38章. 《Operation Hammer》
俺の報告で、攻撃が始まる。
良いか悪いかは、関係ない。
そう決めて動いている。
――それでも、
頭から離れない。
これは、
俺が殺しているのと同じだ。
機械音だけが、規則正しく響いていた。
一定のリズムで刻まれる電子音。
白い天井。
消毒液の匂い。
橘悠輝は、まだ目を覚まさない。
呼吸は安定している。
心拍も問題ない。
だが――
意識だけが、戻ってこなかった。
⸻
俺は、レオンを捉えていた。
もう確保は難しい。
莉花さんからの指示は殲滅。
より確実に。
できるだけ一般人を巻き込まない拠点を見定める。
夜の街。
倉庫。
港。
神代レオンは、止まらない。
車を降りる。
短く言葉を交わす。
視線だけで確認する。
すぐに次へ向かう。
同じ場所には、留まらない。
一日で、八カ所。
拠点を回る。
アジト。
保管庫。
資金の中継地点。
すべてが、点として浮かび上がる。
レオンの車の位置が、静かに動く。
GPS。
ダッシュボードの端末に、
緑の点がひとつだけ浮かんでいた。
俺は、視線を動かさない。
距離。
速度。
停止時間。
すべてが数字で流れていく。
レオンの後を追い、
座標を、ただ記録していく。
俺は、一点だけ長く見た。
出入りする車両。
時間帯。
人の流れ。
――拠点の多くは、民間の出入りが少ない。
許容範囲だ。
狙うのは早朝。
ログは、自動で送信される。
宛先――シンディー。
ルート。
滞在時間。
拠点。
すべてを、淡々と送る。
「……全部、落とせる」
レオンの尾行を終えたあと、俺はかつて藤堂高雄が私的に使っていた自宅や倉庫の座標も、あらためて確認し、すべてシンディーに送った。
⸻
端末が震える。
通信を開く。
“Send location.”
俺は迷わず送信した。
複数のポイント。
移動経路。
時間帯。
数秒の沈黙。
そして返ってきた。
“We move Monday.”
“Operation Iron Hammer.”
“Full sweep.”
“No survivors.”
それだけだった。
⸻
次の日。
病院の廊下は、静かだった。
俺は無言で歩き、病室の前で止まる。
扉を開ける。
白い空間。
ベッドの上で、
悠輝は眠ったままだった。
機械の音だけが、生を証明している。
亮平が椅子に座っていた。
顔を上げる。
「……どうでした」
「全部押さえた」
「レオンは郊外のアジトに寝泊まりしている」
「後は、月曜日を待つ」
短い答えだった。
亮平が、ぽつりと言う。
「……全員、地獄行きだな」
俺は一瞬だけ視線を動かした。
悠輝を見る。
それから答える。
「……確かに」
「莉花さんの出した答えだ」
「俺は、最後まで付き合う」
亮平が、悠輝を見たまま言う。
「莉花さんには……言えないですよね」
「今は、無理だな」
「せめて悠輝が目を覚ましてからにしよう」
「そうですね」
「紗希さんに連絡します」
⸻
亮平がスマートフォンを取り出す。
「紗希に電話をかける」
コール音。
すぐに繋がった。
『もしもし』
「紗希姉さん、今どこ」
『アメリカ』
『どうしたの』
「悠輝が撃たれた」
間を置かない答えだった。
『なんで!』
『容態は!』
「今は安定しています」
『すぐそっち行く。病院どこ?』
亮平は位置情報を送る。
『……了解。すぐ行く』
『ボストンからコロンビア』
『直行便はないな』
『なんとかする』
通話が切れた。
⸻
翌日。
病室のドアが静かに開いた。
紗希だった。
足を止める。
ベッドを見る。
悠輝を見る。
何も言わない。
ただ、近づく。
そして、手を伸ばした。
触れる直前で、止まる。
震えていた。
「……まだ、起きてないのね」
亮平が小さく答える。
「ああ」
医師が入ってくる。
「容体は安定しています」
「ただ、意識の回復は……」
「いつになるかは分かりません」
紗希は頷いた。
「……このまま、移送できますか」
医師が少し驚いた顔をする。
「アメリカに連れて行きたい」
「私が看るわ」
短く、強い声だった。
俺と亮平は顔を見合わせる。
反対する理由はなかった。
「……任せる」
⸻
――十日後。
光が、揺れた。
まぶたが、わずかに動く。
ゆっくりと、開いた。
ぼやけた視界。
白い天井。
知らない匂い。
悠輝は、ゆっくりと瞬きをした。
「……ここは」
声が、かすれる。
すぐに、人影が動いた。
「悠輝」
紗希だった。
すぐ近くにいた。
「分かる?」
悠輝は、ゆっくり頷く。
「……名前は」
「橘、悠輝」
「家族は?」
「……母さんと、父さんに妹」
だが――
次の問いで、止まる。
「……会社は?」
悠輝の表情が、曇る。
その様子を見ていた医師が、静かに口を開いた。
「外傷に伴う記憶障害ですね」
「頭部への衝撃と強いストレスで、海馬の機能が一時的に抑制されている可能性があります」
医師は、悠輝の目を見たまま言った。
「最近の記憶ほど失われやすい」
「ですが――」
わずかに間を置く。
「回復する可能性はあります」
「手術は成功しています」
「ただ、頭蓋内に異物が残存しています」
「手榴弾の破片です」
「深部にあるため、当院での摘出はリスクが高い」
「――現時点で、生命に危険はありません」
医師は、わずかに間を置いた。
「ボストンであれば、対応可能な医師がいます」
「それまでは、腹部の回復を優先します」
⸻
「私、わかる?」
「わからない……何もわからない」
紗希の指先が、わずかに震えた。
視線を落とす。
唇を噛む。
悠輝の震えた手を包み込む。
「大丈夫よ」
「私がついてる」
⸻
――私が言った一言。
莉花を助けて。
そのせいで、
悠輝は、動いた。
そして――
記憶が壊れた。
「……私が壊した」
誰にも聞こえない声だった。
⸻
紗希は、ゆっくり顔を上げる。
その目は、もう迷っていなかった。
ベッドの横に座る。
悠輝を見る。
「大丈夫」
やさしく言った。
「全部、大丈夫」
「ゆっくり、始めよう」
その声は、どこか別の誰かに似ていた。
――もう一度、やり直す。
そう決めていた。
悠輝のために。
莉花のために。
自分の罪のために。
記憶が戻ったとき――
それでも、莉花を好きでいられるように。
⸻
次の日。
悠輝の横に座っているのは、莉花だった。
「あなたは、誰」
一瞬だけ、間が空いた。
「……莉花よ」
「あなたの恋人」
「ごめん、思い出せない」
「いいよ」
「無理しないで」
私は、笑った。
それは、
莉花と同じ笑い方だった。
「さあ、ご飯を食べましょう」
それが、
はじまりだった。
失われたのは、記憶だけではない。
時間も、
関係も、
積み重ねてきたものも。
すべてが、一度、途切れた。
それでも――
隣に座る。
名前を呼び、
手を取り、
同じ時間を、もう一度なぞろうとする。
それが、
同じものかどうかは分からない。
むしろ、
違うものなのかもしれない。
それでもいいと、
思ってしまう。
たとえ、
すべてを忘れていても。
そこにいることを、
選び続けるなら。




