第17駅 誰かに見られてる?
白百合駅の朝。千景は、駅前広場を歩いていた。
昨日から、どうにも気になる。
何かが変わっている。
空気。鳥の数。異常生物の気配。
そして、それ以外の――。
「……これは」
千景は足元にしゃがみ込んだ。
土に、跡がある。靴跡だ。
「ひよりちゃん」
「なに?」
後ろから、ひよりが駆けてくる。
「どうしたの?」
「これ」
千景は地面を指差した。ひよりもしゃがむ。
「……足跡?」
「うん」
「人の……だよね?」
「たぶん」
靴底の形が、はっきり残っている。
白百合駅の周辺に人が歩いた跡があった。
それも一ヶ所だけではない。
少し離れたところに、別の跡がある。そこから駅前へ。そして途中で引き返している。
「……来たんだ!」
ひよりの声が明るくなる。
「誰かが、この駅を見つけたんだよ!」
「まだそうとは限らない」
「でも、人の足跡だよ?」
「たまたまこの辺を通っただけかもしれないし」
「駅のすぐ近くまで来てるじゃん!」
ひよりは嬉しそうだった。
千景は立ち上がる。
「……いつ付いたか分からないし」
「その前の日はなかったし、やっぱり昨日じゃない?」
「靴底の状態からすると、その可能性が高いかなぁとは思うけど……」
「じゃあ、やっぱり」
ひよりは周囲を見る。
「近くに人がいるかもしれない!」
「うむむ……」
千景は小さく唸りながら駅の外を見た。
嬉しい――と言えばたぶん違う。千景は元々人付き合いが苦手だ。
だが、人が来るのは今の白百合駅にとって、いいことなのかもしれない。
でも、ここには、まだ秘密がある。
界塵濃度が低下し、異常生物が減少した理由。地下設備。安定化ノード。
それに自分たちが暮らしていることも簡単には知られたくなかった。
「千景ちゃん、なんか難しいこと考えてる?」
「……警戒した方がいい気がするんだよなぁ」
「えっ、なんで?」
「相手がどんな人か分からないから」
「でも……」
「人だから安全とは限らないよ」
ひよりは少し黙った。
「……うん」
そして珍しく素直に頷いた。
* * *
二人は足跡を追った。
駅前。外灯の近く。修復した駅名標の前。
そして、駅舎の入口。
「足跡はここで止まってる」
千景が言った。
「うん」
足跡は、駅の入口まで来ている。
しかし、中へ入った跡はない。
「見に来ただけなのかなぁ?」
「たぶん」
ひよりが辺りを見回した。
「なんで入らなかったんだろう。顔を出してくれれば歓迎したのにね」
「相手も警戒したんじゃないかな」
「私たちと同じってこと?」
「うん」
千景は駅名標を見る。
――白百合駅。
数日前に、きれいに直したばかりだ。
外灯。駅名標。煙突。畑。
人の生活の跡。
遠くから見ればここに誰かがいることは、もう隠せない。
千景は考える。
「目印に、なってるんだな」
「何が?」
「この駅自体が」
ひよりが駅名標を見る。
「確かに遠くからみれば道標みたいかも」
駅名標が見える。外灯もある。夜には明かりがつく。畑もある。煙も出る。
人が住んでいることが、分かる。
「じゃあ、本当に誰か来るかもね!」
ひよりがそう言った。
「……来るかもしれない」
「楽しみ」
「私はちょっと怖いなぁ」
「でも、色々お話できるよ?」
「それが怖いんだよぉ……」
ひよりが笑った。
「千景ちゃんらしい」
「褒めてないよね」
「これは褒めてない」
「もう……!」
「えへへ」
ひよりが小さく微笑み、千景の隣に立つ。
離れない。
千景は、それに気づいた。
いつもならひよりが近すぎれば少し距離を取ったりもする。でも、今日はそのままにした。
駅の周りに、見知らぬ誰かがいるかもしれない。そう思うとひよりが隣にいる方が安心できた。
「ひよりちゃん」
「なに?」
「今日は私から離れないで」
ひよりの頬が赤くなる。
「……うん」
千景は言葉にしてから少し恥ずかしくなった。
「あ、あの……深い意味とかはなくて……あ、安全のためだから……」
「分かってるよ」
「……ほ、本当だからね」
「深い意味、あってもいいけど?」
ひよりは千景を上目遣いに見て微笑んだ。真っ赤になった千景は顔を背ける。
「も、もう! からかわないでよ……!」
「千景ちゃん、可愛い」
そう言いながらひよりは千景のすぐ隣にいた。
* * *
その日の午後。
二人は外周の警戒設備を増やした。
駅の北側に、簡易センサー。東側に、警戒灯。入口には、手動で鳴らせる警報装置。
「これでいい?」
ひよりが聞く。
「うん」
「ちゃんと役に立つ?」
『簡易監視設備として機能します』
YURIが答えた。
ひよりが得意そうに胸を張る。
「白百合駅、また強くなったね!」
「強くなったというより……」
千景はセンサーを固定する。
「入りにくくなった、って感じかなぁ」
「それも強くなったってことでしょ」
「……それもそうか」
二人で駅の外周を一周する。
新しく直した柵。外灯。センサー。警戒灯。
少し前まで何もなかった場所に守るための設備が少しずつ増えている。
「ねえ、千景ちゃん。もし、本当に人が来たらどうする?」
「……に、逃げる!」
ひよりが笑う。
「逃げないでよ」
「隠れる……!」
「それもどうなのかなぁ」
千景は悶えた。
「じゃ、じゃあ、どうすれば……もはや天寿を全うするしか……!?」
「死なないで!?」
ひよりが千景の肩を掴む。体を揺さぶられながら千景は項垂れた。
「生きるべきか死ぬべきか……それが問題だ……」
「全然問題じゃないから。お話する努力をしてみるってのはどう?」
「う、うーん……」
「私も一緒にいるからさ」
「そ、それなら……」
「偉いぞ、千景ちゃん!」
ひよりが笑う。
「じゃあ、その時は必ず私も一緒にいるね」
「う、うん」
それから千景は駅の外を見た。
夕方の光。遠くの道路。その向こうに広がる森。
何もいない。そう見えた。
「あれ……?」
一瞬、何かが動いた気がする。
木々の間。駅から少し離れた、小高い場所。
「ひよりちゃん」
「うん?」
「……あそこ」
二人でそちらを見る。
何もない。
風で草が揺れているだけだ。
「どうしたの?」
「いや……何でもないかも……」
見間違いか。
千景は目を細めた。
その瞬間、遠くの木の陰からほんの一瞬だけ人影が見えた。
「あ……!」
立っている。
白百合駅を見ている。
こちらには近づいてこない。逃げもしない。
ただじっとこちらを見ている。
「人だよね……?」
ひよりが小さく呟く。
千景は答えなかった。
次の瞬間、人影は木々の向こうへ消えた。
『移動反応を確認しました』
YURIが告げる。
「追える?」
『現在位置の特定は困難です』
「……そっか」
千景はしばらく、その場所を見つめていた。
ひよりが隣で千景の袖をそっと掴む。
「千景ちゃん」
「うん」
「……見られてたね」
「うん」
今度は否定できなかった。
白百合駅はもう誰にも知られない場所ではない。
そして、誰かがこの場所を見つけてこちらを見ている。
千景は静かに、駅名標へ視線を戻した。
――白百合駅。
その名前がいったいどこまで届いているのか、千景にはまだ分からなかった。
* * *
白百合駅を見下ろす、小高い丘の木陰。背の高い黒髪の女が、身を隠しながら双眼鏡を覗き込んでいた。
「……間違いない。この一帯だけ、界塵の濃度が極端に下がっている。境界現象も起きていない」
レンズの先には、温かい明かりが灯る白百合駅の駅舎と、仲睦まじそうに肩を寄せ合う二人の少女の姿が映っていた。
「あんな少女たちが、この拠点のシステムを動かしているというのか……?」
冷たい風が、女のコートをはためかせた。青色が一部だけ混じった長い黒髪が揺れる。白百合駅に向けられた静かな視線は、警戒と強い関心を帯びていた。




