140. ムーンストーン編⑦ ルビー・後編
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
ペルラとディアバス、そしてルビーと婚約者サファイヤの夕食会は和やかに始まった。
ペルラはルビーに結婚式の招待状を渡した。
ルビーとサファイヤも、もうすぐ結婚するという。
互いの結婚を祝い合っているうちに、料理が運ばれてきた。
「おいしいね」
「ねー。ここにしてよかった」
ペルラとルビーは楽しそうだった。
サファイヤもようやく落ち着いて食事ができる気がしてきた。
「そういえば、ミリス様はお元気?」
ペルラが尋ねた。
「うん。アルマンディンでのびのびやってるみたいよー」
「アルマンディンでのびのび……?」
ペルラは少し首を傾げた。
「とにかく順調でよかったですわ」
サファイヤはアーバスを見た。
少し顔色が変わったような気がした。
アルマンディン。
そうか。
バサルク王国はアルマンディンの残党のことでずいぶん苦労している。
アルマンディンという言葉そのものに、何か思うところがあるのかもしれない。
サファイヤは一人で納得した。
「お兄様も早くペルラのこと、あきらめればよかったのに」
ルビーが言った。
「アーバスがいるから無理だと思ってたよ、私は」
「ルビーったら」
「なのに、わざわざバサルクまで行っちゃって。ごめんね」
「全然大丈夫だよ〜! こっちこそ結婚祝いまでもらっちゃって。ありがとね」
ペルラは笑った。
アーバスが、手にしていたパンを握り込んだ。
サファイヤはアーバスを見た。
今のは、ミリス様の話に反応した……?
「あれ?」
ペルラが横を向いた。
「ディア、もうパン食べちゃったの? 私の、あげる〜。ちょっと食べきれないし」
返事を待たず、自分のパンをアーバスの皿へ置く。
「でねー、ルビー……」
もう話の続きへ戻っている。
アーバスは皿に突然増えたパンを見た。
それから、手を開いた。
握り潰されたパンが、小さな塊になっている。
「…………」
サファイヤと目が合った。
アーバスは、ニヤッと笑った。
サファイヤは、何も言わず、ごく小さく頷いた。
しばらくして、サファイヤはふとアーバスの腰元に目を留めた。
剣。
アデュラリア家騎士団のものだ。
落ち着いた濃色の装いの中、鞘の金具に紋章がさりげなく入っている。
騎士を志す者なら、一度は憧れる剣だろう。
だが、サファイヤが気になったのは、そこではなかった。
剣には組紐が結ばれている。
黒、青、銀の組紐だ。
バサルクには、組紐を身の回りの品に用いる文化がある。
今日読んだ。
サファイヤは組紐を見た。
剣は新しいのに、組紐は少しくたびれている。
以前は別の何かにつけていたのだろうか。
剣だろうか。
よく見ると、銀色の糸の一部に古い染みが残っている。
血。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
もし血だとしたら。
返り血なのか。
アーバス自身の血なのか。
それとも、ペルラの……。
サファイヤは想像するのをやめた。
いや、待て。物騒なものとは限らない。
サファイヤはちらりとアーバスを見た。
先ほど、ミリスの話だけでパンを握り潰していた男である。
ペルラから組紐をもらって、喜び過ぎて鼻血を出した可能性だってある。
…………。
とはいえ、大人は滅多に鼻血を出さない。
やはり違うか。
考えていると、急にアーバスが話しかけてきた。
「サファイヤ様」
「はい?」
「剣、お好きなんですか?」
「いや、いえ、あっ……そうかも?」
自分でも何を答えているのか分からなかった。
「見ます?」
「……いいんですか?」
「どうぞ」
アーバスは剣を外し、鞘ごと差し出した。
「ありがとうございます」
サファイヤは受け取った。
アデュラリア家の紋章もよく見える。
そして、組紐。
使い込まれている。
暗い染みもある。
じっと見る。
…………。
分からない。
血だとしても、返り血なのか、本人の血なのか、ペルラの血なのか。
鼻血なのか。
近くで見たって、分かるわけがなかった。
「ありがとうございます」
サファイヤは剣を返した。
「いえ」
アーバスは受け取りながら、少し考えた。
鞘から抜いてもいない。
剣が好きなのだと思ったが、そうでもなかったのだろうか。
先ほどから見ている気がしたのだが。
勘違いだったのかもしれない。
文官だと言っていたし、話を合わせてくれただけだろうか。
一方、サファイヤも考えた。
まあ、近くで見たって分からないよな。
もう考えるのはやめよう。
今日は仕事ではない。
結婚を控えた友人たちとの、楽しい夕食だ。
そう、今は平和な食事……。
「ねえねえ、サファイヤ!」
ルビーが楽しそうに身を乗り出した。
「私が徒手の練習してる時に、サファイヤが無言でドアを開けて入ってきた時のこと、覚えてる?」
「…………」
「おもしろかったよね〜」
ルビーが笑った。
「ルビー、その話は……」
サファイヤは言葉を詰まらせた。
「そういえば」
アーバスが不意に口を開いた。
「ルビー様は、近衛に入られたんですか?」
「あ、そう!」
ルビーはすぐにそちらを向いた。
「そうなの。それがね……」
「すごいねえ」
ペルラも身を乗り出した。
話題はあっという間に近衛へ移った。
サファイヤは黙って息をついた。
アーバスを見る。
目が合った。
アーバスが、ニヤッと笑った。
サファイヤは、ごく小さく頷いた。
◇
食事を終えて店を出る頃には、すっかり暗くなっていた。
ペルラとルビーがまだ盛り上がっている横で、サファイヤはアーバスに声をかけた。
「今度、飲みに行きませんか?」
アーバスは振り向くと、爽やかに笑った。
「いいですね。ぜひ」
その背後に一瞬、バサルクの美しい海が見えた気がした。




