七年前・後編《番外編》
「私はそこで事の経緯をお話しし、陛下のご温情によりこの身を王宮預りとしていただくことになりました。その数か月後に王宮神殿は閉鎖されましたが、私はすでに文官として陛下にお仕えしておりましたので、城に残留となったのです」
神殿から逃げ出すつもりではいたが、いざハディスに神官の身分を捨てろと言われた時には、自分もすぐには決心がつかなかった。
しかしハディスは、『信仰は捨てずともよい』と言った。
――神は正しくとも、神を奉じる場所の教えが正しいとは限らぬ。なれば今後は神殿ではなく、城に仕えよ。
その言葉に、迷いを断ち切ることができたのだとキリエは語った。
「そうだったんですか……」
ハディスらしい台詞だと感じ入りながら、泉実はキリエがひとり城に残った理由に納得する。
「それはそうと、キリエさんが二人と出会った場所って、レスターさんの工房ですよね? そんな夜遅くに、二人は工房で何をしてたんでしょう」
もっともな泉実の疑問に、キリエは一瞬押し黙った。
「……それは私も分かりません。あの時は、そのような疑問を抱く余裕すらありませんでしたので」
これは偽りではない。
あの夜レスターが何らかの密命を受けていたのだと察したのは、彼の真の役割をハディスから知らされたあとのことであったのだから。
そうキリエは心の中で言い添えた。
「まあ確かに、普通そんな所から王様が出てくるとは思いませんよね。でも、二十歳の陛下かあ……」
泉実は想像するように視線を上向かせ、静かになる。
正確には二十一におなりでしたが……と、キリエは再度心の中だけで言葉を添え、そっと泉実を観察した。
今日キリエがこんな話をしたのは、単に泉実の知りたいことに答えるためだけではない。実は、別のところに理由があった。
かつて自身が先輩神官にされたような行為を、泉実が谷で受けたのではないかという懸念があったからだ。
泉実の帰還後、彼をウルドに診察させるようハディスに進言したのはキリエである。
その後のウルドの報告では、坂を転がり落ちた時にできた傷はあるも、人為的な暴行の痕などは見られないとのことであった。
とはいえ、いくらウルドでも泉実の全身をくまなく診ることはできないだろう。
そこでキリエはあえて自身の経験談を持ち出し、泉実の反応を確かめたのだった。
もしこちらが危惧するような様子を泉実がここで見せたなら、今後は彼に対し特別な配慮をしなければならない。しかし、それも杞憂であったようだと、キリエは深く安堵していた。
一方、即位した頃のハディスを思い描くことができなかった泉実は、自分の想像力のなさにため息をつくと同時に、何かを思い出した顔をした。
「そうだ。もう一つつかぬことを訊くんですが、陛下のお名前に意味とかあるんですか? 本人曰く、昔からよくある名前なだけということですけど」
一週間ほど前、ハディスの部屋でその話題になった時に抱いた疑問であった。
「確かに、古い文献にも見受けられるお名前ではあります。現代の意味に置き換えると、与えられし者、でしょうか」
「与えられし者……」
「古語でハーデ、またはハルデとは『与える』という意味を持ちました。イスは『人』です。合わせて、『与えられる人』となるのです」
「与える人、ではないんですね」
「その場合は『人』が先に来ますので、イスハルデとなります」
「イスハルデ?」
ザイルにある大神殿の場所の名前と、語呂が似ている。
「はい。イスハルドは、イスハルデの語形が変化したものです。教えを施す者たちが集まることから、与える者を表す地名になったと伝えられています」
与えるほうが与えられるほうを破門したのか。
なんだか皮肉な話だ。
ハディスは自分の名前に意味はないようなことを言っていた。けど本当は、その名の由来を知っていたのではないだろうか。
実は知っていたからこそ、因縁の大神殿との接点に触れたくなくて、あんなふうに言葉を濁したのでは……という気がしないでもない。
――だとしても。
泉実はキリエを見て、笑顔で言った。
「与えられる人、とか、得な名前ですよね」
そんな情緒のない感想への同意を求められ、キリエはほんのわずかに目を丸くしたあと、そこは苦笑を漏らすに留めたのだった。
先ほど泉実が開けた窓から、春の心地よい風が室内に流れ込む。
この国の未来は、彼が照らす光によって明るいものとなることだろう。キリエは泉実の前で眩しげに目を細め、「では、前回のおさらいをいたしましょう」と、ひと月ぶりの授業を再開した。
<番外編 完>




