第15話「誰かに取られるのは嫌だ。」
大学が夏休みに入ってから、凛と会えていなかった。
講義があるときは、昼休みになれば凛と飯を食べていた。
二人きりとは限らない。
田中や小川、詩織ちゃんが一緒の日もあれば、美奈が来る日もあった。
それでも、大学へ行けば凛に会えた。
夏休みに入って、それがなくなった。
だからといって、一人で過ごしているわけではなかった。
『夏樹、今日暇?』
『駅前いるんだけど、飯行こうぜ。』
『久しぶりに高校のメンバーで集まらね?』
昼前になると、いろんなやつから連絡が来た。
中学や高校の友達。
大学の友達。
サークルで知り合ったやつ。
バイト先のやつ。
誘われるまま飯を食いに行って、くだらない話をして笑った。
これまでは、それで十分楽しかった。
今日も高校の友達と駅前のラーメン屋に来ていた。
「夏樹、聞いてる?」
「聞いてる、聞いてる。」
「絶対聞いてないだろ。」
「彼女と海行った話だろ?」
「元彼女な。昨日振られたって話してんの。」
「あれ、そうだっけ。」
「お前、人の話聞いてなさすぎ。」
向かいの友達が呆れた顔をする。
いつもなら、もっと適当にからかっていたと思う。
でも今日は、なんとなく目の前のラーメンに集中できなかった。
凛だったら、何を頼むだろう。
醤油かな。
いや、意外と味噌かもしれない。
一人前を食べきれなくて、途中で箸が止まりそうだった。
「……夏樹。」
「なに?」
「お前、好きな女でもできた?」
思わず顔を上げた。
「なんで?」
「さっきからニヤニヤしてるから。」
「してないけど。」
「してた。」
向かいの友達が、俺を見ながら笑う。
「珍しいな。今まで付き合ってる子がいても、そんな顔してなかったのに。」
「どんな顔?」
「気持ち悪い顔。」
「お前、口悪くない?」
「事実だろ。」
飯を食べ終わって別れたあと、俺はそのままバイトへ向かった。
大学に入ってから、一人暮らしをしていた。
家賃も食費もかかるから、夏休みはいつもよりシフトを増やしていた。
三年の夏休みは、遊んでばかりもいられない。
インターンに行くやつも多かった。
俺も一応、大学から届いた案内には目を通していた。
でも、友達に誘われたところへ行けばいいか。
そのくらいにしか考えていなかった。
バイトを終えて部屋へ帰ると、もう十時を過ぎていた。
コンビニで買った弁当をテーブルに置く。
一人で食べることには慣れていたはずなのに、最近は部屋がやけに静かに感じた。
友達はいる。
誘いも毎日のように来る。
一人で過ごしているわけでもなかった。
それなのに、凛がいないだけで何かが足りなかった。
俺、こんな面倒くさい男だったっけ。
スマホを手に取り、凛とのトーク画面を開く。
最後に連絡したのは三日前だった。
俺が送った犬の動画に、凛が『似ていますね』と返していた。
何が似ているのかは聞いていない。
たぶん俺だろうと思っている。
俺は少し考えてから、メッセージを送った。
『凛ちゃん、いつ暇?』
送ってすぐ、画面を見つめる。
既読はつかない。
凛は返信が遅い。
分かっているのに、何度も画面を確認してしまった。
弁当を食べ終わるころ、ようやく通知が来た。
『しばらくはインターンの準備などで忙しいです』
やっぱり忙しいらしい。
『そっか。いつくらいまで?』
『まだ分かりません』
『じゃあ分かったら教えて』
これで会話は終わりだと思った。
少しだけ落ち込みながらスマホを置こうとすると、もう一件届いた。
『空いている日が分かったら、こちらから連絡します』
俺はその一文を三回くらい読み返した。
凛ちゃんから連絡してくれるってこと?
『分かった。待ってる』
すぐに返したあと、もう一度凛のメッセージを見る。
しばらく会えないのは残念だった。
でも、凛のほうから連絡すると言ってくれた。
それだけで、急にどうでもよくなった。
数日後。
田中と小川に誘われ、駅前のファミレスに来ていた。
「夏樹、夏のインターンどうするの?」
田中に聞かれ、俺はメニューから顔を上げた。
「どうするって?」
「どこか応募した?」
「まだ。お前らが行くなら、俺も同じところ行こうかなって。」
「遠足じゃないんだから。」
田中が呆れたように言った。
「一人で行ってもつまんなくない?」
「遊びに行くわけじゃないからな。」
「友達と一緒のほうが心強いじゃん。」
「お前、友達ならどこにでもいるだろ。」
確かに、知り合いが一人もいない場所のほうが珍しかった。
小川はコーヒーを飲みながら、俺たちの会話を黙って聞いていた。
「小川は?」
「二社行く。」
「いつの間に?」
「結構前に応募した。」
「聞いてないんだけど。」
「言ってないからな。」
相変わらずだった。
「田中は?」
「俺も一社決まってる。」
「え。じゃあ、俺だけ何もしてない?」
「そうなるな。」
田中が頷く。
俺はスマホを取り出し、大学から届いていたインターンの案内を開いた。
募集が終わっている企業も結構あった。
「三年の夏って、もっと遊べると思ってた。」
「二年まで遊んでただろ。」
「田中は大学生活を就活のために使ってんの?」
「お前よりは真面目に使ってる。」
失礼なやつだった。
「冬城さんもインターン行くんだろ。」
小川が何でもないことのように言った。
「なんで知ってんの?」
「詩織から聞いた。」
「ああ。彼氏の情報網か。ずるくない?」
「何が?」
「俺より凛ちゃんの予定に詳しいところ。」
凛からは、インターンの準備で忙しいとしか聞いていなかった。
どこの企業へ行くのかも、何日間なのかも知らない。
「法学部なら、真面目なやつ多そうだよな。」
田中が言った。
「だから?」
「別に。」
そう言いながら、田中が笑っている。
こういう顔をするときは、だいたいろくなことを言わない。
「冬城さん、インターン先でいい人見つけるかもな。」
「……いい人って?」
「頭がよくて、落ち着いてて、就活もちゃんとしてる男。」
「俺と真逆みたいに言うなよ。」
「実際、真逆だろ。」
小川にまで言われた。
「でも凛ちゃん、そういう男が好きとは限らなくない?」
「佐藤くんのことも、まだ好きではありません。」
小川が凛の口調をまねて言った。
「似てない。」
「そこ?」
田中が笑った。
でも、俺は笑えなかった。
インターン先で、凛が知らない男と話している。
昼になったら一緒に飯を食べて、連絡先を交換するかもしれない。
凛は人脈を広げるために、大学のサークルに入った。
必要だと思えば、男とだって普通に連絡先を交換するだろう。
そこで、頭がよくて、落ち着いていて、俺みたいに失礼なことも言わない男に会ったら。
「……それ、困るんだけど。」
「何が?」
「凛ちゃんが、いい人見つけるの。」
田中と小川が、そろって俺を見た。
「お前、まだ冬城さんと付き合ってないだろ。」
「だから困るんじゃん。」
「付き合ってないなら、冬城さんが誰を好きになっても自由だろ。」
「分かってるけど。」
分かっている。
凛が誰と話そうが、誰と飯を食おうが、俺に止める権利はなかった。
でも、嫌だった。
「俺以外に好きになる男ができたら困る。」
「夏樹はまだ好かれてないだろ。」
「田中、そういう正論いらない。」
俺はスマホを取り出し、インターンの募集ページを開いた。
「お前、急にやる気出したな。」
「俺もちゃんとした男になる。」
「動機が不純すぎるだろ。」
「やらないよりよくない?」
田中は何か言いたそうな顔をしていたが、小川は少しだけ笑っていた。
会えなくて寂しいだけだと思っていた。
たぶん、それだけじゃなかった。
凛が知らない場所へ行くことも。
そこで俺の知らない誰かと親しくなることも。
俺は嫌だった。
凛ちゃんを、誰かに取られたくない。
そう思ったのは、たぶん初めてだった。




