21. ミリス編⑥ 小箱
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
「少々、失礼いたします」
ペルラがそう言って席を立つと、アーバスことディアバスが扉を開けた。
二人が廊下へ出ていき、応接室にはミリス一人が残された。
ミリスは紅茶を口へ運びながら、先ほどの会話を思い返した。
アルマンディン駐留軍への異動を志願すると告げたとき、ペルラは明らかに戸惑っていた。
もっとも、絶対に嫌とは言われていない。
治安が悪く、王都から遠い土地なのだ。
ムーンストーン王国内を王都から南の港まで何日もかけて移動し、それから船に乗り、赤道を越え、ようやくアルマンディン大陸の北端に着く。
すぐに賛成できないのも無理はない。
一度話しただけで決めるようなことでもない。これから少しずつ話していけばいい。
それに、ペルラがアルマンディンそのものを嫌っているとは思えなかった。
アーバスのこともある。
褐色の肌に黒い髪、黒い瞳。
ムーンストーンの地方貴族の出だと聞いているが、その容貌からはアルマンディンの血が入っているように見える。
ペルラは、そのアーバスと幼い頃から家族同然に暮らしている。
ならば、気になっているのは土地の遠さや治安なのかもしれない。
ミリスは何気なく応接室を見回した。
飾り棚に、金の小箱があった。
小箱の圧倒的な存在感に、吸い寄せられるようにミリスは立ち上がった。
厚みのある金の表面に、直線と角を幾重にも重ねた幾何学模様が刻まれている。
側面ぐるりに赤い宝石がいくつも配置され、正面のものは親指の先ほどもある。透き通る深い赤が、金の中でひときわ鮮やかに輝いていた。
箱の縁にも細かな金細工が巡らされ、どこを見ても隙がない。
ムーンストーンで好まれる、細い銀線の曲線美とはまったく違う。
力強いアルマンディン様式だ。
美術品に詳しくなくても、相当な品だと分かる。
小さな箱一つに、かつてアルマンディン大陸全土を治めた王国の富と繁栄が、そのまま凝縮されているようだった。
なぜ、これがベトーラ家にあるのだろう。
アーバスといい、この小箱といい、ベトーラ家にはアルマンディンとの縁でもあるのだろうか。
眺めていると、扉の向こうから足音がした。
ディアバスが扉を開け、その後ろからペルラが戻ってくる。
「失礼いたしました。お待たせして申し訳ございません」
「いえ。気になさらないでください」
ミリスは小箱へ視線を戻した。
「ところで、これは見事な箱ですね。アルマンディンの品ですか?」
「あ……」
ペルラは一瞬困った顔をした。
そんな表情もかわいいとミリスは思った。
ペルラは後ろに立つディアバスを振り返った。
その箱がどこから来たものなのか、ペルラは知っていた。
ディアバスの亡き母王妃の遺品である。
あまりに見事な品だったため、応接室の飾り棚に置いていた。
ベトーラ家には訪れる客が少なく、由来を尋ねられる可能性を、誰も深く考えていなかったのだ。
適当な嘘で取り繕うことはできるが、そうしてもいいものか、ペルラには判断できなかった。
ディアバスが口を開いた。
「おっしゃる通り、アルマンディンの品に見えますね。ただ、詳しいことは存じません。申し訳ございません。
ベルデ様でしたら、何かご存じかもしれませんが」
「そうですか。
あまりにすばらしいので、つい気になりまして」
ミリスはもう一度小箱を見た。
「きれいですよね。私も好きです」
ペルラも小箱を見て、微笑んだ。
◇
ミリスが帰ったあと、ディアバスは応接室へ戻った。
金の小箱を自室に移動させる。
よく見るのは久しぶりだった。
この箱がバサルクから届いたのは、ディアバスがまだ幼かった頃だ。
母の遺品だと、父からの手紙に書かれていた。
母のことを、ディアバスは覚えていない。
三歳でムーンストーンへ送られたディアバスは、それ以来、一度もバサルクへ帰ったことがなかった。
ベトーラ家は、何度も一時帰国をムーンストーン王家へ願い出てくれていた。
だが、そのたびに却下された。
人質を一時帰国させるとなれば、バサルク王家との協議が必要になる。
一人に認めれば、他国から来ている人質への対応も問題になる。
ベルデは以前、ムーンストーン王家がディアバスの帰国を強く拒んでいるというより、官僚たちが面倒を避け、これまで通り却下しているだけではないかと話していた。
本当のところは分からない。
ディアバスは、王都にいるバサルク公使と自由に会うこともできなかった。
故国とのつながりは、年に何度かの手紙くらいだった。
幼い頃は、父と母から手紙が届いていた。
母が亡くなってからは父から届き、やがて兄の名前も加わった。
そして今では、兄から届くようになった。
父が、母が、兄がどんな人なのか、ディアバスは知らない。
バサルクとの手紙は全て開封し検閲されており、手紙には一般的な内容しか書かれていなかった。
それでも手紙が届けば、バサルクに自分の家族がいるのだと思った。
ディアバスは机の上の小箱に触れた。
蓋の内側には、母の生家であるアルマンディン貴族の紋章が刻まれていたはずだ。
昔、見た記憶がある。
もう何年も開けていない。
久しぶりに見たくなって、ディアバスは蓋を開けた。
「…………」
飴が溶けていた。
中には、色とりどりの包み紙に包まれた飴が、数個入っていた。
包み紙はところどころほどけ、その隙間から溶けた飴が流れ出ていた。
しかも、箱は内側にも細かな金細工が施されている。
溶けた飴は、その細い溝や凹凸にまで入り込んで固まっていた。
見覚えがある。
子供の頃、ペルラが気に入っていた飴だ。
おいしいから取っておくと言って、何個かこの箱にしまっていた。
どうやら、そのまま忘れたらしい。
ディアバスは小箱の中を見つめた。
「……どうやって掃除すんだよ、これ」
そのとき、ノックと同時に扉が開いた。
「ねえねえ、ディア。明日の朝、私パンケーキがいい……」
ペルラが入ってきた。
「あ、さっきの小箱見てるの?」
「……」
ペルラが机へ近づき、小箱の中を覗いた。
「あ……飴」
ディアバスはペルラを見た。
「お前なー」
ペルラは目を逸らした。
「あ、私そういえば用事思い出したわ……」
ペルラはそのまま部屋を出ていった。
部屋には、金の小箱と飴とディアバスが取り残された。




