第二部:共有の物語 ―内省が言葉になる― 第12.5話前半 「噂の行方」
ある土曜日の午後、光莉と沙織は公園のベンチに並んで座っていた。秋の日差しが柔らかく、子どもたちの遊ぶ声が遠くから聞こえる。
「そういえば、沙織さんが言ってたおじいさんのこと、気になってたんです」
光莉が切り出すと、沙織はスケッチブックを開いた。そこには、背筋の曲がった老人の姿が描かれている。
「この人、この前ここで会って。この辺りの話をしてたんです。でも、よく考えたら……」
「よく考えたら?」
「私、この人のこと、どこかで見たような気がするんです。でも、思い出せなくて」
光莉は首をかしげた。
「カフェのマスターに聞いてみませんか?」
カフェ「あおい」に戻ると、マスターがカウンターでコーヒーを淹れている。沙織がスケッチブックを見せながら尋ねた。
「このお客さん、覚えてませんか?」
マスターはスケッチをしばらく見つめて、静かに首を振った。
「見たことはないな。でも……」
彼は少しだけ微笑んだ。
「ここには、お客様が連れてくる連れもたくさん座りますからね。噂だったり、思い出だったり、誰かの言葉だったり。この方も、そういう連れの一人なのかもしれません」
光莉と沙織は顔を見合わせた。
二人は再び公園へ向かった。遊歩道を歩いていると、ベンチに座って幼い子を遊ばせている母親がいた。沙織が声をかける。
「すみません、この辺りで……背の曲がったおじいさんを見かけませんでしたか?」
母親は少し考えて、首を振った。
「いえ……でも、なんだか聞いたことがあるような気がします。誰かが話してたのかな。はっきりとは覚えてないんですけど」
「そうですか……」
「なんとなく、ここにいるらしいって。誰かが言ってたような」
母親は笑って、また子どもの方へと向かった。
さらに歩いていくと、犬の散歩をする中年男性がベンチに腰を下ろした。リードを短く握りしめ、犬が足元でくんくんと匂いを嗅ぐのをぼんやりと見つめている。
沙織が近づき、同じ質問をすると、彼も首を振った。
「見たことはですね。でも、この辺りにいるらしいって話は聞いたことがありますよ。誰が言い出したのかは知らないけど、なんとなくここにいるんだって」
彼は立ち上がり、軽く会釈して去っていった。
光莉は沙織を見た。
「みんな『聞いたことがある』って言うんですね。でも、実際に見た人はいない」
「そうみたいね」
「沙織さんは……そのおじいさん、本当に見たんですよね?」
沙織は少し考えてから、スケッチブックを開いた。
「見たような気がするの。でも、確信はない。なんとなく話した気がするし、なんとなくスケッチも描いた。でも、それが本当に『見た』のかどうかは……わからない」
光莉はその言葉をじっと噛みしめた。
「沙織さんは、いつからあのカフェに通ってるんですか?」
「そうね……結構前からよ。でも、頻繁ってわけじゃない。思い出したように行く感じ」
「お客さんとか、やっぱり何か話してました?」
沙織は空を見上げた。
「そういえば……そんな気がする。誰かが『誰もいない席に誰かがいる』って話してて、それでみんなが『そうそう』って。でも、誰が言い出したのかは覚えてないの」
「誰が言い出したのか、覚えてない……」
光莉は何かを考え込むように、遠くを見つめた。
「でもね、おじいさんと何か話せた気がしたから、スケッチを描いたの。あとから思い出しながら、イメージでね。ほら」
沙織がスケッチブックを差し出す。そこには、確かに老人の姿があった。光莉はそれを見つめて、小さく息を吐いた。
「……いないのかな」
「え?」
「この人、最初からいなかったのかもね」
二人は顔を見合わせて、くすっと笑った。




