第20話「今は、佐藤くんが好きです。」
長い夏休みが終わり、新学期が始まった。
久しぶりの大学は、夏休み前と何も変わっていなかった。
講義室へ向かう学生。
友人との再会を喜ぶ声。
暑いと言いながら、日陰を選んで歩く人たち。
見慣れた光景のはずなのに、どこか落ち着かなかった。
私は法学部棟へ向かいながら、行き交う人の中に茶色い髪を探していた。
似た髪色の男子学生を見つけては目を向け、違うと分かると前に戻す。
三度目で、自分が何をしているのかに気づいた。
佐藤くんを探している。
経済学部の佐藤くんが、この時間に法学部棟の近くにいる可能性は低い。それくらい分かっているのに、無意識に姿を探してしまっていた。
夏休み中は、何度か会った。
みんなでカラオケに行き、そのあとの花火大会では、はぐれないように手をつながれた。
二人で古本屋を巡った日には、私より楽しそうに本を探していた。
会えない日は連絡が来た。
内容のほとんどは、わざわざ送るほどでもない話だった。
今日食べたもの。
佐藤くんのアルバイト先に来た変わった客。
道で見つけた猫。
私に似た小さな置物。
最後の一つについては、似ていないと返信した。
それでも、佐藤くんから連絡が来るたび、私はすぐに画面を開いていた。
最初は、失礼な人だと思っていた。
初対面の女性に中学生かと聞き、拒絶しても気にせず近づいてくる。人との距離感がおかしく、思ったことを何でも口にする。
今でも失礼な人だと思っている。
けれど、嘘をつかない人でもあった。
私をかわいいと言うときも。
好きだと言うときも。
私の好きなところを、いくつも挙げたときも。
恥ずかしがる様子も、誤魔化す様子もなかった。
私にすずらんをくれた。
大勢の中から、いつも私を見つけた。
困っているときには、頼んでいなくても隣にいた。
一緒にいると騒がしくて、疲れることもある。
それなのに、会えないと寂しい。
声を聞けば安心する。
名前を呼ばれると、少し嬉しい。
他の女性と親しそうにしていれば、面白くない。
そこまで考えて、私は机の上に置いたスマートフォンを見た。
もう、考える必要はなかった。
私は、佐藤くんが好きなんだ。
驚きはしなかった。
ずっと前から知っていた答えを、ようやく認めただけのような気がした。
「それで、私たちを呼んだの?」
昼休み。
学食のテーブルで、美奈が私を見た。
隣に座る詩織も、私の話を待っている。
「相談があります。」
「うん。」
「佐藤くんを好きになったみたい。」
美奈と詩織が黙った。
二人は顔を見合わせると、同時に私へ視線を戻した。
「……それだけ?」
美奈が聞いた。
「それだけって何?」
「いや、もっと深刻な話かと思ったから。」
「私にとっては深刻だけど。」
「凛。」
詩織が控えめに口を開いた。
「たぶん、前から好きだったと思う。」
「そうなの?」
「うん。」
美奈も何度もうなずいている。
「私もそう思う。気づくの遅くない?」
「いつから分かっていたの?」
「少なくとも、花火大会の前には。」
思っていたより早かった。
「どうして教えてくれなかったの?」
「自分で気づかないと意味ないでしょ。」
美奈にもっともらしいことを言われた。
反論できずに黙る。
「それで、どうするの?」
詩織に聞かれ、私は考えた。
好きだと自覚した後のことまでは考えていなかった。
「どうするとは?」
「佐藤くんに伝える?」
「……伝えたほうがいいの?」
「そこから?」
美奈が呆れた顔をした。
「夏樹、ずっと待ってるんだから。言ってあげなよ。」
「でも、何と言えばいいのか分からない。」
「好きです。付き合ってください。でいいじゃん。」
「急すぎない?」
「今さら何を心配してるの。佐藤なら告白の途中で喜び始めるって。」
それは想像できた。
「凛らしく、普通に伝えればいいと思う。」
詩織が言った。
「以前は好きじゃなかったけど、今は好きだって。」
以前は、好きではないとはっきり伝えた。
なら、気持ちが変わったことも、私から伝えるべきなのかもしれない。
テーブルの上で、スマートフォンが震えた。
画面には佐藤くんの名前が表示されている。
『今日、みんなで昼飯食わない?』
美奈と詩織も画面をのぞき込んだ。
「ちょうどいいじゃん。」
美奈が笑う。
私は返信欄を開いた。
一度文字を打ち、消した。
もう一度打ち直す。
『今日は、二人で食べたいです。』
送信してから、急に落ち着かなくなった。
既読はすぐについた。
『二人で?』
『はい。』
数秒後、またメッセージが届いた。
『行く。絶対行く。どこにいる?』
「すごい食いつき。」
美奈が笑った。
「では、行ってきます。」
立ち上がると、詩織が小さく手を振った。
「頑張って。」
「普通に言えばいいからね。」
二人に見送られ、学食を出た。
佐藤くんは、大学の中庭で待っていた。
私を見つけると、すぐに大きく手を振る。
「凛ちゃん。」
いつもと同じ呼び方だった。
私はこの声に呼ばれることを、いつから嬉しいと思うようになったのだろう。
「待たせましたか?」
「全然。走ってきたから。」
「走らなくても、逃げません。」
「だって、凛ちゃんから二人で食べたいって言われたんだよ?」
佐藤くんは嬉しそうに笑った。
「俺、今日ここに来てよかった。」
「まだ何も食べていませんが。」
「もう十分いい日。」
本当に単純な人だった。
でも今は、その分かりやすさに安心した。
「佐藤くん。」
「なに?」
「話があります。」
佐藤くんの表情がわずかに変わった。
「もしかして、二人でって、その話?」
「はい。」
「悪い話?」
「佐藤くんにとっては、悪くないと思います。」
「じゃあ、聞く。」
佐藤くんが私の前に立った。
視線を上げる。
初めて告白されたときも、こうして佐藤くんを見上げていた。
あのとき私は、好きではないと答えた。
その気持ちに嘘はなかった。
けれど、今は違う。
「以前、私は佐藤くんのことを好きではないと言いました。」
「うん。」
「あのときは、本当にそう思っていました。」
佐藤くんは何も言わず、私の言葉を待っていた。
「でも、今は違います。」
佐藤くんが目を見開く。
私は一度息を整え、まっすぐに佐藤くんを見た。
「今は、佐藤くんが好きです。」




