19. ミリス編④ ヴィレンス
ベルデは自室の灯りを消したまま、窓辺に立っていた。
二階の窓から、夜の王都が見渡せた。
白い石造りの王宮や大貴族の邸宅は、青白い光に浮かび上がっていた。
壁や柱を照らす光を、大きな窓にはめ込まれたガラスが複雑に反射する。尖塔や屋根の縁まで淡く輝き、遠目には建物そのものが静かに光を放っているように見えた。
そのとき。
コン、コン。ノックする音がした。
音は、部屋の扉からではなかった。
バルコニーへ続くガラス戸。その向こうに、人影があった。
驚く様子もなく、ベルデは留め金を外し、ガラス戸を開ける。
「悪いな。呼び出して」
一人の男が、音もなく室内へ入ってきた。
深く被ったフードを外す。
ヴィレンスだった。
「こないだは窓から逃げるはめになった。
ここから先は表のやり方じゃ追えない」
ベルデは机の引き出しから報告書を出した。
先日、王都の遊興街で調べた件についての報告書だった。
「普通の人間じゃ無理だ」
「……」
ヴィレンスは無言で報告書を受け取った。
「……いや、お前が普通じゃないって意味じゃないぞ」
「……」
「まあ、普通じゃないけど」
「……」
ヴィレンスはベルデの顔から手元に視線を落とすと、報告書を読み始めた。
「なあ、なんでソルト伯爵はあんなにカシューを自由にさせてるんだろうな。
カシューはいい奴だ。大それたことをできるような男じゃねえ。俺はそう思う。
そもそも、あの請求書を払い続けてるのは、カシューじゃない。
アルマンディンにいるソルト伯爵だ」
カシューの父、ソルト伯爵。
アルマンディン駐留軍、東部方面司令官。
息子が王都でどれだけ金を使おうと、その請求を払い続けている。
「だから、アルマンディンに行ってソルト伯爵を……」
ヴィレンスが懐から一枚の書類を取り出し、ベルデへ差し出した。
「何だ?」
ベルデは受け取った。
表題を見た途端、顔が明るくなる。
「おおっ!! 王立学校の入学許可証じゃないか!」
待ちに待った書類だった。
「ついに、ついに……」
そこまで言って、ベルデは止まった。
「これ、お前の名前じゃないか?」
「……」
「どういうことだ?」
ヴィレンスは、自分の入学許可証を懐へしまうと、もう一枚別の書類を差し出した。
「あっ!」
今度こそ、アーバス・セルドの入学許可証だった。
「こっちだよ、こっち! 待ってたよ!」
ベルデは、アーバスことディアバスの許可証を眺めた。
長かった。
ペルラの入学が決まった後も、ディアバスについてはすぐには許可が下りなかった。
「よかった。これで二人揃って入学できる」
ベルデは満足そうに頷いた。
「まあ、ミリスとうまくいけば、婚活はもう必要なくなるかもしれないけどな。
学校は行っておいた方がいい。ペルラにはいい経験になるだろ。俺は行けなかったしな」
ベルデはそこで、ふと顔を上げた。
「……ってか。お前も入学するの? なんで?」
ベルデはまじまじとヴィレンスを見た。
「シナモン様が入学するから」
「近衛として学校についていくんじゃなくて?」
「新入生」
ヴィレンスは近衛であり、シナモン王太子の護衛をしている。
近衛なら、王立学校を卒業しているのが普通だった。
だが、ヴィレンスは学校に行ったことがないらしい。
ならば、今回は良い機会ということなのだろう。
「あ、それじゃあアルマンディンに行けないじゃん?」
アルマンディンは遠い。
今から行くのでは、来月の入学式に間に合わない。
「……」
「しょうがねえなあ。
ま、とにかくあとは頼むわ」
「……」
ヴィレンスは報告書を懐へしまった。
ベルデは改めてヴィレンスを見た。
「お前、学校生活大丈夫なのか?」
「……」
「食堂で殺気漏らしちゃダメだぞ」
「……」
「食堂では、みんなで楽しくお話ししながら、栄養たっぷりの食事をとるんだ」
「……」
「入学案内に書いてあったからな」
「……」
「あ! ディアバスに、お前を昼飯に誘えって頼むか? 知り合いが一人いれば安心だろ」
「……」
「あ、そうだ!」
ベルデが急に手を差し出して、笑顔で言った。
「言い忘れてたが、入学おめでとう」
ヴィレンスは一瞬遅れて微笑むと、黒い革手袋のまま握手した。
ヴィレンスはフードを被り直した。
来たときと同じようにバルコニーへ向かい、一度だけ振り返ると、夜の王都へ姿を消した。




