20. ミリス編⑤ ミリスの一日
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
【20. ミリス編⑤ ミリスの一日】
王都守備隊のミリス・ヘーゼル中隊長は、今日も朝から忙しかった。
市場の近くで荷馬車同士の衝突事故があった。
怪我人の救護、散らばった荷物の片付け、火事場泥棒の見張り、交通整理。ミリスは各班へ指示を出し、自分も現場へ向かった。
何とか片付けて本部へ戻ると、シナモン王太子の近衛から連絡が入っていた。
街へ出ていた王太子が、予定していなかった人気の菓子店へ立ち寄るという。
ミリスは部下を連れて菓子店へ向かった。
店内は混み合い、外には入店を待つ列ができていた。
近衛が到着するまでに、店内を空けなければならない。
「申し訳ありません。ただいまより、店内を一時閉鎖いたします」
当然、客たちは納得しなかった。
「ちょっと、こっちは何時間並んだと思ってるの?」
「あと三人だったのに!」
店内からも声が上がった。
「おい! 俺は今、料理が来たところなんだぞ!」
さらに、母親に手を引かれて店から出てきた子供が、店先で泣き出した。
「ケーキ食べたかったぁ!」
母親が困ったように頭を下げる。
「すみません……」
「いえ。こちらこそ申し訳ありません」
ミリスはしゃがんで、子供と目線を合わせた。
「長くはかからないはずです。終わったら、またお店に入れますから」
「ほんと?」
「ええ」
「いちごのケーキ、なくならない?」
それは分からない。
「店の方に、取っておいていただけるか聞いてみましょう」
子供が泣き止んだ。
ミリスは立ち上がると、部下の一人へ声をかけた。
「列の順番が分かるようにしておいてくれ。営業再開後、できるだけ元の順番で入れるようにする」
「はい!」
料理を前にして追い出された男には、店員が何度も頭を下げている。
ミリスもそちらへ向かった。
以前から思っていた。
自分がしたいのは、こういう仕事なのだろうか。
副隊長のベルデのことは尊敬している。
だが、自分が目指したいのは、ベルデと同じ道なのだろうか。
やがて、シナモン王太子が来た。
そのすぐそばには、王太子とよく一緒にいる、モスグリーンの髪の近衛がいた。
ほとんど表情を変えない男だ。
細い銀線がからみあう星の蔦が、左腕から両耳の後ろまで伸びていた。
これほど大型の星の蔦は、軍にいても滅多に見かけない。
相当な実力者なのだろう。
一行は、すっかり客のいなくなった店へ入っていった。
店内では、シナモンがショーケースを眺めていた。
「ヴィレンス。カオリンには、いちごケーキとメロンケーキ、どっちがいいと思う?」
妹のカオリン王女へのお土産選びのようだ。
「あ、チョコレート系もおいしそうだな。チョコレートケーキと、生チョコケーキと、チョコレートムースケーキか」
王太子は真剣だった。
「迷うな。どれがいいかな?」
ヴィレンスと呼ばれた近衛は、ショーケースを見た。
「店員におすすめを聞いてみてはいかがでしょうか」
「お! いいこと言うね!」
ミリスは店の周囲に視線を移した。
近衛は、名誉ある仕事だ。
実力も家柄も優れていなければ、近衛にはなれない。
――それでも、自分がなりたいのは近衛でもない。
ミリスは以前から、アルマンディン駐留軍への異動を考えていた。
アルマンディン。
治安が悪く、ムーンストーン王都の貴族から敬遠されている土地。
しかし、昔はムーンストーンよりも繁栄していたという。
治安が安定すれば、商業も活発になり、またアルマンディンが繁栄するのではないか。その一助になりたい。
もっと経験を積み、武勲を立て、軍人として出世もしたい。
――アルマンディン駐留軍への異動を願い出よう。
両親は今夜説得する。
ペルラ嬢も、真剣に話せばきっと分かってくれる。
仕事が終わりヘーゼル侯爵家の屋敷へ戻ると、ルビーがいた。
「おかえりなさい」
ルビーがぶっきらぼうに言う。
「ただいま」
ミリスは妹の姿を見た。
「また剣の練習か」
「そうよ」
「剣の練習もいいが、本も読んでいるか。今年は王立学校へ入学するんだから」
ルビーはじろりと兄を見た。
「はいはい」
ルビーはそれだけ答え、木剣を持ったまま廊下の奥へ歩いていった。
自室に入ると、机の上に一通の書状があった。
差出人は、以前の婚約者だった。
婚約解消に必要な手続きが、すべて正式に終わったという知らせである。
ミリスには、幼い頃からの婚約者がいた。
しかし、彼女の兄は若い頃に巡航都市プリズマへ留学したまま帰国せず、現地で家庭を持った。
数年ぶりにプリズマがムーンストーン王国の領海へ入ったことで家族が集まって話し合い、兄に帰国の意思がないことが正式に確認された。
そのため、彼女が家を継ぐことになった。
ミリスもまた、ヘーゼル侯爵家を継ぐ立場である。
どちらかが相手の家へ入ることはできない。
二人は前向きに婚約を解消することになった。
ミリスは書状を机へ置いた。
本立てには、ペルラから借りた本があった。
ミリスは本を手に取り、表紙に触れた。
アルマンディンへの異動を願い出ると言えば、両親は猛反対するだろう。
でも、この本が待っていると思えば、説得を頑張れそうな気がした。




