25:俺はナスターシャ・フィリポヴナの顔を知らない
俺は深く息を吸い、ドアベルを鳴らした。
扉が開く。豪華なシャンデリアの光が漏れ、絹のドレスとタキシードに包まれた貴族たちのざわめきが聞こえる。
だが――
当然、止められた。
「失礼ですが、お客様のご招待状を拝見できますか?」
会場の入り口に立つ男が、冷たい視線を向けてくる。
(くそっ、そんなものあるわけがない!)
俺は迷った。ここで取り乱してはダメだ。だが、冷静になりすぎても押し返されるだけ。
……勢いだ。
俺は堂々と胸を張り、毅然とした態度で言い放った。
「俺を誰だと思っている!」
男が一瞬、面食らったように目を見開く。
「……失礼ですが、お名前は?」
「そんなもの、言うまでもないだろう!」
「いえ、言ってください。」
(やばい、普通に冷静に返された)
俺は、わざと大きくため息をつき、不機嫌そうに顔を歪めた。
「……お前、俺に恥をかかせるつもりか?」
男が、戸惑う。
周囲にいた客人たちも、こちらをちらちらと見始めた。
(いける……!)
「もういい、貴様のような下僕に説明する時間などない!」
俺は手を振り払うような仕草をし、そのままズカズカと会場の中へ踏み込もうとする。
男が、慌てて「お待ちください!」と手を伸ばしてきたが――
俺は、さらに大きな声で怒鳴った。
「貴様、俺を侮辱する気か!?」
周囲の貴族たちの視線が集まる。門番の男は完全に動揺し、ためらいがちに一歩引いた。
俺は、その隙を突いて、堂々と会場の奥へと進んだ。
(よし……通った!)
こうして、俺は勢いだけで夜会への潜入を成功させた。
ナスターシャ・フィリポヴナはどこだ!?
俺は、会場を見渡した。
煌びやかなドレスを纏った女たち、シルクのスーツを着た男たちが談笑し、ワイングラスを片手に高笑いしている。
(くそっ……どこだ、ナスターシャ・フィリポヴナ!)
俺は、ナスターシャ・フィリポヴナを探す。
だが――
(……待てよ)
顔がわからない。
なぜなら、ナスターシャ・フィリポヴナは小説の中の登場人物だからだ!
当然、俺は彼女の実際の顔を見たことがない!
(ならば、思い出せ……!)
俺は、ドストエフスキーが描写したナスターシャ・フィリポヴナの容姿を必死に思い出した。
「高く美しい額、燃えるように輝く黒髪、憂いを帯びた深い瞳、透き通るように白い肌……」
それは、ただの美しさではない。
気高さと悲劇、そして抗えぬ運命を背負った、美しすぎる存在。
ドストエフスキーが語った彼女の美しさ。
彼女の苦悩、彼女の誇り、彼女の絶望だ。
(……いた!)
会場の一角、人々の注目を集めるかのように、静かに、しかし圧倒的な存在感を放つひとりの女性がいた。
初めて見る彼女は、美しかった。それなのに、どこか儚い。
そして、何より――
彼女の瞳は、すべてを諦めたかのような哀しみを湛えていた。




