表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Scrambled Egg  作者: 読まれる前提
《たまごの殻》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/44

41章. 《Fractal》

母になって、初めて見えるものがある。


与えられなかった愛。

切り離された血。

守るために隠した罪。


壊れたものは戻らない。

それでも、切ったはずの線は、

別の場所でまた繋がってしまう。


母になった紗希は、

その残酷さと優しさを、

ようやく知る。


世界は、何も変わっていなかった。


ニュースは淡々と流れ、

電車は時間通りに走り、

ビル群は、昨日と同じ影を落としている。


――藤堂高雄が逮捕された、その翌日も。



留置場の廊下は、白かった。


音が、ほとんどない。

足音も、声も、すべて吸い取られていく。


藤堂高雄は、そこにいた。


手錠をかけられ、

背筋だけは、不自然なほど伸びている。


「……久しぶりだな」


「まだそれほど時間は経ってないじゃない」


「ここは暇でな。時間が長いんだ」


そう言って、彼は笑った。

経営者の笑みでも、権力者のそれでもない。


ただの――

疲れた人間の顔だった。


「余裕の顔ね」


「俺の意思だからな」


「最後の判断を、紗希に任せたのも俺」


「紗希、良い判断だった」


嫌味ではなかった。

自慢でもなかった。


「さすがだ、プロフェッサー」


南米ルート。

子会社の配置。

資金の逃がし方。

戻し方。

消し方。


善悪の話ではない。

彼の作った世界は、最初からフラクタルな構造でできていた。


だからすべて壊れることはない。


何かがなくなれば、そこを飛ばして繋がるだけだ。



莉花は、参考人として呼ばれた。

形式だけ整えたような事情聴取だったと、あとで聞いた。

確認。確認。確認。


それでも莉花は、自分の罪を、自分の口で言った。


南米ルート。

その崩壊。

そこで生まれた死。


粉飾経理。


証拠は、探しても出なかった。

何一つ、残っていなかった。


残さなかったのは、私だ。



私は、すべてを使って動いた。


マネーロンダリングされ、

何層にも分断され、

名前を失った資金。


それを、あえて目立つ形で動かした。


動かせば、足がつく。

だからこそ、動かす。


「ここにある」と知らせるため。

「ここを見ろ」と視線を集めるため。


捜査は、人がやる。

人は、光るものを見る。


私は、光らせた。


光が照らしたのは、高雄だった。


同時に、私は、闇も作った。


隠れたのは、

日山食品の赤字。

数字の歪み。

不自然な繋がり。

日山郵船からアメリカに流れた裏金。


そこに、隠した資金を滑り込ませた。


帳簿を整え、

履歴を消し、

証拠になり得るデータを、残らない形にした。


削除ではない。

存在しなかったことにする。


それが、私の役割だった。


光が強いほど、闇の中は見えなくなる。



莉花の罪の大半は、形として地上から消えた。

証言をする者もいない。

南米ルートで起きた死も、裏金の全体像も、法がそのまま掴める形では残っていなかった。


だが、すべてが消えたわけではない。

莉花は、自ら罪を口にした。

その供述によって、

粉飾経理、証拠隠滅、一部の資金操作について、起訴はされた。


公判でそれを支える形は、もう地上に残っていなかった。


法は、彼女を裁こうとした。

だが、自白だけでは有罪に届かない。


それでも、拘置所の中で、

莉花自身が、自分で裁き続ける。


それは仕方のないことだった。

壊れきってしまうよりは、まだよかった。


私は、そう判断した。


正義はもはや関係ない。


やるべきことは、すべてやった。

あとは時間が解決するのを、

待つしかないのだ。



高雄は、面会室のガラス越しに言った。


「もう余計なことは、するな」


余計なこと。

それは、感情のことか?


彼は最後まで、経営者だった。

世界を、数字と配置で見る人間。


私は、頷いた。


感情は入れない。


「莉花を守る役目は、もうお前じゃない」


「決断をしたのは、私でしょう?」


高雄は、そこで初めて視線を逸らして言う。


真実は、残酷だった。


「紗希、お前は俺の血の繋がった娘だ」


一瞬、意味が繋がらなかった。


娘、という言葉だけが、頭の中で繰り返される。


「……何を言ってるの」


高雄は、視線を外さずに続ける。


「おまえたちは、双子だ」


高雄は、そこで一度だけ言葉を切った。


「莉花は、おまえの妹だ」


言葉が、遅れて落ちてくる。


「お母さんは、出産後に体調を崩し、死んでしまった」


岡部家に子がいなかったこと。

母の妹が、岡部の妻だったこと。

正信の強い希望で、一人が養子に出されたこと。


その事実を、彼は淡々と口にした。


「それが、私?」


「いずれ話すつもりだった」


「だが、母のいない莉花が可哀想で言えなかった」


「皆で集まって決めたことだ」


「亡くなった母親も、生前にそうしてくれと望んだ」


その言葉は、

話さなかったという事実を、柔らかく包むための言葉だ。


「妻が亡くなり、私は仕事に取り憑かれた」


「莉花に苦労させない思いもあった」


「……だが一方で」

「思ったとおりの結果に酔い、

人を駒のように使うことの、

快感には、限度がなかった」


「欲はどんどん、

大きく膨らんでいった」


「莉花は、それを見て育った」


「だから、莉花から離れた」


「ただ、それだけのこと」


「おまえはもう藤堂家から離れ、幸せになれ」


「……」


「会議後、莉花の憎しみは、俺から紗希に向いた」


遠ざけた妹と呼び寄せた姉。


「あのまま進めば、姉を殺すまで莉花は止まらない」


「その時は理解しきれてなかった」


「紗希を得意げに使い、莉花を諦めさせたかった」


「でも結果それは、火に油を注いだだけだった」


「多分、内心は烈火のように怒り狂っていたと思う」


「今は俺が莉花のことを、一番理解している」


「あいつは俺にそっくりだ」


「そして紗希、おまえは優しかった母親に似てる」


「紗希、ありがとう」


「莉花を救ってくれて」


私は妹を助け、

結果的に、父を差し出した。


涙が止まらない。


「なぜ、今さらそんなことを」


「もっと早く言ってくれたら……」


「今だからだ」

「もう何もしなくていい」


「俺のいなくなった所なんて、

すぐに埋まるさ」


「ごめんね、……お父さん」


「おまえのお父さんは正信だ」


「そんなこと、もうどうでもいい」


「莉花が、あそこまで壊れた理由」

「私に向いた感情が、あったから」


「嫉妬と、怒り」


「私と莉花は、同じ男を好きになってしまった」


「私は引くつもりだった」


「そう、あれは事故」


「でも私は、その人の子を産んだ」


高雄のこれほど驚いた顔を初めてみた。


「だからね……

私達はもう、離れたらダメなの」


「そうしないと、憎しみも消えない」


「ごめんね、……お父さん」


「莉花は、私がちゃんと支える」


「俺に何かできること……

何もないな」


「ダメな父親だ」


「大丈夫よ」



「それより、ちゃんとしてて」

「一番いい弁護士をつける」

「いつか、子供にも会わせたい」

「その日まで、ちゃんと生きて」


「必ずそんな日が来るから」


「お父さん」


高雄は何も言わず、面会を打ち切って部屋を出て行った。




莉花は、証拠隠滅のおそれがあるとして、拘置所へ移送された。


裁判は、長く続いた。

だが、被害の全体像は最後まで立証されなかった。


法は、事実より形を見る。

形を消したのは、私だ。



莉花も、拘置所で真実を知った。


私たちが双子だということ。

分けられ、隠され、

別々の人生を歩かされたこと。


彼女は、さらに不安定になった。


私は、何度も面会に行った。


私の妊娠が莉花と間違えた事故だったこと。


自分も悠輝が好きだったから、はっきり抵抗ができなかったこと。


子供が産まれたこと。


悠輝が莉花のために南米に行きレオンに撃たれて重傷だったこと。


すべて話した。


半年が過ぎた頃、莉花は静かに変わり始めた。


「私に悠輝は会ってくれるかな?」


「悠輝は、元気になって待ってるよ」


「莉花も、早くここから出ないといけないよ」



悠輝の体内に残った破片を取り除く手術は、日本で行われた。


長い時間がかかった。

けれど、成功した。


命は繋がった。

ただ、記憶はまだ曖昧だった。


私は、母に子供を見てもらい、

悠輝のリハビリを手伝っていた。


歩くこと。

食べること。

短い会話を重ねること。


その中で、悠輝は時々、何かを思い出しかける。


「海。

光。

青い水槽」


「……水族館」


その言葉だけが、ぽつりと落ちた。


私は、その一言を聞いた時、

胸の奥で何かが揺れるのを感じた。


翌日、医師に相談し、外出の許可をもらった。


長時間は無理。

刺激も、できるだけ少ない方がいい。


それでも、行く価値はあると思った。


私が連れていく。


切ったはずの線が、別の場所でまた繋がる。

そういう壊れ方しか、私たちは知らなかった。



電車は、昼の光を乗せて走っていた。


車内は空いている。

どこにでもある、平日の昼だった。


悠輝は窓の外を見ていた。

まだ少し痩せた横顔。

それでも――生きている。


私はその隣で、そっと肩にもたれた。


悠輝は、何も言わなかった。

嫌がることも、身体をずらすこともない。


それだけで、十分だった。


今日だけは、

紗希ではなく、

ただ、莉花の残像として隣にいたかった。


電車が揺れる。

悠輝の肩にもたれて眠ってしまった、あの時間を思い出す。

そう思えるくらい、午後のひとときは穏やかだった。


だから――

その少し後ろの座席から、

じっとこちらを見つめている影に、

私は気づけなかった。


顔も、血も、人生も。

切り離されたはずなのに、

二人のあいだにある線は、最後まで綺麗には消えなかった。


莉花に向けられた感情は、

いつか紗希にも届くのかもしれない。

憎しみも、執着も、愛さえも。


まだ何も起きてはいない。

けれど、静かな午後の光の中で、

運命だけが、もうこちらを見ている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ