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18. ミリス編③ ガレナ

舞踏会からしばらく経ったある日。


その日の王都守備隊は、珍しく穏やかだった。


朝から大きな事件もなく、急ぎの報告も入っていない。


ガレナは詰所の机で、先日の巡回記録を整理していた。


窓の外には、昼の光を受けた王都の白い建物が並んでいる。


同僚たちも、普段よりどこかのんびりしていた。


このまま何事もなく勤務を終えられるかもしれない。


そう思い始めたところで、勢いよく扉が開いた。


「ガレナ」


同僚の一人が、焦った顔で部屋へ入ってきた。


「ベトーラ副隊長が呼んでるぞ」


ガレナは手を止めた。


「え?」


「副隊長室へ来いって」


「私を?」


「お前、何かやらかしたのか?」


「そんなはずは……」


答えかけて、ガレナは口を閉じた。


何もしていない。


勤務中の失敗も、報告漏れもないはずだ。


だが、まったく心当たりがないかと言われると、一つだけ思い当たるものがあった。


舞踏会の夜。


副隊長の妹であるペルラ・ベトーラに話しかけ、その後は彼女の方から二度呼び止められた。


副隊長とミリス・ヘーゼルが、その様子を見ていた。


副隊長の妹に不用意に近づいた、非常識な男だと思われたのだろうか。


「……あれか?」


「心当たりがあるのか?」


「いや、ない……」


自分に言い聞かせるように答えると、同僚はますます不安そうな顔をした。


「とにかく早く行った方がいいぞ」


「ああ」


ガレナは立ち上がった。


副隊長室までの廊下が、いつもより長く感じられた。


扉の前で一度立ち止まり、制服の襟を整える。


深く息を吸い、扉を叩いた。


「ガレナ・カルセドです」


「入れ」


中から、ベルデの声がした。


扉を蔦のように縁取る細い銀線の一部と、ガレナの左手首の星の蔦が、同時にほのかに数回点滅した。


ガレナは自分の星の蔦が光るのを初めて見て、少し驚いたが、すぐに気を引き締めた。


「失礼します」


扉を開ける。


ベルデ・ベトーラは執務机に座っていた。


書類を読んでいたらしく、机の上には何枚かの紙が広げられている。


ガレナが入ると、ベルデは顔を上げた。


そして、思いのほか気さくな様子で立ち上がった。


「君がガレナ・カルセドか」


ベルデは机を回り込み、右手を差し出した。


「副隊長のベルデ・ベトーラだ。今、忙しかったか? 呼び出して悪かったな」


「いえ。大丈夫です」


ガレナは慌ててその手を握った。


想像していたよりも、ずっと普通の挨拶だった。


少なくとも、今すぐ叱責される雰囲気ではない。


少しだけ肩の力が抜けたところで、ガレナは部屋の奥にもう一人いることに気づいた。


応接用の椅子のそばに、ミリス・ヘーゼルが立っている。

ペルラと縁談が進んでいるという上官だ。


舞踏会の夜と同じように、整った微笑を浮かべていた。


ガレナの肩に、再び力が入った。


「まあ、座ってくれ」


ベルデは応接用のソファへ移動した。


ガレナは勧められるまま、その向かいへ腰を下ろす。


ミリスもベルデの隣に座った。


「君はアルマンディン領の出身なんだな」


ベルデが尋ねた。


「はい」


「王都へ来て、どのくらいになる?」


「二ヶ月ほどです」


「どうだ。王都には慣れたか?」


「はい。少しずつですが」


「守備隊はどうだ? 困っていることはないか?」


「ありません。皆さん、よくしてくださいます」


「そうか。それならよかった」


ベルデは穏やかに笑った。


ここまでは、上司と部下の面談にしか聞こえない。


それでもガレナは、なぜ自分だけが副隊長室へ呼ばれ、なぜミリスまで同席しているのか分からず、落ち着かなかった。


ベルデは少し間を置いた。


「ところで、差し支えなければ聞かせてほしいのだが」


「はい」


「君は今、婚約相手を探しているのか?」


来た。


ガレナは背筋を伸ばした。


やはり、舞踏会の件で呼ばれたのか。


「あっ、はい」


思わず声が上ずった。


ベルデは特に気に留めた様子もなく続けた。


「相手に求める条件はあるか?」


「条件ですか……

将来、故郷のアルマンディンで暮らす可能性があります。ですから、そのことを受け入れてくださる方がよいと思っています」


「なるほど」


ベルデは隣のミリスを見た。


ミリスは小さくうなずいた。


「それなら、ちょうどよさそうな方がいる」


ベルデは言った。


ガレナは瞬きをした。


「ムーンストーン南部に、アルマンディンとの航路の発着地になっている港があるのは知っているな?」


「はい」


もちろん知っていた。ガレナ自身、その港からムーンストーン本国へ上陸したばかりである。


南方の小国の島々や、さらにその先のアルマンディン大陸と往来する人や物資が集まる街だ。


アルマンディンへ駐留に向かうムーンストーン軍の船団も、主にその港で編成される。


ムーンストーン本国の中では、最もアルマンディンに近い土地の一つだった。


「その港の近くに領地を持つ貴族家の令嬢だ」


ベルデは説明を続けた。


「アルマンディンとの交易や軍の往来にも理解がある家だ。令嬢本人も、王都より港町で暮らす方が性に合っているらしい」


ガレナは黙って聞いた。


確かに、王都の中央貴族の令嬢よりも、アルマンディンへの赴任を受け入れてもらえる可能性は高いだろう。


「もちろん、すぐに婚約という話ではない」


ベルデは言った。


「まずは手紙を交わすか、機会を作って会ってみるだけでもいい。君にその気があるなら、ヘーゼル家から先方へ話を通せるそうだ」


ガレナはミリスを見た。


「その家とは、以前から多少の付き合いがあります」


ミリスが穏やかに言った。


「カルセド殿が望まれるなら、紹介状をお出しします」


「ありがたいお話です」


ガレナは答えた。


断る理由はなかった。


舞踏会で手当たり次第に声をかけるより、はるかに確実である。


「ぜひ、お願いいたします」


「そうか」


ベルデは満足そうにうなずいた。


「では、先方にも都合を聞いてみよう。返事が来たらまた知らせる」


「ありがとうございます」


ガレナは深く頭を下げた。


話は、それだけだった。


勤務上の失敗を叱られることもなければ、ペルラの名前が出ることもなかった。


副隊長室を出たあと、ガレナは廊下をゆっくり歩いた。


舞踏会から、まだ少ししか経っていない。

それなのに、ベルデとミリスは王都から遠く離れた南部の令嬢を紹介してきた。


大変ありがたい縁談話ではある。

だが、あまりにも手際がよすぎる。


もしかして自分は、ペルラの周囲から、ついでに中央貴族の婚姻網からも、体よく遠ざけられたのではないだろうか。


ガレナは廊下の窓から、外を見下ろした。


王宮のすぐ近くには、貴族の頂点とされるアデュラリア公爵家の広大な屋敷と庭園が広がっていた。


「これがムーンストーン中央貴族か……」


ガレナは小さくつぶやいた。

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