131. 海の離宮編(41) 玉座
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
バサルク王国では、もうすぐ日が暮れようとしていた。
王宮の玉座の間の大扉の前には、近衛が二人立っていた。
オーニチェとディアバスが近づくと、近衛たちは左右に分かれ、重い大扉を開いた。
二人が中へ入る。
背後で扉が閉じた。
広い玉座の間には、二人のほかに誰もいなかった。
正面には、バサルク王の玉座がある。
その横の壁一面を覆うように、歴代の王の名を刻んだ木札が並んでいた。
数段の壇の上に、大小さまざまな木札が置かれている。
厚みも、使われている木も少しずつ違った。
黒く艶を帯びた古いものもあれば、まだ木肌の明るいものもある。
一つ一つの前には、小さな火が灯っていた。
高い天井からは、水晶を組んだ香炉がいくつも吊られている。
細い香煙がゆるやかに昇り、深い森を思わせる香りが漂っていた。
二人は木札の前まで歩いた。
並んで立ち、深く頭を下げる。
しばらくそのままでいた。
やがて顔を上げると、木札の前の床に並んで座った。
明日、ディアバスはムーンストーンへ帰る。
本来なら、こんな形にはならないはずだった。
バサルクはムーンストーンの属国だ。
王位の継承にも、宗主国であるムーンストーンの承認を必要とする。
ペルラとオーニチェが結婚すれば、その引き換えに、ムーンストーンはオーニチェの王位継承を認めるはずだった。
ディアバスの人質としての立場も、それで終わることになっていた。
長く続いた拘束から解かれ、その後どこで、どう生きていくのかを、自分で決められるようになるはずだった。
だが、その結婚はなくなった。
ペルラはディアバスと結婚した。
そしてディアバスは、三歳の時と同じく人質として、再びムーンストーンへ向かう。
オーニチェの王位継承も、認められないまま残った。
父王はまだ王位にある。
その跡を継ぐはずなのは、王太子であるオーニチェだった。
だが、ディアバスもまた、王位を継ぐことのできるバサルクの王子だ。
しかも今は、ムーンストーン貴族のペルラを妻にしている。
ムーンストーンにとっては、オーニチェよりディアバスが王になった方が都合がいいかもしれない。
本人たちの希望とは裏腹に、いつか二人が王位を巡って敵になる可能性さえあった。
二人は無言で、歴代の王の名が並ぶ壁を見ていた。
やがてオーニチェが髪に手をやった。
細い金の簪を抜く。
長い黒髪が、肩から背へ流れ落ちた。
ディアバスは兄を見た。
髪を下ろした姿を見るのは、初めてだった。
バサルクへ来てから、兄はいつも王太子として人前に立っていた。
オーニチェは腰から短刀を抜いた。
髪を一房取り、刃を当てて切る。
懐から紙を取り出すと、その上に切った髪を置いた。
丁寧に包み、ディアバスへ差し出す。
「持っていけ」
ディアバスは包みを見た。
それから、兄を見た。
「……兄上」
ディアバスは両手で受け取った。
次に会えるのがいつになるのかは、誰にも分からない。
これが最後になるかもしれなかった。
どちらかが死んだとき、もう一人がその傍らにいられるとも限らない。
ディアバスは包みを懐にしまった。
それから、自分の髪を結っていた紐を解いた。
髪を下ろし、腰の短刀を抜く。
一房を切ると、同じように紙で包んだ。
「兄上も」
「ああ」
オーニチェは受け取った。
二人はまた、しばらくそこに座っていた。
木札の前で、小さな火が揺れている。
オーニチェは受け取った包みを懐にしまった。
それから髪をまとめ、細い金の簪を差し直す。
ディアバスも髪を結い直した。
オーニチェが立ち上がった。
「そうだ」
ディアバスが顔を上げる。
オーニチェは木札の並ぶ壁の端へ歩いていった。
壁の一部に手を当て、押す。
壁が、くるりと回った。
その向こうに、人一人が通れるほどの暗い通路が現れた。
灯りはない。
奥は何も見えなかった。
ディアバスも立ち上がって、覗き込む。
「……何これ?」
「かくれんぼの時使うと便利だぞ」
オーニチェは暗い通路を指した。
「裏の水路に出る。濡れるからな。使うなら着替えを持っていけよ」
オーニチェは笑うと、壁を押した。
壁が再びくるりと回る。
暗い通路は消え、そこには何事もなかったように、歴代の王の名を刻んだ木札が並んでいた。
オーニチェは振り返ると、ディアバスの肩を叩いた。
「さあ、夕食だ! 今夜はお前とペルラの好物を用意させたぞ」
オーニチェは扉の方へ向かった。
ディアバスも後に続いた。
大扉が開いた。




