第20話 次の休日も、ここで
宴から数日たって、周侍郎さまから文が届いた。
町の祭りでも同じように紙灯籠を上げたいと、符用紙の注文が増えたという。宴で灯りを見た方から話を聞き、別の領主の使いまで訪ねてきたそうだ。
新しい商談のことが次々に書かれ、最後には、あの披露がなければこの話はなかったと礼が添えられていた。
父も大きな注文が入ると、まず枚数と荷の手配の話をした。母にお礼は伝えたのと聞かれてから、ようやくその言葉を口にする。
周侍郎さまも、少し似ているのかもしれない。
返書には、紙の手配が進んで嬉しいことと、皆さまのお役に立てたのなら何よりですと書いた。
そこまで書いて筆を置く。
今、私が何より楽しみにしているのは、もっと小さなことだった。
斎戒には、栗の入った饅頭を持っていこう。
*
斎室へ向かう廊下で、麗華さまと行き会った。付き添いの女官が、一歩後ろに控えている。
端へ寄り、頭を下げた。
「杏鈴さま」
「はい」
「包みの口が開いていますわ」
籠へ目を落とす。掛けていた布がずれ、菓子の包みが覗いていた。
「失礼いたしました」
布を直す間も、麗華さまは黙って見ていらした。
一礼してお通しし、そのお姿が廊下の角へ消えてから、私も歩き出した。
南の斎室へ入り、鏡のつまみを花模様に合わせる。
「息を分かち、心を和す」
白く曇った鏡をくぐると、麗華さまが長椅子から顔を上げた。
「潰れていない?」
「……お菓子ですか」
「さっき、包みが傾いていたでしょう」
籠を卓へ置くと、静蘭さままで身を起こされた。
「今日、何?」
「栗入りの饅頭です」
静蘭さまが座布団を脇へ押しやり、卓の前へ座り直した。
「お茶、まだある?」
「今、淹れるところよ」
麗華さまが茶壺を引き寄せた。
*
菓子を分けてから、宴の話になった。
「最後の礼のとき、自分が息を止めてることに気づいたわ。袖が下りて、やっと息を吸えたの」
麗華さまが言った。
「私は、あれほど落ち着いた舞を見たことがありません」
「落ち着いて見えたなら、よかったわ」
「麗華でもそんなに緊張してたんだ」
静蘭さまが菓子を割った。
「私なんて、自分の番が来るまで、何も食べられなかった」
「朝からお菓子を食べないなんて、珍しいですね」
私が言うと、紅玉さまが頷いた。
「確かに珍しい」
「二人とも、そこなの?」
静蘭さまは抗議するように両手を広げた。
「氷の花が一つできて、ようやく落ち着いてきた。最後に水が余ったから、蕾も足しちゃった」
「やはり、あの蕾は予定になかったのですね」
「うん。でも綺麗だったでしょ?」
「とても」
静蘭さまは満足そうに頷いた。
紅玉さまは、弓の一本目を待つ間、指が冷たくなっていたと教えてくださった。
「紅玉さままで?」
「一射目が中央にあたったあとは、緊張は解けたがな。残りを外しても失望はされないと思ってな」
「それなのに、三本とも真ん中でしたね」
「三本目は少し右だ」
「客席からは分かりませんでした」
「私には分かる」
何でもないように言うところが、いつもの紅玉さまだった。
「杏鈴は?」
静蘭さまに聞かれ、私は茶碗を置いた。
「最初の前口上を噛まないかずっと心配で……」
「暗記していたんでしょ」
「はい。何度も練習しました」
「一言くらいだったのに、そんなに緊張してたんだ」
「静蘭さまも、花びらが一つできるまで、何も召し上がれなかったのでしょう?」
「……そうだった」
静蘭さまが言う。
「みんな同じだったんだね。舞台の上では平気な顔してさ」
私も頷いた。
外から見れば、三人は完璧な皇后候補だった。
でも、袖が下りるまで息を止めていた麗華さまと、花びらが一つできるまで不安だった静蘭さまと、最初の矢を待つあいだ指が冷たかった紅玉さまが、今は同じ卓にいる。
私はこの方々の、誰にも見せない顔を知っている。
私は菓子を一つ取った。四人とも立派に見えて、ここではいくらでも不安を話せる。そんな風な話ができるのが嬉しかった。
*
「静蘭。あの氷の花は、ここでも作れるか」
紅玉さまが、空いた菓子皿を差し出した。
「作れるけど」
「近くで見たい。小さいものでよいから作ってくれ」
静蘭さまは皿を受け取り、卓へ戻した。
「今日は作らない」
「なぜだ」
「宴が終わったからー」
そう言って座布団へ倒れ込む。
紅玉さまはじとっとした目で静蘭さまを見て、それから私へ顔を向けた。
「杏鈴の灯籠も、残ってはいないのか」
「はい、あの灯籠は使い捨てですので」
「……そうか」
引っ込めかけた皿へ、麗華さまが最後の饅頭を載せた。
「今日は、こちらで我慢なさい」
紅玉さまは少し考え、饅頭を取られた。
*
茶を注ぎ足そうとすると、麗華さまが茶壺の蓋を押さえた。
「まだ残っているわ」
紅玉さまの茶碗にも、半分ほどある。静蘭さまのものは、手をつけられていなかった。
「では、お湯だけ替えてまいります」
「杏鈴」
静蘭さまが、寝転んだまま私の袖をつまんだ。
「さっきから、ずっと何かしてる」
言われて、手にしていた茶巾を見た。
菓子を分け、空いた皿を寄せ、茶を淹れた。次に何をするか、まだ卓の上を探していた。
「……何もしないと、落ち着かなくて」
「あなたの長椅子、空いているわよ」
私は茶巾を畳んだ。
しばらくして、紅玉さまが冊子を開いた。静蘭さまの指が袖から離れる。
誰も、何もおっしゃらない。
余っていた座布団を一枚、引き寄せた。
「こちらを、お借りしても?」
「どうぞ」
横になり、頬をのせた。
卓の脚と、長椅子から下りた麗華さまの裾が見える。静蘭さまがいつも見ているのは、こんな景色だったのか。
「杏鈴、お茶」
「ご自分でどうぞ」
答えてから、顔を上げた。
静蘭さまが笑いをこらえている。
「うん。そうする」
起き上がって茶壺へ手を伸ばす、その袖を見送り、私はもう一度頬を沈めた。
*
しばらく、冊子をめくる音だけがしていた。
「前に、どうするかまで決めないでほしいと、あなたに言われたでしょう」
「はい」
「私は、あなたがどう答えるかを聞くより先に、安全な方へ連れていこうとしていたのね」
麗華さまは茶碗へ目を落とされた。
「でも、私自身のことは、ほとんど話していなかった。なぜ、あんなに止めたかったのかも」
私は黙って待った。
「あなたにも、聞いていただきたいの」
麗華さまの声に、身を起こした。
「はい」
麗華さまは茶碗を両手で包んでいらした。
「私にも、叶えたいことがあるの。皇后になって、今度こそ変えたいことが」
今度こそ、とはどういう意味だろう。
静蘭さまが目を開け、紅玉さまも冊子を閉じる。
麗華さまは二人を一度見て、それから私の方へ向き直られた。
麗華さまの指が、茶碗の縁で止まった。
麗華さまが、ゆっくり口を開いた。
「私は、人生をやり直しているの」
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次話から第二章開始です。




