第12話 思いつきと試作
紙を替えてから、稽古で書く線は途切れなくなった。
相変わらず先生には直される。でも、今度は筆の運びや、図の間隔を確かめていただける。昨日と同じことを練習できるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
小桃が古い紙の包みを片づけようとしたので、それだけは卓の端へ残してもらった。
「そちらも、お使いになるのですか」
「はい。まだ、余白がありますから」
包み直して、良品の束とは離して置いた。
*
斎戒の日、鏡をくぐると、静蘭さまが座布団を抱えていた。
「紙を替えたら、書けるようになりました。先日は、一緒に確かめてくださってありがとうございました」
「よかった。今日は、お菓子に墨が飛ぶ心配しなくていいね」
静蘭さまが皿を寄せた。私も籠から菓子を出す。
麗華さまと紅玉さまも揃い、茶を淹れて、包みを開いた。
一杯飲み終えたころ、静蘭さまが顔を上げた。
「ねえ、次は冷たい飲み物を作らない?」
「何を作るのですか」
「前にいたところでよく飲んだ、冷たくて甘いやつ。細かい氷が入って、しゃりしゃりするの」
「かき氷とは違うのか?」
紅玉さまが尋ねた。
「飲むの! 食べてもいいけど」
ちょっと違うんだよ、と言いながら、静蘭さまは茶の器を指した。
「挽き茶と乳と砂糖があれば、味は近くなると思うんだよね」
「全部を冷やすの?」
麗華さまが尋ねる。
「うん。でも固めちゃ駄目。細かく砕かないと」
ちょうど持ってきた茶があったので、今日はまず少しだけ試すことになった。
静蘭さまが小皿の水を冷やし、薄い氷を作る。紅玉さまが匙で砕くと、しゃり、と音がした。
「これくらいか」
「もっと細かく。口の中ですぐ溶けるくらい」
紅玉さまがまた砕く。麗華さまが茶へ少し蜂蜜を溶かした。
四人で口にすると、氷の冷たさが舌に残り、あとから茶の香りが広がった。
「おいしいです」
「うん、これはこれで好き」
静蘭さまは満足そうに飲んでから首を振る。
「でも違う。あっちのは、氷がもっと細かいんだよね」
「乳が入れば変わるかもしれないわ」
「なら次回は、私が持ってこよう」
紅玉さまが言った。
「挽き茶は私が用意するわ」
麗華さまが続ける。
「砂糖は、小桃にお願いしてみます」
私も手を挙げた。
「じゃ、私は器ね。深くて、混ぜやすいのがいい」
静蘭さまが笑う。
いつの間にか、四人で次の休日のことを決めていた。
*
残った時間、紅玉さまが物語の冊子を取り出した。
「今日は、料理人が菓子を出すところを書き直してきた」
娘が幼いころに食べた、母親の作った菓子。料理人が同じものを作ったが、娘は少し違う味だと気づく。
「お母さまが作った方は、もっと甘かったのですね」
私が言うと、紅玉さまが頷いた。
「娘のために、いつも甘くしていたのだろう」
「だったら、娘はどうして、それを聞いて泣くんだろうね」
静蘭さまが尋ねた。
「お母さまが、自分を喜ばせようとしたことを知ったからではないでしょうか」
麗華さまが答えた。
私は自分の家を思い出した。
母は客に出す菓子を作るとき、家族用のものを一つだけ小さく焼いていた。私が仕事を終えると、熱いうちに食べられるよう残してくれていた。
「作っていたときのお母さまが、目に浮かんだのではないでしょうか」
そう言うと、紅玉さまは紙へ筆を下ろした。
「そのことも、書いてよいか」
「私の思いつきでよろしければ」
紙に一行加わった。
紅玉さまが書いているのは、もはや静蘭さまが覚えていた話をそのまま写したものではない。三人で考えたことが、少しずつそこへ入っている。
麗華さまがふと私たちを見て言った。
「だんだん、静蘭の話の書き留めではなく、共著のようになってきましたわね」
「原作者は私の前の世界にいるから、これを世の中に私たちの名前で出すのはやめたいな」
「ああ。これは私が楽しむためのものだから大丈夫だ」
それだったら。
「そのうち、紅玉さまが考えた物語も書いてみたいですね」
「……今は、これだけで手いっぱいだ。でも、できたらいいかもしれない」
紅玉さまは虚を突かれたような顔をしてから、そう返した。
*
次の休日、鏡の先の卓には乳の壺と挽き茶が揃っていた。
麗華さまが少量の湯で茶を練り、私が砂糖を溶かす。乳を混ぜたところで、四人の碗へ少しずつ分けた。
「近い。味は、近いよ」
静蘭さまは、一口飲んでから、もう一度口をつけた。
「普通に、もう一杯飲もうかな」
「作る分が、なくなりますわよ」
「そうだね。先に作ろう」
大きな鉢へ移し、冷やしながら混ぜてみた。けれど、縁の氷を紅玉さまが割っている間に、反対側が固まり始める。冷やすのをやめると、小さな氷だけ先に溶けた。
「一度、全部凍らせてから崩してみる?」
静蘭さまの案を試すと、今度は、匙が入らなくなった。
「……固いぞ」
紅玉さまが端をつついた。白い跡が少しつくだけで、緑色の塊は動かない。
「おいしい味の、すごく固いものができちゃった」
麗華さまは口元を隠し、静蘭さまは固い塊を匙でつついた。
「凍らせるところまでは、できたな」
「そこは、最初からできてたんだよ」
静蘭さまは頬を膨らませ、匙を置いた。
少し溶けるまで、薄焼きを食べた。冷やすときは早かったのに、待つと、なかなか柔らかくならない。
「向こうでは、どうやって砕いていたのですか」
「刃のついた道具で、ぐるぐる回してた。私が砕いてたわけじゃないから、見たところしか分かんないんだけど」




