第16話 追及
庫の前の中庭には、紙の匂いがした。
いつもなら、それだけで少し落ち着く。実家の店の奥にも、乾いた紙を積んだ場所があったからだ。
けれど今日は違った。
長卓の向こうに立つ許女官は、私の顔を見るなり、昨日までと同じように穏やかに微笑んだ。
「杏鈴さま。お騒がせして、申し訳ございません」
まるで何も起きていないような声だった。
鄭女官が私たち四人を卓の左へ案内した。正面には用度の責任者が座り、脇に調査役の宦官、記録係がいる。庫の入口には荷を運んだ者たち、その横には宮外の引取人が立っていた。
引取人の腰の小刀は、入口で宦官に預けられている。
小桃と、斎室の係も証言のため呼ばれていた。先生は納入時の見本と、私が稽古で使った紙を長卓へ並べている。
私の右には紅玉さま。向こうに静蘭さまと麗華さま。
先の休日、鏡の中では四人で同じ卓を囲んだ。あのとき、麗華さまへ言った一言は、まだ胸に残っている。
麗華さまと目が合いかけ、私は手元へ視線を落とした。
先の休日、「どうするかまで決めないでください」と言ってから、まだ二人では話していなかった。
*
「集まっていただき、まずは感謝を。情報が錯綜しているため、直接皆さまの話を確認する場を設けました」
責任者が口を開いた。
はじめに、証拠のある確かな情報について、調査役が説明した。
紅玉さまと静蘭さまは、責任者に問われ、調査を止めるよう求めたことはないと答えられた。
麗華さまはなんと答えるかと緊張したが、箱の搬出について尋ねないでほしいとは言っていないと答えられた。
次に私へ問われる。
「杏鈴さまも、お調べをやめたいとおっしゃったことは?」
「ございません。紙が替わり、書けるようになったことはお伝えしました」
「記録します」
記録係が筆を動かした。
許女官は眉を下げた。
「私の受け取り方が、行き届かなかったのでしょう。皆さまのお心を思うあまりに」
麗華さまの袖が少し動いた。けれど、何も言わずにいらした。
ここで言葉を返せば、また私たちの気持ちの話になる。私たちが確かめたいのは、紙のことだった。
先生が二枚の紙を卓の上へ置いた。
「納入時の見本に書いた線は、途切れておりません。稽古に配られた方は、同じ筆と墨で書いても、墨がはじかれました」
静蘭さまも、同じ筆と墨を使ったとお答えになった。
「私が書いても、細い線が抜けましたわ。先生に立ち会っていただき、見本の紙へ替えると、同じ図が書けました」
声も姿勢も、申し分のない姫君そのものだった。
許女官が言った。
「納められた品に、質の揃わぬものが混じっていたのでしょうか」
「その可能性も調べました」
調査役が書付を示した。
宮へ納めた良品千二百枚が、北の荷口から外へ運び出されていた。引取先の店に残った受取には、同じ数と品が記されている。
「余った品を引き取っていただいたのです」
許女官が答える。
「では、売った分を庫の帳面から減らさなかったのは、なぜですか」
責任者が問うた。
返事が少し遅れた。
用度には別の店へ注文した安価な紙千二百枚の記録もあった。その紙を、良品のあった包みへ戻すよう指示した書付には、許女官の筆跡があった。
「数を揃えるようにとは申しましたが、品まで取り違えたのであれば、庫の者の不注意でございます」
弁解の機会をもらった庫の女官が進み出る。自分で品を選んだのではなく、渡された紙を指定された包みに足しただけだと話した。
「その書付には、どの包みへ入れるかも記載がございます」
責任者が言った。
許女官は卓へ目を落とした。
書付の上では、安価な紙の数と、外へ売った良品の数がぴたりと同じだった。
私は実家の帳場を思い出していた。客へ渡した品は帳面から減り、新たに入れた品は増える。外へ出た数だけを別の品で埋めれば、数は合っても、棚にあるものは変わってしまう。
私が書けなかった紙は、最初からあの場所へ納められるはずの品ではなかった。
店で父が箱と帳面を何度も照らしていた理由が、やっと分かった。数だけ合っていても、品が違えば、それは同じ納め物ではない。
*
「搬出のとき、何をお聞きになりましたか」
責任者が皆に尋ねた。
「許女官が、その紙を北の荷口へ運び、外の引取人へ渡すよう命じていた。稽古場へ運ぶ分とは別だと答えていた」
確かにそんなことがあった。紅玉さまがおっしゃるまで忘れていた。
「中身をご覧になりましたか」
「見ていない」
紅玉さまは答えた。
「何が入っていたかは、運んだ者と、受け取った者に確かめてほしい」
運び手の二人が、指示された箱をそのまま運んだと証言した。引取人は、その箱を受け取って店へ渡したことを認めた。店の受取には良品千二百枚とある。
紅玉さまの話は短かった。見ていない中身まで決めつけなかったことが、かえって強く感じられた。
用度の責任者が許女官へ問い直した。
「代金はどこへ納めましたか」
「……杏鈴さまのお支度に、お役立ていただこうと」
その瞬間、胸の奥が冷たくなった。
「商いのお家でお育ちですから、良い紙をただ書き損じるのは惜しいとおっしゃって。余る品を換えれば、ほかのお支度もできますもの」
「私は、そうは申し上げておりません」
喉が渇いていた。
「使える紙を早く、とお望みになったでしょう」
「はい。使える紙をお願いしました。紙を売るようには頼んでいません」
許女官は悲しそうな顔を作られた。
「お家の面目に関わることですから、表立っては申しませんでしたのに」
何を言っているのだ、それではまるで私が黒幕のようではないか。
周囲の視線が集まる。小桃が教本を抱き直す音がした。
責任者は落ち着いた声で言った。
「ご意向ではなく、代金の行方の事実を伺っています」
そこで引取人が一歩前へ出た。
「売った金は、私から杏鈴さまへお渡ししました。許女官のご指示です」
こういった展開を予想していなかったわけではない。麗華さまに忠告されて、罪をなすりつけられる可能性も想像していた。
それでも実際に言われると、喉が詰まった。
父の店に、この話が届いたら。
いくら否定しても、何かを隠しているのだろうと言われたら。
麗華さまの方へ顔を向けかけた。
あの方は、口を挟まずにいらした。膝の上で、指先だけが固く揃っている。
私が、自分で話すと言ったのだ。
息を整え、引取人へ向き直った。
「いつ、どこで、私にお渡しになりましたか」
「搬出の翌日でございます。未の刻、北の荷口へ続く廊下で」
「未の刻で、間違いありませんか」
「はい。荷口の鐘を聞きましたので」
記録係の筆が動いた。
「杏鈴さま。ご記憶と違いますか」




