142. ムーンストーン編⑨ コンミフォラ邸・中編
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
「若いお嬢さんって、何がお好きなのかしら」
コンミフォラ夫人は真剣な顔をしていた。その前には、執事、メイド長、コック長、庭師、それに夫人付きの侍女が集まっていた。
「うち、息子しかいないでしょう?」
一同は黙って聞いていた。
「何を用意したら喜んでくださるのか、よく分からないのよ」
夫人はしばらく考えた。
「あっ」
顔を上げる。
「王妃様のお茶会」
夫人付きの侍女を見た。
「この前、あなたも一緒に来たでしょう?」
「はい、奥様」
「若いお嬢さん方、皆さん喜んでらしたわよね。お花とか、お菓子とか」
「はい」
「きっとあんな感じね」
夫人はうなずいた。
侍女の表情が引き締まった。
「明日の朝でございますね」
「ええ」
メイド長とコック長がうなずいた。庭師も姿勢を正した。
「では、どんな感じだったか、みんなに教えてちょうだい」
「かしこまりました」
そこから、コンミフォラ邸は急に忙しくなった。
倉庫から大小の花瓶が運び出された。庭から花が集められ、足りないものは外へ手配された。広間には大きな装花が組まれ、卓上や窓辺には小さな花が次々と生けられていく。
「ここ、もう少し華やかでもいいんじゃない?」
「では、こちらの花を足しましょう」
「リボンもお願い」
厨房では、菓子の準備が始まった。
焼き菓子、ケーキ、タルト、果実のゼリー、砂糖菓子、チョコレート菓子、ナッツの菓子、冷たい乳菓、花を使った菓子。
広い厨房では、いくつもの作業台を使って準備が進められていった。
そのころ、離れの研究室にいたイグニスは顔を上げた。
窓の向こうを、何人もの使用人が行き来している。何か大きなものまで運んでいた。
「今夜はみんな、なんかバタバタしてるなあ……」
少し眺める。
「まあいいや。この実験終わったら寝よ」
夜も遅くなってから本邸へ戻ると、廊下の向こうから巨大な花飾りがやってきた。
「若様、失礼いたします!」
「え?」
「少々そちらをお空けくださいませ」
イグニスは横へ動いた。
「もう少しお願いいたします!」
「こう?」
「ありがとうございます!」
壁際まで追いやられた。巨大な花が通過していく。
その後ろから、大きな花瓶を抱えた別の使用人たちがやってきた。
「若様、恐れ入ります!」
「あ、ごめん」
イグニスは反対側へ避けた。
今日は本当に忙しそうだ。
◇
翌朝。
コンミフォラ夫人は早くから動いていた。装花を確認し、菓子を確認し、メイド長と玄関ホールを一周する。
食堂では、出来上がった菓子が次々と運び込まれ、大人数が並んで座れる長い食卓を埋め尽くしていった。
それから、自宅近くの検問所へ向かった。
「いつもご苦労様です」
夫人はにこやかに差し入れを渡した。
「今日、大事なお客様がいらっしゃるので、よろしくお願いしますね」
もちろん、検問を省けという意味ではない。
規則どおりに。ただし、手早く。
夫人が屋敷へ戻るころには、イグニス付きの従者は、いつもの大きな馬車でペルラたちを迎えに出ていた。
代わりに、イグニスの部屋には夫人付きのメイドたちが入っていた。
「若様、お召し替えを」
「こちらを向いてくださいませ」
「髪を整えますね」
寝起きのイグニスは、次々に伸びてくる手にされるがままになった。
朝食用の服に着替え終わり、食堂へ向かった。
朝食を終えると、今度は来客を迎えるための服に着替えさせられた。
「母に挨拶に来るんだから、僕は別にどうでもいいのでは……」
イグニスが小さく言ったが、誰も手を止めなかった。
身支度が終わると、イグニスは玄関ホールへ連れていかれた。
「あっ」
イグニスが足元を見た。装花から垂れていたリボンを踏んでいた。
「ごめん」
「大丈夫でございますよ、若様」
メイドは微笑みながら、すぐさまリボンを拾い上げた。頬がわずかに引きつっていた。
メイド長がやってきた。
「若様はこちらへ……」
玄関ホールの中央へ誘導される。
「え? なんかど真ん中で落ち着かないんだけど」
「やはり若様のご友人ですので、若様は真ん中で!」
メイド長は微笑んだ。
そこなら、花瓶もない。装花もない。リボンもない。倒しそうな家具もない。
完璧だった。
執事が入ってきた。
「奥様。そろそろ到着予定のお時間です」
「まあ、大変!」
夫人が立ち上がる。
使用人たちが一斉に動いた。
玄関、応接室、食堂、馬車の受け入れ。
茶器と菓子の最終確認。
館内に張り巡らされた銀線へ、次々と光が通った。その脇を走る細い透明管の中では、淡く光る液が流れていた。
館内には、いつの間にか穏やかな音楽が流れ始めていた。
音楽に合わせるように、細かな泡が大きくなったり密に集まったりしながら、絶えず形を変えていく。
応接室と食堂では、大きな窓ガラスに花の模様が浮かび上がった。
ピンクや青、金の花弁が幾重にも重なり、窓いっぱいに色と光が広がっていく。
使用人たちは、それぞれの持ち場についた。
◇
そのころ、ペルラとディアバスは、コンミフォラ家の大きな馬車に揺られていた。向かいにはイグニスの従者が座っている。
「広いねえ」
ペルラは、深く沈む柔らかな座席に腰かけながら車内を見回した。
「こんなに広くて、どうするの?」
「若様は車内でも本を読まれたり、お休みになったりなさいます。それから、研究のお品を運ぶこともございます」
「なるほど」
王都の外れへ近づいたところで、馬車が止まった。
窓の外には、王都守備隊の兵が立っていた。
ペルラとディアバスが顔を見合わせる。
「……何かあったんですか?」
「ああ、いつもいるんです。大丈夫ですよ」
「いつも?」
「はい」
検問は厳重だった。だが、驚くほど手際がいい。
間もなく馬車は再び走り出した。
最初の門を抜ける。両脇には守衛が立っていた。
その先には、広い道と森が続いている。
しばらく進むと、大きな黒い門が現れた。
馬車が近づくと、守衛が門を開けた。
さらに奥へ進む。
その先には、金で装飾された細い銀の柱が何本も並ぶ、大きな門があった。
馬車が近づき、守衛が合図をすると、並んだ銀の細柱が端から順に地中へ沈んでいった。波が走るように、門が開く。
その門を抜けると、ようやく巨大な邸宅が見えてきた。




