人物に声をかけられた途端、ほんの少し顔を曇らせた。
「ベトーラ副隊長」
低く太い声だった。
振り向いた先にいたのは、アルマンディン駐留軍東部方面司令官、ソルト伯爵だった。
がっしりとした体格の初老の軍人で、日に焼けた顔には深い皺が刻まれている。
ベルデはすぐに笑顔を作った。
「ソルト司令官。王都へ戻っておられたのですか」
「ああ、数日前にな」
「お疲れ様です」
「ベトーラ副隊長も一度はアルマンディンに来ればいい。王都にばかりいては、軍人として身につかんことが多いぞ」
「今は家の都合で王都を離れられませんが、いずれはアルマンディンで経験を積みたいと思っております」
「何年もそう聞いているが、いずれとは一体いつなのかねえ」
ソルト伯爵は不機嫌そうに言ったが、ベルデは微笑を顔に貼り付けていた。
伯爵は、軍人が成長するにはアルマンディン領での駐留経験が不可欠だと心の底から信じている。
実戦に近い緊張感、異なる土地での指揮、限られた人員と物資。
それらを経験せずに王都で出世する軍人を、あまり信用していなかった。
そのため、王都守備隊の若い幹部でありながら、一度もアルマンディンへ赴任したことのないベルデを見るたび、駐留軍へ誘っていた。
「まあ、その話はまた後にしよう」
ソルト伯爵は今日に限って勧誘をあっさり諦めると、横へ目を向ける。
そこには、王都で流行している、きらびやかな装いに身を包んだ、端正な顔立ちの若い男が立っていた。
「長男のカシューだ」
若い男はさわやかに微笑んだ。
「父からは、いつも副隊長のお話を聞いております。王都守備隊になくてはならない方だと」
「いえ、とんでもない」
ベルデの笑顔がやや引き攣る。
ソルト伯爵が、ペルラにまだ婚約者がいないことを調べてきたのは明らかだった。
父親の方は、主義主張こそベルデとは合わないが、有能な軍人である。
しかし、長男は別だった。
何年も夜ごと大金を使い遊び歩き、最近とうとう婚約を破棄されたという噂だった。
「そちらが妹君かな」
ソルト伯爵がペルラを見る。
「はい。ペルラ・ベトーラと申します。お目にかかれて光栄です」
ペルラは、何度も繰り返してきた挨拶を、今度もきちんと口にする。
カシューはジッとペルラの目を見つめた。
「今夜この舞踏会に来て良かった。あなたのような美しい方に出会えるとは」
「あの、いえ、そんな……」
ペルラは、頬を少し赤らめてうつむいた。
ベルデは大切な妹とこの男の縁を検討する気など、さらさらなかった。しかし、社交界に疎いペルラとディアバスはその噂を知らないだろう。
たとえ噂を知っていたとしても、人慣れしていないペルラがうまくかわしてくれるとは思えない。
とにかく、ペルラがここでカシュー相手に変にやる気を出しては困る。
どうしたものか、とベルデは思った。
ディアバスにペルラを連れて、この場を離れさせるしかない。
ベルデは全力で念じながら、ディアバスをジッと見た。
視線に気付いたディアバスは焦った。
ベルデが何かを伝えたいのは分かったが、それが何かがわからない。
いくらジッと見られても、わからないものはわからない。
しかし、先程からベルデの表情がやや固く会話も盛り上がらないため、おそらくカシューはベルデの考えていた縁談候補ではないのだろう。
カシューから早く離れて、タールダダンとかいう珍しい花がある北の庭にペルラを送り届けろということか。
それでいいのか?
「ペルラ」
ディアバスは声をかけた。
ペルラが振り向く。
「何?」
ディアバスは大広間の向こうへ視線を向け、誰かを見つけたように軽く手を上げた。
もちろん、そこには誰もいない。
「向こうでペルラを呼んでるぞ」
「私を?」
「ああ」
「そう……
では、すみませんが、失礼いたします」
ペルラはソルト伯爵とカシューに頭を下げる。
「また後ほど」
カシューが微笑んだ。
その言葉には答えず、ディアバスはペルラを人混みの向こうへ連れ出した。
ベルデたちから十分に離れたところで、ディアバスは一瞬だけ振り返った。
ソルト伯爵と話を続けていたベルデも、ちょうどこちらを見ていた。
伯爵とカシューからは見えない角度で、ベルデが満足そうにニヤリと笑う。
正解だったらしい。
ディアバスは小さく息を吐いた。
「どなたが呼んでいたの?」
ペルラは人々の間に目を凝らした。
「……見失った」
「もう?」
「ああ。人が多いからな」
ペルラは不思議そうに大広間を見回した。




