50:目覚め
気がつくと、俺は包帯だらけの状態で
ベッドに寝かされていた。
白い天井。
木の梁が走るシンプルな造りの部屋。
窓の外には、見慣れたはずのペテルブルグの
灰色の空が広がっている。
「……ここは……?」
喉が渇いていた。
「気がついたか?」
男の声がした。
俺は首を動かして、視線を向ける。
そこに立っていたのは――
どう見ても現代日本人の顔をした男だった。
俺は混乱した。
ロシアは多民族国家である。
とはいえ19世紀ロシアに、こんな顔の男がいるのか?
いや、これは……確実に、現代日本人の顔立ちだ。
「……お前、何者だ?」
俺の問いかけに、男は笑った。
「ま、それはゆっくり話そう……
とりあえず、飯でも食え」
その時――
「起きたの?」
柔らかい声が聞こえた。
俺は、そちらへ顔を向ける。
――美しい。
ナスターシャ・フィリポヴナほどの
“狂気を秘めた美”ではない。
だが、この女は、確かに芯のある強さを持つ
美しさだった。
しなやかで、凛とした佇まい。
ナスターシャのような刹那的な儚さとは異なる
確かな意志を感じさせる瞳。
その女は、俺を覗き込むようにして、微笑んだ。
「すぐに食事にしましょう」
俺は、ふらつく体を起こし、
導かれるように食卓へと向かった。
俺は、椅子に腰を下ろした。
慎ましやかな家だが、目の前に並んだ料理は、
豪華だった。
香ばしく焼かれた肉。スープの湯気が立ち昇る。
黒パンとチーズ。蜂蜜がかかった果物。
貴族の食卓とは違う。
だが、これは、間違いなく上等な“家庭の味”だった。
俺は、じっと料理を見つめる。
「……食えよ」
男が促す。
俺は、ゆっくりとスプーンを取り、スープを口に運ぶ。
スープといっているが、ロシアの味噌汁にあたるシーだ。
シーは家庭ごとに味のある、お袋の味だ。
「……」
うまい。
体に、じんわりと温かさが広がる。
この温かさを感じるのは、
一体、どれくらいぶりだろうか。
俺は、黙々と食べ始めた。
ナスターシャを失い、絶望の中でボロボロになり
路地裏で打ち捨てられた俺が、
今、知らぬ男と女の家で、食事をしている。
この人たちは、一体何者なのか?
そして、俺は、これからどうなるのか?
ナスターシャ・フィリポヴナは……?
俺の中に、また新たな疑問が芽生え始めていた。




