第9話 今日はここまで
次の斎戒の日、私は蜜の薄焼きを持って南の鏡をくぐった。
卓で菓子の包みを開くと、静蘭さまが「あ」と言った。
卓の上にも、同じ蜜の薄焼きがあった。
「静蘭さまも、こちらを?」
「うん。いつもと違うのにしようと思って」
紅玉さまが、ご自分の籠を覗き込まれた。
「私もだ」
三人で麗華さまを見る。
「……私の包みも、開ける?」
少しずつ違うものをいただけるのも、ここへ来る楽しみだった。けれど今日は、どの包みからも同じ菓子が出てくる。
「好みが似てきたのかしら」
麗華さまが最後の包みを開かれた。
「来週は、何を持ってくるか決めてからにする?」
静蘭さまに尋ねられ、私は首を横に振った。
「それでは、開ける楽しみがなくなります」
「また揃うかもしれぬぞ」
「そのときは、皆さまも同じものを食べたかったのだと思います」
紅玉さまは頷き、ご自分の包みから一枚取られた。
私は籠を脇へ置いた。麗華さまが淹れてくださった茶を受け取り、向かいへ座った。
*
「杏鈴の店では、あの線の入った帳面を売っていたのか」
紅玉さまが尋ねられた。
「はい。線の間隔も、お客さまによって変えておりました」
「物語を書き留めるのに使えるものも?」
「ございます。詩を書き留める方などがお使いになります」
「それは、いいな」
紅玉さまは、ご自分の脇にある冊子をご覧になった。
「行が、だんだん下へ曲がってしまうのだ」
「紅玉、それなら次に実家へ頼むものに加えましょう」
麗華さまがおっしゃった。
「そうだな。どのくらいの間隔がよいか、あとで相談に乗ってくれ」
「はい」
紅玉さまの冊子に使っていただくのなら、どの紙がよいだろう。薄すぎれば裏へ墨が抜けるし、厚ければ持ち歩きにくい。
私は、家にいたころの店先を思い浮かべた。紙を広げて選んでいただくあいだ、父が隣で値をつけている。
もし店へ帰ることができたら、三人は、そのころ何をなさっているのだろう。
「皆さまは、皇后になられたら、何をなさりたいのですか」
私は尋ねた。
麗華さまは茶碗を置かれた。
「そうね。大切な人たちが、明日のことを怖がらずに暮らせるようにしたいわ」
麗華さまは茶碗へ目を落とされた。
「今日と同じように、明日も顔を合わせて、他愛のない話ができる。そういう暮らしを、守れるようになりたいの」
麗華さまの声には、迷いがなかった。
私は、自分の店に何を並べるかばかり考えていた。麗華さまは、誰かの明日まで考えていらっしゃる。
家へ帰りたいと思っていることが、少し後ろめたくなった。
ほかのお二人も同じように立派な考えをお持ちなのだろう。そう思った矢先だった。
「私は、顔のいい人に養ってもらいたい」
私は静蘭さまに顔を向けた。
「……はい?」
「お金があって、優しくて、私が昼まで寝てても怒らない人」
少し間を置いて、静蘭さまは付け加えた。
「あと、顔がいい」
「それは、最初に伺いました」
「大事だから」
麗華さまが口元を押さえられた。
「杏鈴は、皇后になったら何をしたいかと聞いたのよ」
「あ、そっか」
静蘭さまは、しばらく考えた。
「じゃあ、皇后にならなかったら」
訂正なさるのは、前提の方だった。
「何もなさらないのですか」
「お菓子は食べるよ。本も読むし、遊びにも行く」
「お家のことは?」
「人を雇えるくらい、お金があるといいよね」
私は返事に困って、茶を飲んだ。
静蘭さまは仙術の参考書まで作っていらっしゃる。宮中の先生も、その才を褒めておいでだ。
その静蘭さまが、私よりずっと堂々と、働かずに暮らす話をしている。
「そんなに寝てばかりで、呆れられませんか」
「一緒にごろごろしてくれる人がいいな」
「条件が増えていくわね」
麗華さまがおっしゃると、静蘭さまは真面目くさって頷いた。
「私は妥協しない女なの」
*
「私は、白馬の王子様に迎えに来てもらいたい」
紅玉さまがおっしゃった。
「白馬の王子様、とは?」
「静蘭に聞いた物語に出てくる。姫が困っていると、白い馬に乗って駆けつけるのだ」
紅玉さまは膝の上で両手を組まれた。
「遠くから馬の足音がして、私の前で止まる。いや、止まる前に名を呼んでほしいな。振り向くと、白馬の上から私を見ているのだ。そこでひらりと馬を下り、手を差し出す。だが、すぐに手を取ってはいけない。私が驚いて動けずにいると、あの方が一歩近づいて『迎えに来た』と告げるのだ。いや、先に名を呼ばれているなら、ここではもう言葉はいらないか? それとも、やはり一言あった方が――」
「……出た、妄想早口」
紅玉さまがこちらを向かれた。
しまった。心の中だけで言ったつもりだった。
「……あの、ずいぶん詳しく考えていらっしゃるのですね」
「ああ。大事な場面だからな」
紅玉さまは、卓の向こうへ手を差し出された。
私がその手を見ると、さらに身を乗り出される。
「誰かに頼まれたのではなく、自分の意思で来てほしい」
「それで、一緒に白馬に乗るんでしょ」
「ああ」
「どこへ行くの?」
紅玉さまの手が止まった。
「……そこは、まだ考えていない」
「迎えに来てもらったあとは、よいのですか」
「行き先は、その方と決めればよい。まず、私を迎えに来てほしい」
紅玉さまは、差し出した手を見つめてから、膝へ戻された。
私は茶碗を持ち上げた。
「……皇后になったら何をなさりたいか、伺ったのですが」
私の店の夢だけが、場違いなわけではなかったらしい。
*
「私が皇后になったら、まず麗華に丞相になってもらって、国を良くしてもらおう」
今度は静蘭さまが、皇后の話へ戻された。
「そんでもって、紅玉には軍を率いる大将軍になってもらって、杏鈴は国のお金を預かる戸部尚書ね」
私は小さな町の商家の娘だ。そんなとんでもない役目はとても無理ですと答えようとする前に、紅玉さまが言った。
「すまない、静蘭。武芸なら自信はあるが、軍を率いるのは別だ。兵を育て、戦の策を立て、兵糧も揃えねばならぬ。そもそも、私に兵がついてくるかどうかも――」
紅玉さまが真面目に語り出したので、慌てて静蘭さまが遮った。
「紅玉、ごめんって。そこまで真面目に考えてくれなくても大丈夫」
「む、そうか」
「でもいい案だと思ったんだけどな。そうしたら大人になっても四人で会えるかもしれないし」
「杏鈴は役人ではなくて、お店を開くのが望みでしょう?」
「ちょっと大きめのお店みたいなものってことで」
だいぶというか、全く違うと思う。
「私も、皆さまとは、大人になってからもお会いしたいです」
静蘭さまがこちらを見た。
「うん。杏鈴からも誘ってね」
「では、お手紙をお送りします」
「私からも出す。返事は頼むぞ」
紅玉さまがおっしゃった。
「はい。必ず」
宮中の稽古で書く返書とは違う。いつなら会えるか、何を持っていこうか。そんな文を三人と交わすのだ。
「私も、お誘いを待っているわ」
麗華さまが、空いた茶碗へ湯を注がれた。
「杏鈴、私宛ての文には、お菓子もつけてくれていいからね」
「お返事にも、つけてくださるのですか」
「え、毎回?」
「静蘭さまがおっしゃったのですよ」
静蘭さまは、卓の上の薄焼きを一枚取った。
「……お菓子は、会ったときでいいか」
私も自分の包みから一枚いただいた。




