119. 海の離宮編(31) 客室
※主な登場人物は、作品あらすじ欄にまとめています。
ペルラは、オーニチェが持ってきた、ミリス・ヘーゼルからの書状を見ていた。
書状には「ディアバス・バサルク第二王子殿下ならびに婚約者ペルラ・ベトーラ様への謁見願い」と書かれていた。
「謁見願い……ミリス様?」
「ペルラ、どうだ? ミリス様に会うか?
妹のルビー様と一緒に選んだ結婚祝いを渡したいそうだ」
オーニチェが優しく訊いたが、ペルラは紙をぼんやり見たまま返事をしなかった。
「どうした?」
ディアバスがペルラに訊いた。
「いえ、私、もうディアの婚約者なのね……」
ペルラはうつむいて紙を見たまま、ゆっくり言った。
「そうだな。
兄上からも、ムーンストーン国王からも、許可が出ているし、ベルデ様も許可してくれているから、もう正式なものだ。
婚約式ができていなくて悪いが……」
「私、今さらだけど、自信がないの……。
もうオーニチェ様にも陛下にも許可をいただいて、後戻りできないのは分かっているけど……」
ペルラの紙を持つ手に力が入っていた。
「ずっと気づいてなかったの。
父はムーンストーン軍の人間で、バサルクやアルマンディンの人にとっては敵だった、そして私はその娘なのだと。
まだ苦しみは続いていて、ムーンストーン人を憎む人も大勢いるって。
私はディアと楽しく過ごしていたけど、ディアは私の父によって家族から引き離されていたんだわ。
私は憎まれて当然だし、ディアと一緒にいる資格なんてないと思う。
それに、一緒にいるとディアを危険に晒してしまう。
そんなことは望んでないの……」
ペルラの涙がパタパタと紙に落ちた。
「私、何も考えていなかったの……」
ディアバスはペルラの肩を黙って抱き寄せた。
オーニチェは立ち上がると窓の方に歩いて行った。
窓の外をしばらく見ていたが、部屋の方に向き直ると言った。
「分かっていた。
ペルラ、最初からそんなことは分かっていた」
ペルラは顔を上げると、オーニチェを見つめた。
オーニチェの背後の大きな窓には、広い海が穏やかにどこまでも続いていた。
オーニチェはディアバスに一瞥をくれた。
「そうだな? ディアバス」
「はい」
ディアバスは頷いた。
「ペルラが気付かなかったのも無理のないことだ。
誰もペルラに言わなかった。
私も、ディアバスも」
オーニチェの表情は逆光でよく見えなかったが、小さくため息をついたのがペルラにも聞こえた。
「いつか言おうとは思っていた。
しかし、それは遠い未来の話で、今ではなかった。
私達は、アルマンディンの残党の口から、あんな形で聞かせたくなかった。
迂闊だった。申し訳ない」
オーニチェは手で顔を覆った。
「そんな、申し訳ないなんて、そんなこと……」
オーニチェはしばらく黙っていた。
「ペルラ。見せたいものがある」
◇
オーニチェは、離宮の奥へ続く廊下を歩いていた。
ペルラとディアバスがその後ろをついていく。
最後にピレイが続いていた。
いくつかの部屋を通り過ぎ、暗い廊下を曲がったところで、オーニチェは足を止めた。
そこには扉があった。
「ディアバスが是非にと言うから、ペルラには特別に見せよう」
オーニチェは微笑んだ。
「ピレイ」
「はい」
ピレイが鍵を差し出した。
オーニチェは鍵を開け、扉を少しだけ押した。
湿った、黴臭い空気が流れてきた。
「外から見るだけだ。中には入らないでくれ」
ペルラは暗い室内を覗き込んだ。
長い間使われていないようだった。
大きな寝台。壁に残る古い織物。埃をかぶった調度品。
おそらく、この離宮で最も豪華な客室であった。
「この部屋に入ることは、ムーンストーン国王によって禁じられている」
「陛下が?
一体、この部屋は……?」
オーニチェが言った。
「アルマンディン王家の者が、一晩泊まった部屋だ」
「アルマンディン王家がここに?」
「アルマンディン大陸王国がムーンストーンとの戦争に敗れ、滅亡した時、生き残った王族の一部は巡航都市プリズマへ逃れた」
ペルラは目を見開いた。
「生きていたの……?」
「ムーンストーン王立軍の公式発表では、全滅したことになっているな。
生き残りがいるとなると、ややこしいという政治判断だろう」
オーニチェはペルラを見た。
「私も見たわけではない。母から聞いた話だ。
プリズマへ向かう途中、一行が一夜の宿を求めた。
母は、かわいそうで断れなかったらしい」
オーニチェも室内を覗き込んだ。
「ここが、彼らが陸地で過ごした最後の夜だったそうだ」
ペルラは暗い部屋を見つめた。
「その後、ムーンストーン軍がここへ来た。
そして、この部屋からブローチを見つけた。
ブローチにはアルマンディン王家の紋章が入っていた」
オーニチェは静かに続けた。
「バサルクはムーンストーンと直接戦ったわけではない。
だが、アルマンディンへ金を送り、戦費を援助した。
そして最後には、王族の亡命まで助けた」
オーニチェはディアバスを見た。
「もはや金だけの問題ではないと判断された。
それが、バサルクが属国となり、第二王子を差し出すことになった理由だ」
ペルラもディアバスを見た。
皆黙った。
オーニチェは扉を閉め、鍵をかけた。
「でも、私の父は……」
「ペルラの父上はムーンストーンの軍人だった。
ペルラは詳しく知らないと、ディアから聞いたので、私の知っていることを話そう。
アルマンディンの王都にムーンストーン軍が踏み込んだとき、王宮には王の遺体しかなかった。
他の王族はすでに脱出していた。
そこで、ムーンストーン軍は王族捜索隊を編成した。
王が特に信頼している者が選抜された。
父上は、捜索隊の一人だった。
広いアルマンディンで必死に手がかりを追い、ついにこの海の離宮に到達した」
オーニチェは鍵をピレイに返した。
「しかし、もうアルマンディン王族はここを発ち、巡航都市プリズマに向かった後だった。
いくらムーンストーンと言えども、プリズマまでは追えなかった。
プリズマは他国の干渉を特に嫌うからな。
捜索隊がムーンストーン王に報告すると、新たな命令が出た。
バサルクの王子を人質にせよという命令だ。
私でもディアバスでもどちらでも良かった。
我が国はディアバスを差し出すことにした。
そこで、すでにバサルクにいる捜索隊が、ディアバスを連れて行った。
ペルラの父上には、それが命じられた仕事だった」
ペルラは無言で聞いていた。
オーニチェはペルラを見た。
「ペルラ。
私は、あなたを苦しめるためにこの部屋を見せたのではない。
あなたが私やディアバスに申し訳なく思う必要などないと、言いたかったのだ」
オーニチェは廊下の窓の外に目をやった。
外は晴れていた。
オーニチェは目を細めた。
「私の父はアルマンディンへ金を送った。
そして私の母は、アルマンディンの王族を逃がした」
オーニチェはペルラを振り返った。
「それを全部、我々が背負って生きるのか?」
暗い廊下に、横の窓から強い光が差していた。
窓枠が、柵のような影を三人の上に落としていた。
「私には無理だ」
オーニチェはそう言うと、窓を開けた。
窓枠の影が消え、風がよどんだ空気を押し流した。
「それに、ペルラは私たちから何かを奪った人ではない。
むしろ私は、あなたがバサルクに来てくれて楽しかった」
オーニチェはディアバスを見た。
「ディアもそうだろう」
「はい」
間髪を入れず返事があった。
オーニチェは笑った。
「ほらな」
遠くで海鳥の声が聞こえた。
「ペルラ。ディアバスがあなたを頼ったら、あなたは嫌か?」
ペルラはすぐに首を振った。
「いいえ」
「では、あなたがディアバスを頼るのも同じだ」
ペルラの手に、かすかに力が入った。
「我々は皆、支え合っている。
近づきたければ近づき、遠ざかりたければ遠くへ行く。
それでいいと私は思う」
オーニチェはペルラを見た。
「それからもう一つ」
「はい」
「ディアバスがあなたのそばにいるのは、本人がそう望んでいるからだ」
ペルラはディアバスを見た。
「どうか、ディアバス自身を見てやってほしい。
もし許されるなら、それが兄としての願いだ」
ディアバスが微笑んで、ペルラに手を差し出した。
ペルラもその手を取ると、微笑んだ。
その目から、涙がこぼれた。




