23. ミリス編⑧ 柱の陰
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
王宮の大広間には、いつもより多くの人が集まっていた。
外国使節の歓迎式である。
ミリスも王都守備隊の中隊長として、その場に出席していた。
ヘーゼル侯爵家の嫡男で、軍人としての経歴も順調、人当たりがよく、おまけに容姿にも恵まれている。
そんなミリスをひそかに好ましく思う令嬢は少なくなかった。
しかし、ミリスが探しているのはペルラだった。
ベルデはすぐに見つかったが、そばにペルラはいない。
今夜会えるかと、少しだけ期待していたのだが。
先日、ベトーラ家でアルマンディン駐留軍への異動を志願するつもりだと話した。
言わない方が波風を立てないのはわかっていた。
それでも、ペルラに嘘はつきたくなかった。
その後、ベルデから縁談を辞退したいと告げられた。
――それで、はいそうですかと諦められるなら苦労しないんだよな。
ミリスは小さく息を吐いた。
ミリスは、騎士家系のヘーゼル侯爵家の嫡男として、当然のように剣を習い、軍へ入った。
だが、幼い頃、剣の才能があったのはむしろ妹のルビーだった。
ルビーは、兄を見下したことなど一度もない。
ただ、両親が、自分のいないところで話しているのを聞いたことがある。
『ルビーが跡継ぎならよかったのに』
悪意があったわけではないのだろう。
今さら、その言葉に傷つく年でもない。
それでも一度くらい、自分から厳しい場所へ飛び込んでみたかった。
自分がどこまでできるのか試してみたい。
――アルマンディンへ行くことは諦められない。でも、ペルラも諦められない。
ミリスは壁際へ寄った。
近くにいた令嬢がこちらを見たが、気づかないふりをした。
ペルラは、侯爵家も剣も出世も、ほとんど気にしていない。
本の話をすれば楽しそうに聞く。
自分の知らない植物の話を始める。
こちらの話に笑ったり、驚いたり、困ったり。
ミリス自身と話している。そんな気がした。
ペルラに、もう一度会いたい。話したい。
アルマンディンへ行くまでの間だけでも――いや、できればその先も。
「……ん?」
ふと、柱の陰にアーバスを見つけた。
あの男は今日も、帰ればペルラに会うのか。
今日も。明日も。明後日も。
ミリスは少し迷ってから、そちらへ歩いていった。
ペルラの話がしたかった。
◇
「こんばんは、アーバス様」
声をかけられ、アーバスことディアバスは心の中でため息をついた。
できれば、今夜はミリスとは話したくなかった。
縁談を断ったことはベルデから聞いていた。
だが、向こうから挨拶をされて、無視するわけにもいかない。
ディアバスはいつもの笑顔を作った。
「こんばんは、ミリス様」
「今夜はいかがですか? 楽しんでいらっしゃいますか?」
「ええ、まあ……」
――あなたが来るまでは。
もちろん、口には出さない。
ミリスはそんなディアバスの胸中など知るはずもなく、辺りを見回した。
「今日はペルラ様はいらっしゃらないんですか?」
やはり、それを聞くのか。
「ええ、そうなんです。少し体調が万全ではなくて。季節の変わり目だからでしょうか」
嘘ではない。
季節の変わり目は体調を崩しやすい。
ペルラが今夜ここへ来なかった本当の理由は、ミリスと顔を合わせるのが気が重いと、出かける直前までぐずぐず言っていたからだが。
ミリスの表情が変わった。
「それは……心配ですね」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。でも、大したことはありません。一日休めば、きっと大丈夫だと思います」
「そうですか。それならよかった」
本気で安堵したようだった。
「では、私は少し飲み物を取ってまいりますので」
ディアバスは軽く会釈し、柱の陰から出ようとした。
その瞬間だった。
ミリスが一歩、素早く距離を詰めた。
「アーバス様」
「……はい?」
偶然を装うような自然な動きで、ミリスがディアバスの進もうとした側へ身体を入れる。
ディアバスは足を止めた。
――何なんだ、この人。
ミリスは周囲をちらりと確認してから、声を落とした。
「あの……ペルラ様は、魅力的な方ですよね?」
「……」
――何が言いたい?
ディアバスは、自分の顔から笑みを消さないよう意識した。
「ええ。すてきな女性だと思いますよ」
そう答えた途端、なぜか少し前の光景が頭に浮かんだ。
◇
今夜、ベルデとディアバスが王宮へ出かける少し前。
着替えを済ませたディアバスのところへ、ペルラがやって来た。
「ディア、ちょっとだけお願い」
ダンスの練習か。
おそらくディアバスが王宮に行く服に着替えたので、ペルラはそこから連想してダンスのことを思い出したのだろう。
タイミングが悪い。
「もうそろそろ出るんだけど」
「一回だけ、お願い!」
「一回だけ?」
「うん」
信用ならない。
それでも結局、ディアバスはペルラの手を取った。
ペルラの顔が輝いた。
「ありがとう!今日は頑張る!」
踊り始めて、早速足を踏まれた。
「あ、ごめん」
少し痛かったが、ディアバスは気にしなかった。
だが、ペルラは申し訳なさそうにして、それから足の運びが崩れ始めた。
その直後、ペルラの身体がぐらりと傾いた。
ディアバスが慌てて支える。
「危ない」
「ありがとう……やっぱり難しいよ」
ペルラの顔が曇る。
「少しミスしても気にするな」
「うん」
「毎日練習しような」
「そうだね、毎日しなきゃいけないよね……」
会話しながら、ディアバスは笑わないようにしていた。
本人は真剣なのだ。
分かっている。
分かっているのだが、ペルラはすっかり足元に意識が向いている。
いつもより、さらにぎこちない。
とうとう耐えきれず、ディアバスが吹き出す。
「ふっ……」
「笑った!」
「笑ってない、笑ってない」
「笑ってる」
ペルラが顔を上げた。
悔しそうな上目遣い。
――かわいい。
そう思うと、ますます笑いを堪えるのが難しかった。
「ディア!
笑わないって約束だったでしょ?」
ペルラはディアバスに飛びついて、胸をポカポカ叩いた。
「ごめん、ごめん」
結局、「一回だけ」は一回では済まなかった。
◇
「アーバス様?」
呼ばれて、ディアバスは我に返った。
目の前にはミリスがいる。
「失礼しました」
ミリスは少し考えるようにディアバスを見てから言った。
「ペルラ様は、アーバス様のことを兄のような方だとおっしゃっていました」
「そうですね」
――だから何だよ。
ディアバスは笑みを崩さなかった。
――あなたはもう、ペルラとは関係ないだろう。
「アーバス様」
先ほどより真剣な声だった。
「ペルラ様も、アーバス様も、悪いようにはしません。
私に、もう一度ペルラ様とお話しする機会をいただけませんか。」
――それをなぜ俺に言う。
「それは、私には決められません。ベルデ様とお話しください」
ディアバスはきっぱりと言った。
「もちろん、ベルデ様には改めてお話しするつもりです」
「でしたら、なおさら私から申し上げることはありません」
ディアバスはミリスの横をすり抜けようと、一歩踏み出した。
「では、ひとつだけ教えていただけませんか?」
――まだ何かあるのか。
ディアバスが仕方なくミリスを見る。
「この、みずみずしくて、ほのかに甘い花の香り。
ペルラ様の香りですよね?」
ミリスは微笑んだ。
「……?」
ディアバスの笑顔が固まった。
――どういうことだ?
一瞬、自分の服へ目を落とす。
今夜は出かける直前まで、ペルラのダンスの相手をしていた。
香りが移ったのだろうか。
だとしても、ほんのわずかなはずだ。
「……」
言葉が出ずにいると、ミリスはさらに尋ねた。
「これは、どちらのお店の香水ですか?
アーバス様なら、ご存じでしょう?」
――知ってるけど。
当然、知っている。
――お前がそんなものを知って、どうするんだ?
ものすごく教えたくなかった。
だが、香水をどこで買ったかなど、秘密にするような話でもない。
ディアバスは仕方なく店の名を告げた。
「あのお店ですか! ありがとうございます」
ミリスの顔が明るくなる。
「では、また。
良い夜をお過ごしください」
ミリスは感じのよい笑顔を浮かべると、去って行った。
ディアバスは、ようやく柱の陰から出ることができた。




