第32話「最初の給料出たら、飯行こうな。 」
冬休み、凛を実家に連れていった。
玄関の前で、凛が手土産の紙袋を持ち直した。マフラーを外したあとも、なかなかインターホンへ目を向けない。
「緊張してる?」
「……うん。」
「大丈夫。俺の親だから。」
「それ、安心していいの?」
「どういう意味?」
凛が少し笑った。
秋に凛の家へ行ったときは、俺もこんな感じだった。そう思うと、緊張している姿までからかう気にはなれなかった。
扉を開けると、母親がすぐに顔を出した。
「いらっしゃい。凛ちゃん?」
「初めまして。冬城凛と申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
「こちらこそ。寒かったでしょう。入って。」
母親の視線が、一度も俺に向かない。
「息子も帰ってきたんだけど。」
「分かってるわよ。」
隣で凛が小さく吹き出した。
居間に入ると、父親まで普段より背筋を伸ばしていた。
凛が挨拶をして手土産を渡し、お茶が出る頃には、大学や春からの仕事の話になった。
俺の家で、凛が両親と話している。
見慣れた居間が、少し違って見えた。
「夏樹、余計なこと言って困らせてない?」
母親の一言で、そんな気分は吹き飛んだ。
「なんでそこから聞くんだよ。」
「昔から、思ったことをすぐ口にするでしょう。」
否定しづらいのが腹立つ。
凛は一度俺を見てから、湯呑みを置いた。
「びっくりすることは、あります。」
「そこは否定してくれてもよくない?」
「でも、嬉しいことも、ちゃんと言葉にしてくれるので。」
今度は、何も言えなかった。
母親がにやっと笑ったのを見て、俺はお茶を飲んだ。
そのあと、話はなぜか俺の子供時代に移った。
聞かせなくていい失敗談まで披露され、帰る頃には、凛と母親の間でアルバムを見る約束までできていた。
駅へ向かう途中、凛が白い息を吐いた。
「楽しかった。」
「俺は余計な話されて疲れた。」
「夏樹くん、小さい頃から変わらないんだね。」
「もうちょい成長してるだろ。」
「うん。お母さんも、そう言ってた。」
思わず隣を見ると、凛は楽しそうに笑っていた。
俺の知らないところで、どんな話をしていたのか。
気にはなったけど、次も来るつもりでいてくれることのほうが嬉しかった。
冬が過ぎ、三月になった。
卒業式の日。
校門の前で袖口を直すと、凛にもらった腕時計が見えた。
待ち合わせまでは、あと五分。
顔を上げると、人混みの向こうから凛が歩いてきた。
控えめな花柄の着物に、濃い色の袴。
まとめた髪の横で、小さな髪飾りが揺れていた。
「おはよう、夏樹くん。」
「おはよ。……すげえ似合ってる。」
「ありがとう。」
「写真撮っていい?」
「みんなが来てからじゃなくて?」
「今、凛だけのも撮りたい。」
凛が少し照れながら頷いたところで、後ろから肩を叩かれた。
「朝から忙しそうだな。」
田中と、その隣に小川がいた。
「まだ一枚も撮ってねえよ。」
「じゃあ撮れよ。邪魔しないから。」
そう言いながら、田中はしっかり横で見ていた。
ほどなくして美奈と詩織も到着し、結局、式が始まる前から何枚も写真を撮った。
式を終えたあと、六人で中庭へ向かった。
何度も昼飯を食べたベンチ。
凛と付き合ったことを、みんなに話した場所。
「ここで集まるのも、今日が最後かな。」
詩織が校舎を見上げた。
「また来ればよくない?」
美奈が言うと、詩織は笑った。
「うん。でも、授業のついでには会えなくなるね。」
四月からは、六人とも別々の場所で働く。
暇な時間を聞くだけで集まれた毎日は、今日で終わりだった。
「詩織、二十九日は午後でよかった?」
小川の声に、詩織が顔を向けた。
「うん。一時くらい?」
「じゃあ、駅で。前に話してた店、行こう。」
「予約しておくね。」
二人がそれぞれスマホを開いた。
「四月のことは、働き始めてから決めよ。」
「そうだね。予定が分かったら教える。」
いつもの調子だった。
少し寂しくなっていた俺まで、その会話を聞いてほっとした。
「ねえ、田中。一緒に撮ろ。」
美奈がスマホを差し出した。
田中は、ごく自然に受け取ろうとした。
「誰撮るの?」
「私と田中。」
伸ばした手が止まった。
「……二人で?」
「うん。夏樹、お願い。」
スマホが俺に渡った。
美奈に袖を引かれて花壇の前に立つ田中は、さっきまでより明らかに姿勢がよかった。
「田中、固すぎ。」
「早く撮れ。」
「緊張してる?」
美奈が顔を覗き込むと、田中が少し身を引いた。
「してねえって。」
赤くなった耳までは隠せていなかった。
その顔を見て美奈が笑い、俺はシャッターを押した。
確認した美奈は、画面を見て頷いた。
「これ、いいね。あとで送る。」
「……おう。」
田中が口元を緩めたのを、俺は見なかったことにした。
六人の写真は、近くにいた学生に頼んだ。
卒業証書を持って並び、目を閉じた誰かのせいで撮り直し、気づけば似たような写真が何枚も増えていた。
撮影が終わり、ベンチから鞄を持ち上げる。
つけていた犬のキーホルダーが揺れた。
凛がそれに目を留めた。
「その子も、一緒に卒業だね。」
「こいつ、結構大学来てるからな。」
小さな犬を指先でつまむと、凛が笑った。
「夏樹くんと一緒に?」
「そう。俺より真面目に講義聞いてたかも。」
「じゃあ、卒業証書がないとかわいそう。」
「俺の見せとく。」
差し出した証書の前で犬を揺らすと、凛が声を立てて笑った。
その手に、ペアリングが光っていた。
俺が贈りたくて、一緒に買いに行った指輪。
自分の手にも、同じものがあった。
犬のキーホルダーも、指輪も、腕時計も。
気づけばどれも、出かけるときにそばにあるものになっていた。
「時計、今日もつけてくれたんだね。」
「入社式もこれで行く。」
手首を上げて見せると、凛が嬉しそうに目を細めた。
「最初の給料出たら、飯行こうな。」
「うん。私も出すよ。」
「じゃあ、ちょっといい店。」
「夏樹くん、今から高いお肉のお店、考えてるでしょ。」
「なんで分かった?」
「顔。」
そんなに分かりやすかったらしい。
「二人とも、行くよー!」
校門のほうで、美奈が手を振っていた。
隣には田中。小川と詩織は、スマホの地図を見ていた。
歩き出す前に、一度だけ校舎を振り返った。
次に来るときは、もう学生じゃない。
少し寂しかった。
「夏樹くん?」
見上げてきた凛に、笑い返した。
「行こ。」
四人に追いつくと、田中が振り向いた。
「昼、何食いたい?」
「肉。」
「お前、即答だな。」
隣で凛が笑いをこらえていた。
「凛は?」
「私も、それで。」
「じゃ、決まり!」
美奈が言って、小川が店を調べ直した。
卒業して最初に決まったのは、六人で食べる昼飯だった。
そのあとは、写真を送り合って、また次に集まる日を決めればいい。
俺は鞄を持ち直して、みんなと駅へ向かった。




