第二話『みんなだいきらいー!「?」先生ー!』
第二話『みんなだいきらいー!「?」先生ー!』
――先生。
その言葉が、頭から離れない。
気がつけば、私は先生の部屋の前に立っていた。
――いや、来てしまった。
この扉を開けて、中に入らなければならない。
分かっている……いつも通りだ。
呼ばれたのなら、どこへでも行く。
命じられたのなら、遂行する。
それだけのこと。
それだけのことなのに、足が動かない。
まるで、深い泥の中に足を取られてしまったようだった。
……入りたくない。
……はいりたくない。
――今度は、誰を殺すのか。
目の前にあるのは、見慣れた扉。
私はゆっくりと息を吐いた。
そして、扉を三度叩く。
「入れ」
「失礼します」
扉を開ける。
――開けてしまった。
もう、逃げられない……。
その部屋の奥には、先生がいた。
黒い髪には、ところどころ白いものが混じっている。
顔の大半は、いつもの仮面に隠されていた。
……隠されている方がいい。
その表情を見なくても済むのだから。
「お前を呼んだのは他でもない。任務を命ずるためだ」
そう切り出すと、先生は資料を机の上に置き、見るように促した。
資料の一枚目に写っていたのは、大柄な男だった。
整えられた服。
よく肥えた身体。
――そして、鋭い目つき。
「カラフ・トューラン伯爵」
「そうだ」
先生は淡々と続ける。
「エコールにとって……」
一瞬、言葉を切る。
「……私にとって、不利益な存在だ」
エコール。
表向きは、古くからある大きな商会。
けれど、そこには二つの顔がある。
皆を喜ばせる商品を提供する商会の顔。
そして、裏のトップである先生の敵を排除する、暗殺組織としての顔。
私たちは、先生の道具として、速やかに任務を達成しなければならない。
「伯爵は絵画の収集家だ」
先生が一枚、資料をめくる。
「最近、ある絵を手に入れた。暗殺だけではなく、その絵の回収も任務となる」
「……絵、ですか?」
けれど、資料の中に絵の写真はない。
「写真はありますか?」
「ない」
先生は短く答えた。
「伯爵は、その絵を誰にも見せていない。しかし、周囲に自慢しているようでな……その噂はかなり出回っている」
「絵が実在することは間違いない。噂通りであれば、かなり……不思議な絵だという」
その言葉だけでは、どんな絵なのか想像もつかない。
「エコールの構成員を一人、すでに使用人として送り込んで調査させたことがある」
「屋敷の中を探し、使用人たちにも尋ねたそうだ。それでも、見つからなかった」
先生は一度、資料から目を離した。
「……その結果、怪しまれ、撤退に追い込まれた」
その声は淡々としていた。
けれど、僅かに失望が滲んでいるように聞こえる。
「五日後、伯爵は所蔵している絵画の展覧会を開く」
「……展覧会」
「最近手に入れた絵も目玉の展示として、そこで初めて公開するつもりらしい」
親しい人間にも、そうでない人間にも。
伯爵がその絵の現物を見せるのは、初めてになるだろう。
展覧会が始まれば、絵は多くの人間の目に触れる。
先生は続けた。
「そうなる前に回収しろ」
「……承知いたしました」
「絵を見つけたら、こちらが用意したものとすり替えろ」
先生が、さらに資料をめくる。
そこには何人かの写真が貼られていた。
屋敷で働く使用人たちの写真らしい。
「伯爵は交友関係が広いわけではないようだ」
写真を眺めながら、先生が続ける。
「狭く、深く。そして、長く付き合っている人間ほど信用する」
私は写真の一枚に目を止める。
「しかしお前のギフトなら、容易く潜入できるはずだ」
――ギフト。
この世界では、一人一つ。
誰もが、それぞれ異なる特殊な能力を持っている。
私のギフトは、自分自身の身体を変化させるもの。
ただし、何にでもなれるわけではない。
本来の自分に近い姿なら、長く維持できる。
逆に、大きく姿を変えれば変えるほど、維持できる時間は短くなる。
時間を使い切れば、一度、元の姿へ戻らなければならない。
そして、姿を変えただけでは、その人物にはなれない。
記憶も。
性格も。
何一つ、私の中に入ってくるわけではない。
姿を借りても、最後にそれを演じるのは私自身だ。
「お前はそのいずれかの使用人となり、展覧会の準備を手伝いながら、伯爵に近づけ」
「……はい」
「そして、任務を遂行しろ」
伯爵に近づく。
絵を探す。
伯爵を殺す。
絵を回収する。
偽物とすり替える。
――それだけだ。
「失敗は許されない」
その言葉に、胸の奥がわずかに強張る。
分かっている。
誰よりも。
「……はい。肝に銘じています」
「それならいい。話は終わりだ」
やっと、終わった……。
安堵を顔には出さず、一礼する。
「失礼します」
部屋を出て、扉が閉まった。
廊下に立ったまま、私はしばらく動けなかった。
頭の中で、先ほどの言葉だけが繰り返されている。
――失敗は許されない。
誰よりも、私が一番……。
「……分かってる」
*
「……もし、あの絵ならば」
「……」
そして、僅かな間を置いて。
「全ては人類のために……」
※第一話・第二話は投稿後に修正・更新しています。現在掲載しているものが最新版です。
以前読んでくださった方には申し訳ありません。
今後はこちらの版を正式版とします。




