15. カシュー編③ 脱出
夜もだいぶ更けていた。
ベルデは王都の遊興街にある店の廊下を、早足で進んでいた。
王都守備隊の制服姿だった。
腰には剣。左手から腕を這う星の蔦は、いつものように左耳の後ろまで伸びている。
後ろから、複数の足音が迫っていた。
「待て!」
ベルデは振り返らなかった。
――まさか、ここまでやるとはな。
今夜は、確認したいことが一つあっただけだった。
同行していた部下も、様子がおかしいと気づいた時点で先に外へ逃がしてある。
部下さえ外へ出せば、相手もそれ以上は出てこないと思っていた。
その読みは外れた。
どうやら、自分が思っていた以上にまずいところまで踏み込んでいたらしい。
もっとも、ここまで分かれば十分だった。
あとは持ち帰って、担当の部署へ引き継げる。
問題は、自分も無事にここを出なければならないことだった。
普段なら、王都守備隊の副隊長を相手に、ここまで露骨な真似をする者はまずいない。
だが、場所が悪かった。
ここは夜の遊興店の、そのまた奥だ。
表の広間からは離れ、廊下に並んでいるのは閉ざされた個室ばかりだった。店員の姿も少ない。
客はいるはずだが、誰も扉を開けようとはしない。
こんな場所で、他人の揉め事に首を突っ込みたい者などいないのだろう。
相手もそれを分かっている。
ここなら目撃者はほとんどいない。
だからこそ、普段ならできないほど強気に出てきたのだ。
――そこまでして止めたいのか。
ベルデは廊下の角を曲がった。
ここで剣を抜くのは簡単だ。
だが、斬り合いになれば面倒なことになる。
何より、今はまだ騒ぎを大きくしたくない。
「そっちだ!」
後ろから声がした。
ベルデは舌打ちした。
前方に、酒を運んでいた店員が現れる。
「すまない、どいてくれ!」
店員が慌てて壁際へ寄った。
その横を駆け抜ける。
そのときだった。
すぐ横の扉が、ほんの少し開いた。
ベルデは気づかなかった。
通り過ぎようとした瞬間、突然、後ろから腕を掴まれた。
「――っ!」
身体が横へ引かれる。
ベルデは反射的に剣の柄へ手をかけた。
扉が閉まる。
「おいおい、剣を振り回すなよ」
聞き覚えのある声だった。
「俺は助けてやってるんだぞ」
ベルデは動きを止めた。
「……カシュー?」
「そうだよ」
ただし、普段とはだいぶ格好が違う。
何も身につけていない。
酒の匂いがする。
その向こうでは、二人の女性が慌ててベッドのシーツを引き寄せ、身体を隠していた。
床には服が散らばっている。
卓上には酒瓶と、いくつものグラス。
状況を理解するのに、それほど時間はかからなかった。
「……すみません」
ベルデは女性二人に向かって謝る。
「何で俺より先にそっちに謝るんだよ」
「邪魔して申し訳ないから」
「お前は俺の邪魔もしてるぞ」
廊下から足音が聞こえた。
ベルデもカシューも息を殺す。
足音は近づき、それから少しずつ遠ざかっていった。
ベルデが息を吐いた。
「助かった」
「だろ?」
カシューは笑った。
「俺に感謝しろよ?」
「感謝する。するから、せめて前を隠せ」
「今さら? 別に見てもいいぞ?」
カシューはまったく気にしていないらしい。
「……」
ベルデは視線を逸らした。
そのとき、ベッドの方から声がした。
「ねえ、カシューちゃん」
シーツにくるまった女性の一人が、ベルデを見ている。
「この人、王都守備隊の偉い人?」
もう一人の女性も顔を出した。
「え? カシューちゃん、王都守備隊の偉い人と知り合いなの?」
「まあな」
「カシューちゃん、すごぉい!」
「だろ?」
カシューは女性2人を抱き寄せた。
「カシューちゃん、顔が広いんだね!」
「ちょっとな」
カシューが得意そうになる。
ベルデは壁を見た。
なぜか自分の方が恥ずかしい。
再び廊下の方から物音がした。
カシューがすぐに扉へ目を向ける。
「まだいるな」
「たぶんな」
「表から出ない方がいい」
カシューは部屋の奥へ向かう。
「こっちに来い」
カシューが壁のタペストリーをめくると、窓があった。
細く開け、外を確認する。
冷たい空気が室内へ入り込む。
「ここから出られる」
ベルデも横から下を見る。
一階ではない。
「……ここから?」
「下に庇があるだろ」
確かにある。
「まずあそこに降りろ。そのあと左へ行けば裏へ出られる。表には出るなよ」
ベルデはカシューを見た。
「詳しいな」
「何度か使ってるからな」
「……」
ベルデにもわかった。これは深く聞いてはいけない。
カシューがベッドの方を振り返った。
「二人とも」
「なあに?」
「今日ここで見たことは、俺たちだけの秘密だぞ」
二人の女性がうれしそうに顔を見合わせる。
「秘密ね」
「秘密守る!」
カシューが満足そうに笑った。
「さすが、俺のお姫様たちだ」
ベルデはまた何とも言えない気持ちになった。
いや、やっていることは正しい。
自分が言うより、カシューから頼んでもらった方がいいだろう。
ありがたいことだ。
この二人のことを知っているのもカシューだ。
――うん、何一つ間違ってはいない。
カシューが窓の外を確認する。
「よし。行ける」
ベルデは窓に向かった。
「カシュー、本当に助かった。礼はする」
カシューがニヤッと笑った。
「じゃあ、ペルラちゃんとデート」
「却下」
「即答かよ」
「他にしろ」
「命の恩人だぞ?」
「酒がいいか」
「酒なら何でも飲めるぞ」
「いや、目覚まし時計の方がいいか」
「いらねえ」
ベルデは窓枠へ足をかけた。
「そこから左に行け」
「分かった」
ベルデは庇へ降りた。
数歩進んだところで、背後から小さな声が飛んできた。
「ベルデ」
振り返る。
カシューが窓から顔を出していた。
「何だ」
「ペルラちゃんによろしく」
「よろしくしねえよ。早く窓閉めろ」
ベルデは前へ向き直った。
「はいはーい」
背後で、窓が閉まる音がした。




