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天邪鬼な君に  作者: 森 彗子
15/18

天邪鬼な君に 3

春の新芽がまだ僅かな顔を覗かせている動物園の樹木が風で揺れる。

陽が落ち始めるとまだひんやりと冷たい空気が素肌を撫でていく。


オオカミの檻の前。

閉園時間まで僅かしかない中、俺は大きなオオカミと目が合った。



人間に飼い慣らされたとはいえ、オオカミは熊より迫力があった。

少なくとも俺は、どんな動物よりもオオカミが一番カッコいいと思ってる。



長く細い鼻先がひくついて俺を睨みつけた。

その目はまるで何でもお見通しみたいな、不思議な目の色をしていて。俺は息を呑んだ。



ふと、ポケットの中で携帯端末が振動する。親父からだ。



居場所を伝えると意外だと言うような声を上げて、今からすぐ動物園駅まで行くから出てきて待ち合わそうと言われた。


「今度は恵鈴と一緒にお前に会いに来るよ」


携帯端末を仕舞いながら、オオカミ相手にそんな思い付きの約束を伝えた。

小走りで出口に向かっていくと、小さい頃の思い出がまた蘇ってくる。


僅かな坂道だってのにつまづいて転んだ恵鈴が泣いたから、俺は手を引っ張って立ち上がらせた。身長も体格も同じだった頃だけど、恵鈴の身体は俺の身体よりもずっと壊れそうに柔らかかった。



何を思い出しても今は、当時の俺がとっくに恵鈴に欲情しているとしか思えなくなっている。


重症だ。



暗くなり始めるとあっという間に陽が落ちて、札幌市街が紺色に染まっていく。

午後六時半、俺を拾った親父の車は帰路に着いた。


サービスエリアで熱々の珈琲を親父が買ってくれた。

気付いた時にはブラックコーヒーが好きになっていた。

親父の隣にいると心が安らぐ。


今なら言えるかもしれない。俺は顔を上げて親父を見上げた。


「親父はいつから女に興味を持ったの?」

「俺は遅いよ。大学生になってからだった」

「お袋と出会った時は、じゃあ…」

「夏鈴はまだ8歳だったんだぞ?

そんな色目でなんか見れるかって」と、屈託ない笑顔で応えてくれた。


「ああ、でもな。

時間が経ってから振り返ってみると、俺は夏鈴出会った日からかなり本気で好きになってたと思う。いつの間にか好きになってたんだ。

気付いた時はどっぷり浸かってた」


出会った日っていうのが、何度も聞いた両親の出会いのエピソード。

恵鈴はこの話が好きで、お袋からも親父からも聞き出しては、俺も一緒に聞く派目になっていたから、よく知っている話だ。


大雪の夜、近所の水溜まりで遭難して凍死寸前のお袋を親父が発見して救助したっていう話。

あと十分遅ければお袋は本当に凍死してもおかしくなかったそうだ。


今、初めて二人が血縁関係のない兄妹で良かったと思うし、

同時に羨ましいと思う。


「親父はさ、すんげぇロリコンだったってわけじゃないんだよな?」


「お前、ロリコンて何かちゃんと知ってるのか?幼女を見て静かに興奮する変態のことだ。俺はそんな趣味はないよ。俺にとって地球上で唯一の女が、おまえのママだけ」



…どうしよう。


俺にとって、地球上で唯一の女が恵鈴だったとしたら…



恵鈴以外の女に反応したことがないから、わからない。



「でも親父は、お袋以外の女とは…その…」


「付き合ったかどうかだろ?


あるけど、あれは付き合ったうちに入るのかな。

お前も成長したから初めて打ち明けるけどな、俺は東京に居た頃ひどい生活をしてた時代がある。色んな女と遊んだけど、全然楽しくなかった。

ずっと苦しくて…。


年月が経って当時を振り返った時に思ったんだ。

俺は小さな夏鈴が大人になるまでの間、暇つぶししてたんだって。


だったらもっと有意義な時間過ごせば良かったと思ったけど、後の祭り。

でも、今この仕事が出来るのは東京で就職して仕事したおかげだ。


人間関係最悪な職場だったけどな」


時間が経たないとわからないことがそんなに沢山あるんだ、と俺は関心していた。


でも、お袋以外の女とは結構遊んだってことはそれなりにヤッたってことだよな?


なんか、色々とショック…。


親父は俺の顔を覗き込んだ。


「お前、言わなくても俺はわかってるぞ。

昨日、あれからずっと考えてた…恵鈴にあんな真似して頭のネジどっかぶっ飛んだんだろ?」


俺は頷くしかない。

自分で言えないから、親父の推測が今は頼りだ。


「それからなにがあった?

夢であの危険な遊びの続きでもやっちまったか?」


ドストライクな推測に俺は動揺した。

顔が熱くなる。


「…そうか。夢はな…侮れない。

俺にも似たような経験がある……。


東京時代、俺は何度も夏鈴を思い出しながら他の女と抱き合ってた。

その女には本当に申し訳ないけど、俺の心の中に在り続けていたのが夏鈴なんだからしょうがない。

それに、俺にはもう一人特別な人がいた…」


親父はそこで一度言葉を切った。そして、短いため息をついてから俺の目を真っすぐに見詰めた。


「俺が大学の寮で同室になったいっこ上の先輩がいたんだ。

彼は田丸燿平という、のちに有名な天才画家と呼ばれた男だ。

その人と一緒に居た頃は全く気付いてなかったけど、彼は俺の事が大好きだったらしい。ある時、ちょっとした事がきっかけでその人にキスを迫られたことがあったんだ」


「…ちょ、待って。男からキス?」


親父は俺の驚いた顔を見て、複雑そうな笑みを浮かべた。


「そうだ。その時の俺も、今のお前みたいな反応をしてな。逃げ出した。

でも、その後…。ようへいさんは亡くなってしまっていた」


物凄く寂しそうに目を細めながら、親父はまたため息をついた。

あ、なんだろう。なんか、物凄く切ない気分になってくる。


「もしも、亡くなるって知ってたら俺は違う態度が出来たかもしれない。いや、それはわからない。俺にも…。それぐらい、唐突で自分がどうなっていくのか物凄く怖かったんだ。自分の知らない自分に乗っ取られてしまいそうで…」


両手で顔を覆った親父はまた、ため息を零した。

俺はなぜだか慰めたくなって、親父の膝に手を乗せた。


「そして、夏鈴と結婚式場の見学にリゾートホテルに行った時。驚いたことに、ようへいさんが夏鈴に憑依して、俺達は再会したんだ。

それから何度も夢に出てくるようになって、夢の中のようへいさんは俺の知らない顔を見せてくれた。人を好きになることに年齢も性別も関係ないのだと、あの人が俺に教えてくれたようなもんだ。俺達は互いの才能を認め合える存在でもあった。俺のことを天才だと言ってくれたのも、彼だ。お前の名前の燿という字は、その人から貰ってる」


……知らなかった。

そんな人が、いたなんて。


「さらに、もっと言うとだな…。

夏鈴が言うには、お前と恵鈴はその彼の生まれ変わりなんだとさ」


親父はまるで俺を、そのようへいさんを見るような眼で見詰めてきた。


「今朝はわからなかったけど、今は不思議とそんな気もするんだよな。

お前が急に反抗期から脱皮したせいかもしれないけど」


嗚呼。なんだこれ。

なんだか、妙に嬉しいのと安心したような不思議な気分になっている。

俺の中のなにかが、親父の言葉に反応しているようだ。


「で、話をもとに戻そう。

これは夏鈴の受け売りだが、夢は潜在心理と繋がっているから

恵鈴が見た夢をお前も見たのかもしれないって…。

元々一人分の魂がお前達にそれぞれ分かれて入っているらしい」


「え??!」


恵鈴と俺が同じ魂で、同じ夢を見る…?

…そう言えば、そんなことも昔から何度もあった。


今も言ってないから知らないだけで、本当はかなりの回数同じ夢を見てたって不思議じゃない。俺達の場合、おふくろの家系由来の不思議な力はそれぞれ持っているのに、一人分の魂が分離してるだなんて不思議要素が追加されちまって。どんだけレアなんだろう?


霊感って言っても、俺のそうした感性は年々薄れてきた。

今の俺はどこにでもいるただの十代の男になったと思っている。


だけど、やっぱり未だに人に触れると色んなものが視える気がするから、怖くて触れられない。安心して触れて良い相手は恵鈴だけだったんだ。

恵鈴と俺は分身みたいなものだっていうことか?


「その夢がどんな夢なのか詳細は言わなくても良い。


大事にして欲しいのは、お前自身の気持ちだ。

恵鈴や俺達親のことを優先して自分の気持ちに嘘をつくな。

常に自分の直観に従え。

どんな感情も自分を疑わず受け入れろ。

それが殺意だろうと、絶望だろうと、な」


「なにそれ…」


「これは爺さんの受け売りだが、自分の感情は決して嘘を吐かない。

感じたことを認めて受け入れ、そこから新しい答えに辿り着くそうだ」



親父の言葉を俺は頭の中で反復した。


【あらゆる感情を受け入れることが、新しい答えに辿り着く道】


「それだけが、魂の求める生き方なんだそうだ」

「…魂の求める生き方」


魂レベルで生き方とか、想像を超える領域に突入した。

だけど、俺の心は妙に浮足立った。


俺が望む生き方に近付くヒントが聞けそうで、胸が躍り出す。


「お?目が輝いてるぞ、お前」と、親父が苦笑いする。


「人生に正解なんてない。

常に自分が求めていることが現実として目の前に現れる。

それが夏鈴から教えてもらったヒントなんだが、俺には難し過ぎて…。


考えずに、直観と本能で正解を引ければいいのかもしれないけど、反射と直観の違いを俺は判断できない。


時間をかけないと、どれが自分にとって必要な選択肢なのかがわからない」


「大人ってそんな難しい事を考えて生きてるの?」


「大人が全員そうというわけじゃない。

俺が知る限り、そうした哲学を持って生きている人は半々かなぁ。


哲学を持たなくても、大衆に流されずに自分が自然体でいられる生き方を自然と体現している人もいる。難しく考えなくても、わかる人にはわかるからな。


夏鈴はその良い例だ。

あいつは絶対に間違わない。どんな困難も必ず克服できると信じて疑ってない。

そこまで芯が強い女は、夏鈴しか知らない」


親父がお袋を語るとき、絶対的な信頼以上の尊敬の念のようなものがあることを初めて知った。

10歳の年下の妻をそんな風に綺麗な目で視ているんだと思ったら、親父のこと見直したくなる。エロいことしか考えてないって思ってたけど、誤解してた。


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