第6話「小さくて、凛としてて、かわいい花ください。」
五月下旬。
大学へ向かう途中、いつも通る道に小さな花屋があった。
駅から大学へ向かう学生が行き交う通りから、少しだけ奥まった場所。
白い壁に、深い緑色の屋根。
入口の横には木製の棚が置かれ、季節の花が小さな鉢に植えられていた。
何度も前を通ったことはあった。
でも、それまで中へ入ろうと思ったことはなかった。
花なんて買ったこともない。
その日も、そのまま通り過ぎるつもりだった。
「……あ。」
店先に並んでいた花が、なんとなく目に入った。
白くて、小さい花。
派手ではなかった。
大きな花に囲まれていたら、見落としてしまいそうなくらい小さいのに、まっすぐ咲いていた。
俺は足を止めた。
なんか。
凛ちゃんみたい。
小さいし。
白くて、落ち着いてて。
なんとなく、凛としてる。
「…………。」
気づけば、店の入口へ向かっていた。
扉を開けると、小さなベルが、からん、と鳴った。
中には、外から見るよりもたくさんの花が並んでいた。
壁際には色とりどりの切り花。
足元には小さな鉢植え。
店の奥には、淡い色の包装紙やリボンが整然と並べられていた。
花屋って、こんな匂いするんだ。
甘いというより、少し青っぽい。
葉っぱや土の匂いも混ざっていた。
「いらっしゃいませ。」
声がして、店の奥を見た。
出てきたのは、若い女の人だった。
店員というより、この店そのものみたいに自然に花の中へ立っていた。
「何をお探しですか?」
「あー……。」
何を探してるんだろ、俺。
自分でもよく分からないまま、店先にあった花を思い浮かべた。
「小さくて。」
「はい。」
「凛としてて。」
女の人が少しだけ首を傾げた。
「かわいい花ください。」
数秒、沈黙が流れた。
「……贈る方のイメージですか?」
「たぶん。」
「たぶん?」
女の人が少し笑った。
それから店内を見渡し、白い小さな花の前で足を止めた。
「今の季節でしたら、すずらんはいかがですか?」
俺もそちらへ近づいた。
小さな白い花が、いくつも下を向いて咲いていた。
「あ。これ。」
さっき外で見たやつだ。
「お好きですか?」
「なんか、似てる。」
「贈る方に?」
「はい。」
即答すると、女の人がまた少し笑った。
「では、小さな花束にしましょうか。」
「お願いします。」
女の人は白いすずらんに少しだけ緑を添え、淡い包装紙で手際よく包んでいった。
大げさな花束ではなかった。
片手で持てるくらい小さい。
でも、なんか。
凛ちゃんには、これくらいが似合う気がする。
「お待たせしました。」
「ありがとうございます。」
花束を受け取り、店を出た。
それから改めて、手元の花束を見た。
「…………。」
なんで俺、花なんか買ったんだろ。
それまで女に花を渡したことなんてなかった。
彼女がいたときだって、一度もなかった気がする。
まあ。
かわいかったし。
凛ちゃんに似てたし。
それだけだろ。
大学へ着き、講義室へ向かっていると、後ろから田中に呼ばれた。
「夏樹。」
「おはよ。」
「……何それ。」
田中の視線が、俺の手元で止まった。
「花。」
「それは見れば分かる。」
隣にいた小川も、花束を見た。
「誰かにもらった?」
「俺が買った。」
「……お前が?」
田中がぎょっとした。
「何、その顔。」
「いや、お前が花屋で花を買ってるところ、想像できなくて。」
「俺もできなかった。」
「じゃあ、なんで買ったんだよ。」
「凛ちゃんにあげようと思って。」
田中が黙った。
小川も黙った。
「何?」
「……冬城さんに?」
「うん。」
「なんで?」
「似てたから。」
田中がさらに変な顔をした。
「花が?」
「凛ちゃんに。」
「…………。」
「だから何だよ。」
小川が俺を見た。
「お前、それ初めて?」
「何が?」
「女に花買うの。」
「たぶん。」
小川はしばらく俺を見たあと、
「ふーん。」
と言った。
「何だよ、その言い方。」
「別に。」
絶対なんか思ってるだろ。
昼休み。
法学部棟の近くまで行くと、ちょうど凛が一人で歩いてきた。
「凛ちゃーん。」
手を振ると、凛が俺を見た。
「こんにちは。」
「はい。」
「何、その反応。」
「普通の挨拶ですが。」
「もうちょっと嬉しそうにしてよ。」
「なぜですか?」
相変わらずだった。
俺は背中に隠していた花束を出した。
「はい。」
凛が足を止めた。
「……何ですか、それ。」
「花。」
「それは分かります。」
今日で二回目だな、これ。
「凛ちゃんに。」
「…………。」
凛の視線が、花束から俺の顔へ移った。
「なぜですか?」
「プレゼント。」
「ですから、なぜ私に花を?」
警戒してる。
「いらない?」
「そういうことではなくて。」
「じゃあ、あげる。」
花束を差し出した。
凛はすぐには受け取らなかった。
白い花をじっと見つめた。
「……すずらん。」
「知ってるんだ。」
「それくらいは。」
凛はもう一度、花を見た。
さっきまでの警戒した表情が、少しだけ柔らかくなった。
「かわいい。」
小さく呟いた。
「だろ?」
「……ありがとうございます。」
凛が花束を受け取った。
「お。」
「何ですか?」
「受け取った。」
「差し出されたので。」
「いらないって言うかと思った。」
「花に罪はありませんから。」
「俺にはあるみたいな言い方すんなよ。」
凛は手元の花束を眺めていた。
なんか。
やっぱり似合うな。
「でも。」
凛が俺を見た。
「どうして急に花なんですか?」
「大学に来る途中に花屋があって。」
「はい。」
「これを見つけた。」
俺は、凛が持っているすずらんを指した。
「凛ちゃんみたいだなと思って。」
凛の眉が少し動いた。
「……小さいってことですか?」
「そう。」
「やっぱり。」
「あと。」
「まだあるんですか?」
「凛としてて、かわいい。」
「…………。」
凛が俺を見た。
なんとも言えない顔をしていた。
「何?」
「あなたは……。」
凛が小さく息をついた。
「そういうことを普通に言うんですね。」
「だって、そう思ったし。」
「…………。」
凛は手元の花へ視線を落とした。
そして、ふんわりと笑った。
「あ。」
「何ですか?」
「また笑った。」
凛はすぐに真顔へ戻った。
「笑っていません。」
「いや、今めっちゃ笑った。」
「気のせいです。」
「絶対笑ったって。」
「しつこいです。」
そう言いながらも、凛は花束を大事そうに持っていた。
俺はそれを見て笑った。
花、買ってよかったかも。
……というか。
最近、凛ちゃんが俺の前で笑うこと、増えたな。




