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129. 海の離宮編(39) ピレイ邸

※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。

翌日の出発を控えた午後。


オーニチェとディアバス、ペルラは、ピレイの邸を訪れていた。

この日は、ディアバスが子供たちにムーンストーン流の剣舞を教えることになっていた。

ペルラとオーニチェも一緒だった。

翌日の出発を前にした、ピレイ一家への別れの挨拶も兼ねている。


邸には、以前ディアバスがバサルク式の樹間移動を練習した、子供用の練習場があった。


そこで、ピレイの三人の子供がディアバスを取り囲んでいた。


「ディアバス様、今日は剣舞やるんでしょう?」


「けんぶ! けんぶ!」


「ぐるってして、こうするやつ!」


一番上の子が、両手で見えない剣を握って大きく振った。


その隣でもう一人が真似をする。


一番小さな子も、よく分からないまま一緒になって回った。


「よーし、お父様も習おうかな?」


ピレイが後ろで言った。


「えー! お父様はあっち!」


「一番後ろ!」


「おとうさま、ならんで!」


「なんでだ? いっぺんに教えてもらえばいいじゃないか」


ピレイは子供たちに隅に追いやられた。


オーニチェが笑った。


「いつものバサルク流はどうした?」


「今日はムーンストーン流です」


ディアバスが木剣を手に取った。


「じゃあ、順番にな」


子供たちが一斉にディアバスの周りへ集まった。


しばらくその様子を見ていたピレイが、ふと思い出したようにオーニチェへ顔を向けた。


「そういえば、オーニチェ様」


「何だ?」


「先日お探しだった記録ですが、うちの書庫にありましたよ」


「本当か?」


「ええ。古いものなので、王宮にあるのは写しだけのようです。原本をご覧になりますか?」


「ああ。見たい」


オーニチェが立ち上がった。


ピレイも続く。


「では、こちらへ」


二人は練習場を出ていった。


ディアバスは一番上の子に木剣の持ち方を教えている。


「そっちじゃない」


「こっち?」


「反対」


「こう?」


「そう」


しばらくして、ピレイの妻がペルラのそばへ来た。


「ペルラ様」


「はい」


「植物がお好きだと伺いました」


ペルラの顔が明るくなった。


「ええ。好きですわ」


「でしたら、少し見ていただきたい木があるんです。中庭なのですが、最近、葉の色が変わってきまして」


「まあ。見てみます」


ペルラはすぐに立ち上がった。


ピレイの妻について廊下を歩き、中庭へ出る。


ペルラは辺りを見回した。


「どの木です……」


言葉が止まった。


少し先に、オーニチェが立っていた。


オーニチェも驚いた顔でペルラを見る。


「……ペルラ?」


「オーニチェ様?」


ペルラが振り返る。


ピレイの妻はにこりと笑った。


「では、私は失礼いたしますね」


「え?」


そのまま邸の中へ戻っていった。


ペルラは閉じた扉を見た。


オーニチェも同じところを見ていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……ピレイか」


「ピレイ様?」


「いいえ」


オーニチェは苦笑した。


「何でもありません」


二人は並んで、中庭の木々を眺めた。


葉の間を風が抜けていく。


遠くから、子供たちの声が聞こえた。


「ディアバス様、もう一回!」


「今やっただろう」


「もう一回!」


ペルラが笑った。


「楽しそうですわね」


「そうですね」


オーニチェも笑った。


「……明日ですね」


「はい」


それから、しばらく二人とも黙っていた。


オーニチェは前を向いたまま、口を開いた。


「私は、ペルラと結婚したかった」


ペルラは少し驚いたが、ゆっくり答えた。


「私もあの時は……きっと同じ気持ちでした」


ペルラはオーニチェを見たが、オーニチェは前を向いたままだった。


「私は、本当は今も断ち切れていない。

ディアバスと入れ替わりたいと思うことすらある。

おかしいだろう?」


オーニチェは薄い笑みを浮かべると、下を向いた。


「あなたがムーンストーンに帰ったら、忘れられるのだろうか?」


オーニチェの視線はさまよっていたが、ペルラを見ることはなかった。


ペルラは、うつむいているオーニチェを見ていた。


もし、ここでうつむいているのがディアなら。


今この瞬間だけは、ディアに言うつもりで言葉を紡ごうと思った。


頬に力を入れて、明るくかわいく笑ってみせる。


「私は……忘れませんよ?

オーニチェ様のこと」


オーニチェが顔を上げた。

ペルラを見て、静かに言った。


「……私も、忘れなくていいだろうか?」


ペルラはもう一度微笑んだ。


「ディアバスのことは大好きです。

でも、あの時、オーニチェ様と生きていこうと思ったのは本当ですわ」


ペルラは前を向いた。遠くを見る目だった。


「私、バサルク王宮で幸せでしたわ」


オーニチェの表情がわずかに変わった。


「……苦しくなかったか?」


ペルラはオーニチェを見て、笑顔できっぱり言った。


「オーニチェ様と過ごせて、幸せでしたわ」


オーニチェもペルラを見た。


しばらく動かなかった。


やがて、また前を向く。


「……そうか」


オーニチェの頬を、一筋の涙が伝った。


すぐに指で拭う。


「泣いて、すまない」


「謝らないでください」


ペルラは、少し考えると、急に顔が明るくなった。


「オーニチェ様、手を貸してください」


ペルラがオーニチェの方へ身体を向けた。


オーニチェも向き直り、片手を差し出す。


ペルラはその手を取った。

手のひらを上に向ける。

そして、人差し指で何かを書いた。


「できました」


「何ですか、これは?」


「ムーンストーンの子供のおまじないです」


ペルラは笑った。


「この先ずっと、幸せになるおまじないです」


オーニチェは自分の手のひらを見た。

それから顔を上げる。

ペルラと目が合った。


「そうか」


ペルラがフフッと笑った。


オーニチェも、フフッと笑った。


おまじないが、なんだかおかしかった。




その時、雨が降り始めた。


それでも辺りは明るいままだった。


葉を打つ雨の向こうから、日が差している。


雨を受けた中庭の緑が、みるみる鮮やかになっていった。


光の中を、雨粒がきらきらと落ちている。


オーニチェは空を見上げた。


広い空を、鳥が一羽、まっすぐ飛んでいった。


雨を抜け、雲を抜け、どこまでも遠くへ。


眼下に、一面の熱帯雨林が流れていく。


その先に海があった。


深い緑の島が、次第に小さくなっていく。


やがてそれは、光る大海に浮かぶ一点になった。

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